『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
やはぎ しげつね 通常版 陸前 1570 (1555-1591)葛西家臣。外館城主。浜田兵乱鎮定に功を立て、浜田家に代わって気仙郡の旗頭となった。この際、金の采配を許されたという。のち伊達政宗に謀殺された。
矢作 重常 武将
[商業]  263540 4085 77
おおさき よしたか 通常版 陸前 1563 (1548-1603)大崎家13代当主。義直の子。伊達政宗の軍を一度は退けるが、のち、その傘下に入る。豊臣秀吉の小田原征伐に遅参したため改易され、上杉景勝に仕えた。
大崎 義隆 武将騎馬
[商業] [回復]  374823 4970 97
おおさき よしのぶ 通常版 陸前 1541 (1526-1550)大崎家11代当主。伊達稙宗の次男。大崎高兼の娘を娶り、家督を継ぐ。伊達家の内紛(天文の大乱)で敗北、葛西領へ逃れようとしたが、途中で討たれた。
大崎三郎義宣 武将騎馬
[説得]  321616 4775 75
いちくり たかはる 通常版 陸前 1572 (1557-1614)大崎家臣。一栗城主。葛西・大崎一揆の際は居城に籠城し、最後まで奮戦する。一揆鎮定後は最上家に仕え、鶴岡城番を務めたが、謀叛を起こして誅せられた。
一栗 高春 武将
[引抜] [回復]  103538 5030 97
うじいえ たかつぐ 通常版 陸前 1522 (1507-1556)大崎家臣。三丁目城主。氏家家の祖は、斯波家兼の執事を務めた氏家左衛門重定であるという。子・吉継が岩出山城主となった際に、三丁目城に隠棲した。
氏家 隆継 武将
[開墾] [連射]  564632 5160 97
うじいえ よしつぐ 通常版 陸前 1547 (1532-1591)大崎家臣。岩出山城主。大崎内乱の際には伊場野惣八郎と結び、反主流派の中心人物として活動した。主家の没落後は伊達政宗に仕えたが、間もなく病没した。
氏家 吉継 武将鉄砲
[引抜]  604554 7935 97
そうま あきたね 通常版 磐城 1521 (1508-1549)相馬家14代当主。盛胤の嫡男。小高城主。伊達家の内紛(天文の大乱)では舅の伊達稙宗を助けて奮戦し、晴宗に圧迫された稙宗を居城に引き取った。
相馬孫次郎顕胤 武将騎馬
[登用] [突撃]  416646 5270 7
そうま もりたね 通常版 磐城 1544 (1529-1601)相馬家15代当主。顕胤の嫡男。小高城主。天文の大乱後は伊達家と敵対し、各地で死闘を展開する。一方、近隣の田村清顕とは和睦し、所領の基盤を固めた。
相馬孫次郎盛胤 武将騎馬
[開墾] [奉仕] [激励] [突撃]  547455 7780 7
そうま よしたね 通常版 磐城 1563 (1548-1635)相馬家16代当主。盛胤の嫡男。伊達家と各地で抗争を展開した。関ヶ原合戦で西軍に属していったん改易されるが、伊達政宗の取りなしで本領を安堵された。
相馬孫次郎義胤 武将騎馬
[改修] [捕縛] [突撃]  486844 3685 7
みずたに たねしげ 通常版 磐城 1553 (1538-1606)相馬家臣。父・胤氏が伊達家との戦いで戦死し、家督を継ぐ。関ヶ原合戦の際、伊達政宗が相馬領を通れるよう手配し、このことが主家を改易処分から救った。
水谷 胤重 武将
[回復] [攻城]  202337 4475 7
だて ちかたか 通常版 羽前 1557 (1542-1594)奥州大館城主。伊達晴宗の長男。岩城重隆の養子となって家督を継ぎ、養父が築いた領国を継承する。しかし、佐竹家の侵攻を受け、従属を余儀なくされた。
伊達孫次郎親隆 武将
[商業] [収拾]  443331 4770 75
だて つねたか 通常版 羽前 1582 (1567-1590)奥州大館城主。親隆の子。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣して戦功を立て、秀吉から所領を安堵されたが、北条家の降伏後間もなく、鎌倉で病没した。
伊達 常隆 武将鉄砲
[改修] [槍衾]  402831 4380 76
しらかわ よしつな 通常版 磐城 1521 (1506-1555)白河結城家当主。顕頼の子。白河結城家は祐広を初代とし、南北朝期は南朝方についた。永享の大乱の際には直朝が南奥州の中心人物として活躍している。
白河 義綱 武将
[開墾] [回復] [守戦]  433152 2265 17
しらかわ はるつな 通常版 磐城 1544 (1529-1573)白河結城家当主。義綱の子。内乱を鎮定して北上を続ける佐竹家と抗争し、次第に所領を奪われる。蘆名家と結んで対抗したが、間もなく失明、病死した。
白河 晴綱 武将
[回復] [連射]  553655 5475 17
かながみ もりざね 通常版 岩代 1566 (1551-1590)蘆名家臣。盛備の嫡男。父が摺上原合戦で戦死した後も、居城・津川城に籠城して伊達家に対抗するが降伏。間もなく津川城主を罷免され、行方不明となった。
金上 盛実 武将
[回復]  394753 6375 47
はりゅう もりのぶ 通常版 岩代 1568 (1553-1625)蘆名家臣。盛幸(蘆名盛滋の子)の孫。1576年、金上盛実と席次の上下を争ったという。関ヶ原合戦で西軍に属したため所領を失い、伊達家に仕えた。
針生 盛信 武将
[連射]  40831 6845 47
まつもと うじすけ 通常版 岩代 1550 (1535-1574)蘆名家臣。舜輔の子。蘆名四天の宿老の一。図書助を称し、奥州船岡城主を務めた。1574年に、田村清顕の軍と安積郡福原で戦った際に戦死した。
松本 氏輔 武将荷駄
[訓練] [攻城]  352636 5755 47
にほんまつ むらくに 通常版 岩代 1490 (1475-1542)二本松畠山家10代当主。政国の嫡男。二本松家は畠山義忠の未亡人を娶った畠山義純を始祖とし、奥州探題となった4代当主・高国以後、二本松と号した。
二本松 村国 武将騎馬
[改修] [引抜]  645273 6575 17
にほんまつ いえやす 通常版 岩代 1527 (1512-1546)二本松畠山家11代当主。村国の嫡男。居城・二本松城は、7代当主・満泰によって応永年間(1394〜1427)に築かれた。別名を霧ヶ城という。
二本松七郎家泰 武将
[連射]  342536 3950 17
にほんまつ よしうじ 通常版 岩代 1545 (1530-1547)二本松畠山家12代当主。村国の次男。天文の大乱の際は伊達稙宗方についた。18歳で早世し、子が無かったため、従兄弟の新城義国が二本松宗家を継いだ。
二本松七郎義氏 武将
[回復]  273240 4860 17

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