『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
まえば よしつぐ 通常版 越前若狭 1556 (1541-1574)朝倉家臣。織田信長の越前侵攻軍にいち早く降り、道案内を担当した。この功によって越前守護代となるが、これを不服とした富田長繁に攻められ、敗死した。
前波九郎兵衛吉継 武将騎馬
[槍衾]  431821 3945 72
たけだ よしずみ 通常版 越前若狭 1541 (1526-1567)若狭守護。信豊の子。父と和睦した後に家督を継ぐ。のちに義弟・足利義昭が頼ってくるが、内紛が相次いでいたため、義昭を奉じての上洛は果たせなかった。
武田彦二郎義統 武将騎馬
[守戦]  393730 3255 73
あざい ながまさ 通常版 近江 1560 (1545-1573)近江の戦国大名。小谷城主。久政の子。織田信長の妹・市を娶るが、朝倉家との友誼を重んじ信長と敵対。居城を攻められ、市と娘たちを信長に託し自害した。
浅井新九郎長政 武将騎馬
[商業] [訓練] [回復] [突撃]  588133 78100 73
いその かずまさ 通常版 近江 1542 (1527-1578)浅井家臣。佐和山城主。姉川合戦では先鋒を務めた。その後居城が孤立したため織田信長に降る。近江新庄城主となるが信長の勘気を蒙り、高野山に出奔した。
磯野 員昌 武将
[連射]  156925 5055 73
がもう さだひで 通常版 近江 1523 (1508-1579)六角家臣。六角軍の先鋒として各地に出陣し活躍、勇名を馳せた。主君・義治が後藤賢豊を謀殺した「観音寺騒動」の際は、義治と家臣団間の調停役を務めた。
蒲生藤十郎定秀 武将騎馬
[開墾] [収拾] [説得]  585351 7165 7
がもう かたひで 通常版 近江 1549 (1534-1584)六角家臣。定秀の子。織田信長上洛の際は信長の三男・信孝が妹婿・神戸具盛の養子となった関係から織田家に属す。本能寺の変の際は信長の妻子を保護した。
蒲生藤太郎賢秀 武将
[捕縛] [連射]  494653 5185 7
おがわ すけただ 通常版 近江 1564 (1549-1601)近江の豪族。明智光秀に属す。光秀の死後は柴田勝豊の家老を経て豊臣秀吉に仕え、伊予府中7万石を領した。関ヶ原合戦で東軍に寝返るが、戦後改易された。
小川孫一郎祐忠 国人衆
[攻城]  202948 6530 27
ほそかわ ふじたか 通常版 山城 1549 (1534-1610)足利家臣。主君・義輝の横死後は義輝の弟・義昭の擁立に貢献した。その後は的確な情勢判断で細川家の命脈を保った。古今伝授を受けた文化人としても著名。
細川与一郎藤孝 武将
[外交] [奉仕] [茶湯] [守戦]  856682 7870 71
ほそかわ ただおき 通常版 山城 1578 (1563-1645)織田家臣。藤孝の子。明智光秀の娘を娶るが、本能寺の変後は豊臣家に属す。関ヶ原合戦では東軍に属し、豊前中津39万6千石を領した。利休七哲の1人。
細川与一郎忠興 武将
[商業] [茶湯] [激励] [雨撃]  757267 7280 71
まつい やすゆき 通常版 山城 1565 (1550-1612)足利家臣。茶の湯に通じた。主君・義輝の横死後は細川藤孝に仕え、丹後平定などで活躍した。関ヶ原合戦では東軍に属し、戦後、豊後杵築2万6千石を領す。
松井新助康之 武将鉄砲
[開墾] [茶湯]  403144 1485 71
すすきだ かねすけ 通常版 山城 1593 (1578-1615)豊臣家臣。大坂冬の陣で博労ヶ淵砦の守備に失敗し、「橙武者」と嘲られた。大坂夏の陣で勇戦し、戦死した。ひひ退治の豪傑・岩見重太郎と同一人物という。
薄田 兼相 武将
[訓練]  3571 5880 27
はたの たねみち 通常版 丹波丹後 1511 (1496-1545)管領細川家臣。将軍・足利義稙の偏諱を受け、稙通と名乗る。主君・高国に与力して丹波一帯に一大勢力を築き上げた。のちに細川晴元に属し、高国と戦った。
波多野与兵衛稙通 武将騎馬
[改修] [収拾] [守戦] [混乱]  716981 8560 27
はたの はるみち 通常版 丹波丹後 1535 (1520-1560)管領細川家臣。稙通の子。三好軍の度重なる攻撃を受ける。撃退に努めるがのちに松永久秀に降り、城を追われた。居城の八上城には久秀の甥・彦六が入った。
波多野与兵衛晴通 武将
[逃亡]  343435 5070 27
はたの むねたか 通常版 丹波丹後 1526 (1511-1573)丹波の豪族。氷上城主。「西波多野」と呼ばれた波多野家の一族。「丹波鬼」の異名で呼ばれた勇将で、正親町天皇の即位式の際には洛中を警護したという。
波多野 宗高 武将
[改修] [外交] [連射]  435154 6490 27
いっしき よしさだ 通常版 丹波丹後 1573 (1558-1582)丹後の戦国大名。義道の子。父の死後、家臣・稲富祐直を頼り、細川藤孝軍と戦う。のち明智光秀の斡旋で和睦し藤孝の娘を娶るが、再び背いたため殺された。
一色 義定 武将鉄砲
[開墾] [登用] [三段]  455636 5180 72
いっしき よしきよ 通常版 丹波丹後 1550 (1535-1582)丹後の戦国大名。甥・義定が細川藤孝に謀殺された後、丹後弓木城に入って一色家を継ぐ。しかし、細川忠興に城を包囲されたため、敵陣に突入して戦死した。
一色 義清 武将荷駄
[商業] [雨撃]  254532 2670 72
いなどめ すけひで 通常版 丹波丹後 1523 (1508-1567)一色家臣。丹後忍木城主。相模守を称した。佐々木少輔次郎義国に砲術を学び、創意を加えた。のちに孫・祐直に砲術を教え、稲富流砲術の基礎を築き上げた。
稲富 祐秀 国人衆鉄砲
[三段] [雨撃]  244843 4475 73
いなどめ すけなお 通常版 丹波丹後 1567 (1552-1611)一色家臣。稲富流砲術の始祖。主家滅亡後は細川忠興に属し、鉄砲の師範を務める。のちに徳川家に仕え、幕府鉄砲方として国友鍛冶集団の組織化に尽力した。
稲富弥四郎祐直 国人衆鉄砲
[三段] [雨撃]  125741 2760 73
ほそかわ もちたか 通常版 阿波 1512 (1497-1553)阿波守護。播磨守護・赤松晴政の要請により尼子晴久と備中で戦い敗れる。のちに足利義栄を擁し入京を試みるが、家臣の三好義賢と対立し、義賢に殺された。
細川 持隆 武将騎馬
[貿易] [槍衾]  463935 6855 47
ほそかわ さねゆき 通常版 阿波 1553 (1538-1582)持隆の子。父を殺した三好義賢に擁立され、阿波勝瑞城主となる。のち長宗我部元親とともに三好長治を討つが、長治の弟・十河存保に居城を追われ自害した。
細川六郎真之 武将
[引抜]  20135 3745 47

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