武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
まりやつ | | のぶたか |
通常版 |
上総安房 |
1527 |
(1512-1551)真里谷武田家一族。信保の庶長子。異母弟・信応と家督を争う。一時は居城・峯上城を落とされて逃亡したが、北条家の後援で真里谷城に復帰、家督を継いだ。 |
真里谷 | | 信隆 |
武将 | 荷駄 |
[逃亡] |
43 | 25 | 41 |
79 | 40 |
72 |
うつのみや | | ひさつな |
通常版 |
下野 |
1527 |
(1512-1549)宇都宮家20代当主。興綱の嫡男。那須政資・高資父子の抗争の際、政資を支持した。のちに高資の支城・喜連川城を攻めるが、那須軍の奇襲に遭い敗死した。 |
宇都宮 | 弥三郎 | 尚綱 |
武将 | 騎馬 |
[回復] [突撃] |
39 | 41 | 34 |
50 | 45 |
17 |
うつのみや | | くにつな |
通常版 |
下野 |
1580 |
(1568-1607)宇都宮家22代当主。広綱の嫡男。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、所領を安堵される。しかし、豊臣家内部の権力闘争に巻き込まれ、所領を没収された。 |
宇都宮 | 弥三郎 | 国綱 |
武将 | 鉄砲 |
[登用] [逃亡] |
46 | 54 | 49 |
46 | 60 |
17 |
せんぼん | | すけまさ |
通常版 |
下野 |
1556 |
(1541-1585)那須七党の一。資俊の子。大関高増の次女を娶るが、のちに高増と対立した際に離別し、実家に送り返している。父とともに高増の軍勢に襲われ、謀殺された。 |
千本 | | 資政 |
武将 | 弓 |
[連射] |
30 | 40 | 22 |
41 | 70 |
47 |
うえすぎ | | のりまさ |
通常版 |
上野 |
1525 |
(1523-1579)山内上杉家20代当主。河越合戦に敗れて勢力を失い、北条軍に追われ越後に逃走。長尾景虎に上杉姓と関東管領職を譲った。御館の乱で上杉景勝に殺された。 |
上杉 | 五郎 | 憲政 |
武将 | 槍 |
[逃亡] |
24 | 21 | 16 |
83 | 60 |
37 |
ながの | | なりまさ |
通常版 |
上野 |
1506 |
(1491-1561)山内上杉家臣。主家滅亡後も居城・箕輪城を守り、武田信玄の侵攻を6度にわたって撃退した。「業正がいる限り上州には手は出せぬ」と信玄を嘆かせた智将。 |
長野 | | 業正 |
武将 | 騎馬 |
[改修] [登用] [守戦] [突撃] |
45 | 97 | 91 |
50 | 100 |
37 |
ながの | | なりもり |
通常版 |
上野 |
1561 |
(1546-1563)山内上杉家臣。箕輪城主。業正の子。父の死後、家督相続。上州攻略を目指す武田軍に徹底抗戦を挑み、死者千六百余、負傷数千という損害を与え、自害した。 |
長野 | | 業盛 |
武将 | 騎馬 |
[守戦] [槍衾] |
31 | 53 | 34 |
34 | 100 |
37 |
おばた | | のぶさだ |
通常版 |
上野 |
1556 |
(1541-1592)武田家臣。重貞の嫡男。西上野先方衆の主力として活躍した。主家の滅亡後は北条家に仕え、北条家滅亡後は上田城主・真田昌幸のもとに赴き、庇護を受けた。 |
小幡 | | 信貞 |
国人衆 | 騎馬 |
[開墾] [収拾] |
26 | 53 | 30 |
35 | 80 |
37 |
ながお | | のりかげ |
通常版 |
上野 |
1526 |
(1511-1583)山内上杉家臣。惣社長尾家の出身で、白井長尾家当主・景誠が殺されたため、その遺跡を継いだ。主家滅亡後は上杉謙信に仕え、謙信の死後は北条家に属した。 |
長尾 | 孫四郎 | 憲景 |
武将 | 弓 |
[改修] |
58 | 39 | 54 |
32 | 65 |
37 |
いわまつ | | うじずみ |
通常版 |
上野 |
1522 |
(1507-1548)新田岩松家13代当主。新田岩松家は清和源氏足利家の支族で、足利時兼を始祖とする。南北朝期には、新田宗家が南朝方に属したのに対し、北朝方で戦った。 |
岩松 | | 氏純 |
国人衆 | 弓 |
[連射] |
39 | 18 | 15 |
41 | 50 |
76 |
いわまつ | | もりずみ |
通常版 |
上野 |
1547 |
(1532-1616)新田岩松家14代当主。氏純の子。戦国期の新田岩松家は、家老・横瀬家により居城を奪われ、衰退の一途をたどっていた。のちに徳川家に旗本として仕えた。 |
岩松 | | 守純 |
国人衆 | 槍 |
[回復] |
45 | 4 | 40 |
9 | 60 |
79 |
あかい | | かつみつ |
通常版 |
上野 |
1502 |
(1487-1536)上野の豪族。青柳城主。1536年に忍城を攻めた。赤井家は戦国初期に台頭し大袋城を築く。大袋城は1471年に太田道灌らにより攻め落とされたという。 |
赤井 | | 勝光 |
国人衆 | 騎馬 |
[改修] [槍衾] |
57 | 53 | 65 |
66 | 70 |
7 |
あかい | | てるやす |
通常版 |
上野 |
1525 |
(1510-1559)上野の豪族。1555年に館林城を築き大袋城から居城を移した。館林城は白狐が尾を曳いて縄張りを行ったという伝説が残っており、別名を尾曳城という。 |
赤井 | | 照康 |
国人衆 | 弓 |
[激励] [逃亡] |
38 | 43 | 40 |
55 | 65 |
7 |
あかい | | てるかげ |
通常版 |
上野 |
1548 |
(1533-1562)上野の豪族。館林城主。照康の子。父の死後、家督を継ぐ。上杉謙信の関東侵攻軍に従わなかったため、1562年に謙信の攻撃を受けて落城、忍城に逃れた。 |
赤井 | | 照景 |
国人衆 | 鉄砲 |
[逃亡] |
23 | 15 | 30 |
43 | 55 |
7 |
なりた | | おさただ |
通常版 |
武蔵 |
1565 |
(1550-1616)北条家臣。忍城主。長泰の次男。主家滅亡後は蒲生氏郷に仕える。兄・氏長の死後、その遺領を継いだ。関ヶ原合戦では東軍に属した。大坂の陣にも参陣した。 |
成田 | | 長忠 |
国人衆 | 槍 |
[回復] |
42 | 39 | 32 |
49 | 70 |
72 |
おおた | | すけより |
通常版 |
武蔵 |
1510 |
(1495-1541)扇谷上杉家臣。岩付城主。北条氏綱の攻撃を受けた際、家臣・渋江三郎が叛逆したため居城が落城し、石戸城に逃れる。のちに三郎を討って居城を奪還した。 |
太田 | 彦六 | 資頼 |
武将 | 騎馬 |
[収拾] |
46 | 32 | 53 |
38 | 45 |
37 |
おおた | | すけとき |
通常版 |
武蔵 |
1535 |
(1520-1546)扇谷上杉家臣。岩付城主。資頼の子。父の死後、家督を継ぐ。河越合戦において主君・朝定が北条氏康の奇襲を受けて戦死し、のちは北条家に属した。 |
太田 | 彦六 | 資時 |
武将 | 弓 |
[守戦] |
26 | 20 | 37 |
44 | 55 |
37 |
みやぎ | | まさなり |
通常版 |
武蔵 |
1510 |
(1495-1589)岩付太田家臣。北条氏政の三男・氏房の岩付太田家入嗣後は北条家に属す。孫・泰業は馬上奉行を務め、主家滅亡後は主君・氏房らとともに高野山に上った。 |
宮城 | | 政業 |
武将 | 弓 |
[商業] |
46 | 40 | 51 |
73 | 70 |
67 |
ふじた | | のぶよし |
通常版 |
武蔵 |
1574 |
(1559-1616)武田家臣。主家滅亡後は上杉家に仕え、佐渡攻略などに活躍した。関ヶ原合戦の直前に上杉家を出奔、上杉・徳川家間の調停工作を行うが失敗し、剃髪した。 |
藤田 | 弥六郎 | 信吉 |
国人衆 | 騎馬 |
[改修] [逃亡] |
42 | 41 | 50 |
65 | 30 |
76 |
ほうじょう | | うじまさ |
通常版 |
相模伊豆 |
1553 |
(1538-1590)後北条家4代当主。氏康の嫡男。優秀な弟たちや家臣団に支えられ、関東一円に広大な領国を築き上げた。豊臣秀吉の小田原征伐軍に敗北し、戦後自害した。 |
北条 | | 氏政 |
武将 | 弓 |
[商業] [改修] [守戦] |
55 | 60 | 46 |
77 | 65 |
77 |