武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
ほうじょう | | うじてる |
通常版 |
相模伊豆 |
1555 |
(1540-1590)氏康の次男。軍事・外交の両面で兄・氏政を補佐する。北条領国の東部方面で活躍し、下野、下総を攻略した。小田原開城後、豊臣秀吉の命で兄とともに自害。 |
北条 | 源三 | 氏照 |
武将 | 騎馬 |
[改修] [登用] [突撃] |
52 | 65 | 49 |
70 | 90 |
77 |
ほうじょう | | うじくに |
通常版 |
相模伊豆 |
1556 |
(1541-1597)氏康の三男。鉢形城主。上杉家との同盟締結を成功させた。豊臣秀吉の小田原征伐では出撃を主張するが退けられた。前田利家軍に攻められて敗北、降伏した。 |
北条 | 新太郎 | 氏邦 |
武将 | 弓 |
[商業] [逃亡] [連射] |
59 | 60 | 50 |
61 | 65 |
87 |
ほうじょう | | うじひで |
通常版 |
相模伊豆 |
1569 |
(1554-1579)北条氏康の七男。越相同盟成立の際に越後に赴く。のちに上杉謙信の養子となった。謙信の死後、「御館の乱」において上杉景勝と家督を争うが、敗死した。 |
北条 | 三郎 | 氏秀 |
武将 | 荷駄 |
[商業] [激励] |
48 | 34 | 16 |
52 | 60 |
79 |
いたべおか | | こうせっさい |
通常版 |
相模伊豆 |
1552 |
(1537-1609)北条家臣。右筆・評定衆を務めた。徳川家康との講和交渉や、豊臣秀吉との折衝など、対外交渉に手腕を発揮した。主家滅亡後は、秀吉に御咄衆として仕えた。 |
板部岡 | 融成 | 江雪斎 |
旧仏教 | 槍 |
[外交] [茶湯] |
66 | 3 | 65 |
28 | 70 |
87 |
いのまた | | くにのり |
通常版 |
相模伊豆 |
1564 |
(1549-1590)北条家臣。鉢形城主・北条氏邦に属す。真田昌幸の支城・名胡桃城を独断で奪取し、豊臣秀吉に小田原征伐の口実を与えた。主家滅亡後、磔刑に処せられた。 |
猪俣 | | 邦憲 |
武将 | 槍 |
[槍衾] |
4 | 30 | 11 |
63 | 50 |
78 |
まつだ | | のりひで |
通常版 |
相模伊豆 |
1545 |
(1530-1590)北条家臣。筆頭家老を務める。豊臣秀吉の小田原征伐の際は小田原城への籠城を主張し採用された。のちに秀吉に寝返ろうとして失敗、戦後、自害させられた。 |
松田 | | 憲秀 |
武将 | 弓 |
[開墾] [引抜] |
58 | 10 | 66 |
71 | 35 |
17 |
うどの | | うじなが |
通常版 |
三河 |
1562 |
(1549-1624)今川家臣。長照の子。父が戦死した際に徳川家康に捕らえられ、家康の妻子と引き換えに駿府城に赴く。主家滅亡後は徳川家に属し、長篠合戦などに従軍した。 |
鵜殿 | 三郎 | 氏長 |
武将 | 槍 |
[茶湯] |
32 | 7 | 20 |
22 | 50 |
27 |
くしま | | うじかつ |
通常版 |
三河 |
1574 |
(1559-1611)北条家臣。氏繁の子。父の死後、玉縄城主となる。豊臣秀吉の小田原征伐の際は山中城を守るが落城、その後は居城に籠城するが降伏、戦後は徳川家に仕えた。 |
福島 | | 氏勝 |
武将 | 騎馬 |
[守戦] |
24 | 32 | 20 |
30 | 45 |
87 |
くの | | むねよし |
通常版 |
駿河遠江 |
1542 |
(1527-1609)徳川家臣。久能城主。はじめ今川家に仕えるが、徳川家臣・高力清長を通じて徳川家康に属す。家康の関東入国時に佐倉城主となるが、のちに久能城に戻った。 |
久能 | 三郎左衛門 | 宗能 |
国人衆 | 槍 |
[改修] |
41 | 35 | 48 |
27 | 40 |
17 |
まつだいら | | ひでただ |
通常版 |
三河 |
1594 |
(1579-1632)家康の三男。関ヶ原合戦の際、中山道からの進軍を真田昌幸に阻まれ、父の不興を買う。しかし、凡庸篤実な人柄を父に見込まれ、江戸幕府2代将軍となった。 |
松平 | 竹千代 | 秀忠 |
武将 | 槍 |
[検地] [茶湯] |
76 | 28 | 79 |
85 | 60 |
78 |
おだ | | のぶゆき |
通常版 |
尾張 |
1551 |
(1536-1557)信秀の次男。うつけと呼ばれた兄・信長に対し、幼少より利発で家中の評判が良かった。次期当主として林秀貞らに擁立されたが、信長に清洲城で謀殺された。 |
織田 | 勘十郎 | 信行 |
武将 | 弓 |
[開墾] [収拾] |
48 | 29 | 15 |
71 | 55 |
79 |
おだ | | のぶずみ |
通常版 |
尾張 |
1557 |
(1555-1582)信行の子。伯父・信長に仕える。明智光秀の娘を娶った。「一段の逸物」と評された器量の持ち主であったが、本能寺の変の際に、従兄弟・信孝に殺された。 |
織田 | 七兵衛 | 信澄 |
武将 | 荷駄 |
[登用] |
39 | 44 | 12 |
17 | 70 |
79 |
はやし | | ひでさだ |
通常版 |
尾張 |
1529 |
(1514-1580)織田家臣。筆頭家老。主家の家督争いでは信行を擁立して敗れるが、許される。その後は目立つ働きがなく、のちに信行擁立の件を蒸し返され、追放された。 |
林 | 新五郎 | 秀貞 |
武将 | 弓 |
[引抜] [守戦] |
54 | 15 | 63 |
73 | 40 |
78 |
きのした | | ひであき |
通常版 |
尾張 |
1597 |
(1582-1602)木下家定(秀吉の義兄)の子。豊臣秀吉の命により小早川隆景の養子となる。関ヶ原合戦では東軍に寝返り、東軍勝利に貢献したが、その2年後に急死した。 |
木下 | 辰之助 | 秀秋 |
武将 | 槍 |
[逃亡] |
15 | 38 | 11 |
45 | 40 |
7 |
あさの | | よしなが |
通常版 |
尾張 |
1591 |
(1576-1613)豊臣家臣。長政の嫡男。関ヶ原合戦では東軍に属し、戦後、紀伊和歌山37万石を領する。のちに加藤清正と協力し、徳川家康と豊臣秀頼の会見を実現させた。 |
浅野 | | 幸長 |
国人衆 | 槍 |
[改修] [守戦] [雨撃] |
63 | 56 | 66 |
49 | 70 |
97 |
あさの | | ながあきら |
通常版 |
尾張 |
1601 |
(1586-1632)徳川家臣。長政の次男。兄・幸長の死後紀伊和歌山藩主となる。大坂夏の陣では塙団右衛門を討つなど活躍した。福島家の改易後、安芸広島42万石を領した。 |
浅野 | 岩松 | 長晟 |
国人衆 | 槍 |
[茶湯] [収拾] |
48 | 43 | 45 |
41 | 65 |
97 |
ふくしま | | まさのり |
通常版 |
尾張 |
1576 |
(1561-1624)豊臣家臣。賤ヶ岳七本槍の筆頭。関ヶ原合戦では東軍の主力として奮戦し、安芸広島49万石を得た。しかし、のちに居城・広島城無断修築の罪で改易される。 |
福島 | 市松 | 正則 |
武将 | 騎馬 |
[訓練] [激励] [槍衾] [突撃] |
46 | 82 | 35 |
65 | 90 |
97 |
やまのうち | | かずとよ |
通常版 |
尾張 |
1561 |
(1546-1605)織田家臣。妻・千代の内助の功が著名。本能寺の変後は豊臣秀吉に属す。関ヶ原合戦の際は居城・掛川城を徳川家康に献上し、戦後、土佐高知24万石を得た。 |
山内 | 伊右衛門 | 一豊 |
国人衆 | 鉄砲 |
[引抜] |
43 | 35 | 49 |
42 | 30 |
87 |
ひねの | | ひろなり |
通常版 |
美濃飛騨 |
1533 |
(1518-1602)豊臣家臣。はじめ斎藤家に仕え、織田信長と戦う。主家滅亡後は浅井家に属し、浅井家の滅亡後、豊臣家に仕えた。合戦に実用的な兜「日根野鉢」を考案した。 |
日根野 | 徳太郎 | 弘就 |
武将 | 騎馬 |
[逃亡] |
16 | 55 | 42 |
69 | 60 |
47 |
かに | | さいぞう |
通常版 |
美濃飛騨 |
1569 |
(1554-1613)福島家臣。侍大将を務める。宝蔵院胤栄に槍術を学ぶ。関ヶ原合戦では討ち取った17の首級すべてに笹を差して目印としたため「笹の才蔵」の異名をとった。 |
可児 | 吉長 | 才蔵 |
武将 | 槍 |
[捕縛] [槍衾] |
5 | 71 | 23 |
49 | 80 |
77 |