『信長の野望 蒼天録』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望 蒼天録』

1990件中300件該当しました。 1件〜25件の表示 > 再検索
<-BACK 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 NEXT->
   重視思考出身出自  
武将姓武将名 政治統率知略 相性義理野心列伝
兵科特技策戦1 策戦2策戦3 
かきざきみつひろ 朝廷好戦陰湿蝦夷武将(1456-1518)蠣崎家2代当主。徳山館を築いた。アイヌの軍勢を撃退し、また安東家に働きかけて松前守護職の追認を得るなど、蠣崎家の蝦夷支配権を確実なものとした。
蠣崎 光広 686381 B 1287
長槍哀願 虚報焙烙 迎撃
なんぶまさやす 朝廷・名声保守鷹派陸奥武将(1461-1507)南部家22代当主。信時の次男。兄・信義の跡を継ぐ。南部家は武田家の庶流で源頼朝の奥州征伐に従軍し、糠部(ぬかのぶ)郡を賜った南部光行を祖とする。
南部 政康 376044 F 4756
騎馬登用 混乱破壊 -
おおうらみつのぶ 朝廷好戦人情陸奥武将(1460-1526)南部家臣。大浦家の祖。種里城を築いて居城とし、安東家に備えた。「死後も西の備えたらん」と遺言をし、甲冑をつけ立った姿のままで埋葬されたという。
大浦 光信 685679 A 8479
騎馬改修 威圧迎撃 分断
おおうらもりのぶ 朝廷保守鳩派陸奥武将(1479-1551)南部家臣。光信の嫡男。1502年、父の命により、新たに築かれた大浦城の城主となる。1528年、父の菩提を弔うため、種里城下に長勝寺を建立した。
大浦 盛信 545162 A 6552
長槍商業 威圧誘導 迎撃
なみおかあきとも 朝廷・名声天下布武陸奥高家(1441-1522)浪岡北畠家5代当主。顕義の子。「浪岡御所」と称された。浪岡北畠家は、南北朝時代に鎮守府将軍を務め、南朝方の柱石として活躍した北畠顕家を祖とする。
浪岡 顕具 621943 S 5937
足軽改修 威圧- -
しばあきたか 幕府保守鷹派陸前高家(1468-1527)奥州斯波家当主。大崎教兼の子という。1495年、志和郡に入り高水寺城を居城とした。次男・詮貞を雫石城、三男・詮義を猪去館に置いて、領内を治めた。
斯波 詮高 655773 W 7676
騎馬改修 混乱誘導 突入
ひえぬきたねしげ 朝廷好戦直情陸中武将(1475-1513)陸奥の豪族。大和守と称す。当初、稗貫家は稗貫郡に盤石の勢力を保持したが、1435年に和賀家の内乱に与したため斯波家に攻められて敗れ、勢力を失う。
稗貫 稙重 271936 X 4544
騎馬登用 収拾- -
かさいまさのぶ 朝廷好戦陰湿陸前武将(1433-1506)葛西家13代当主。はじめ甥・尚信を補佐する。尚信の早世により葛西家を継ぐが、尚信を毒殺して家督を奪ったとの風聞があり、家中に争乱を招いた。
葛西 政信 583382 R 4182
騎馬威圧 密偵誘導 迎撃
かさいはるしげ 朝廷・名声保守鷹派陸前武将(1469-1533)葛西家14代当主。政信の子。陸奥守、壱岐守と称す。分裂状態にあった葛西家を一本化するが、その背景には伊達稙宗の強力な軍事介入があったといわれる。
葛西 晴重 351857 R 6950
長槍商業 混乱迎撃 -
おおさきよしかね 幕府保守鷹派陸前高家(1461-1529)大崎家9代当主。将軍・足利義尚から、「義」の偏諱と、包平の太刀を賜った。1488年、内乱のため伊達家を頼るが伊達尚宗の後援により領内に復帰した。
大崎 義兼 214137 J 5626
騎馬哀願 鼓舞修復 -
おおさきたかかね 幕府保守鷹派陸前高家(1479-1530)大崎家10代当主。父・義兼の死後、家督を継ぐが、わずか1年で病没したという。大崎家の家督は娘・梅香の婿となった大崎義宣(伊達稙宗の子)が継いだ。
大崎 高兼 453630 E 4054
足軽茶湯 混乱誘導 -
るすくにむね 幕府・名声好戦人情陸前武将(1448-1495)留守家14代当主。伊達持宗の五男。留守家13代・持家の娘を娶り、留守家の家督を継ぐ。持家の実子・満家は留守家の庶流・余目家を継いだ。
留守 郡宗 434741 L 7336
騎馬哀願 鼓舞迎撃 -
わたりむねもと 幕府保守鷹派陸前国人(1472-1531)陸奥の豪族。亘理家は源頼朝に仕えた千葉常胤の三男・武石胤盛を祖とする。宗元の長男・宗隆には男子がなく、伊達家より養子を迎えて、家督を譲った。
亘理 宗元 273938 S 5157
長槍威圧 治療修復 -
そうまもりたね 幕府好戦直情磐城武将(1476-1521)相馬家13代当主。蘆名盛舜の娘を娶った。家督相続直後の1492年12月、標葉(しねは)郡を治める標葉清隆を破り、宇多・行方・標葉の三郡を領した。
相馬 盛胤 487947 F 6370
騎馬威圧 治療修復 誘導
いずみだたねなお 朝廷保守鳩派磐城武将(1473-1532)標葉家臣。泉田家は標葉家の庶流。主君の隆成の粗暴の振る舞いに耐えかね、相馬家と内通して隆成を討つ。相馬盛胤の偏諱を受けて「隆直」から改名した。
泉田 胤直 194524 A 3265
長槍農業 収拾誘導 -
いわきつねたか 朝廷天下布武磐城武将(1451-1510)陸奥の豪族。娘は佐竹義舜らに嫁ぐ。飯野平城を築き居城とした。佐竹家や白河結城家を破って所領を拡大、岩城家最大の版図を築く。連歌などにもすぐれた。
岩城 常隆 806372 R 5890
騎馬茶湯 虚報迎撃 放火
いわきよしたか 朝廷・名声保守鳩派磐城武将(1477-1542)陸奥の豪族。常隆の子。古河公方の足利政氏・高基親子の争いでは、佐竹家とともに政氏方に属し、高基方に属した宇都宮家や下総結城家と戦いを繰り広げた。
岩城 由隆 623028 Q 6645
長槍弁舌 威圧- -
たむらよしあき 朝廷好戦人情磐城武将(1472-1561)陸奥の豪族。盛顕の子。岩城常隆の娘を娶る。1504年に三春城を築き居城とした。田村家は坂上田村麻呂の玄孫・古哲が田村姓を称したのに始まるという。
田村 義顕 365463 V 4856
騎馬改修 治療誘導 分断
しらかわまさとも 朝廷好戦直情磐城高家(1453-1521)白河結城家当主。子・資永は那須資親の養子となる。蘆名家らとともに佐竹家と戦うが敗れた。庶流の小峰家とも対立して敗れ、資永を頼って那須領に逃れた。
白河 政朝 531827 T 3653
騎馬茶湯 鼓舞- -
しらかわあきより 朝廷・名声保守鳩派磐城高家(1475-1536)白河結城家当主。政朝の子。1520年には岩城家と結んで那須家を攻めるが敗れた。1531年、白河結城家の祖・宗広が開基した長雲山智徳院を再興した。
白河 顕頼 452120 S 5546
足軽哀願 鼓舞- -
あしなもりたか 朝廷好戦陰湿岩代武将(1448-1517)蘆名家13代当主。伊達家とは婚姻関係にあり、伊達家内紛の際には、兵を出して介入している。のちに子・盛滋と不和になり、家中を二分する騒乱を招いた。
蘆名 盛高 595972 E 2555
騎馬登用 虚報破壊 迎撃
とみたもりざね 朝廷保守鷹派岩代武将(1475-1524)蘆名家臣。美作と称す。富田家は蘆名四天の宿老の一。主家の盛高・盛滋親子が対立した際は、盛高方に属し、盛滋方に属した松本家らと戦いを繰り広げた。
富田 盛実 202352 C 7451
足軽威圧 威圧誘導 -
にかいどうゆきあきら 朝廷・名声好戦直情岩代武将(1462-1500)二階堂家15代当主。山城守と称す。二階堂家は、鎌倉幕府の公文所寄人を務めた工藤行政が、鎌倉二階堂に邸宅を構えて地名を姓としたのに始まるという。
二階堂 行詮 412418 D 4549
騎馬農業 罵声- -
にかいどうはるゆき 朝廷保守鷹派岩代武将(1482-1543)二階堂家16代当主。行詮の嫡男。遠江守と称す。1534年、蘆名家らとともに岩城家・白河結城家と戦ったほか、周辺の田村家などともたびたび戦った。
二階堂 晴行 274833 E 3345
長槍弁舌 密偵修復 -
あんとうただすえ 朝廷好戦陰湿羽後武将(1453-1511)檜山安東家5代当主。父・政季が家臣に殺されたため、家督を継ぐ。檜山城を築き、居城とした。1496年、悪政の咎により松前守護職・下国恒季を討った。
安東 忠季 664144 J 5754
騎馬改修 罵声誘導 -

<-BACK 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 NEXT->

実行時間:0.0234375
system:CGIROOM

▼「信長の野望」&「太閤立志伝」武将検索▼

 | 全国版  | 戦国群雄伝  | 武将風雲録  | 覇王伝  | 天翔記  | 将星録  | 烈風伝  | 嵐世記  | 蒼天録  |
 | 天下創世  | 革新  | 天道  | 国盗り頭脳バトル  | Internet  | 携帯版  | GB版  | for WS  | DS2  |
 | 太閤立志伝  | 太閤立志伝2  | 太閤立志伝3  | 太閤立志伝4  | 太閤立志伝5  |