武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
かさい | | はるたね |
通常版 |
陸前 |
1512 |
(1497-1555)葛西家15代当主。晴重の次男。寺池城主。兄・守信とその養子・晴清(伊達稙宗の六男)がともに早世したため、家督相続。将軍・足利義晴の偏諱を受けた。 |
葛西 | | 晴胤 |
武将 | 槍 |
[登用] [収拾] |
45 | 42 | 51 |
34 | 75 |
76 |
いわぶち | | つねふみ |
通常版 |
陸前 |
1511 |
(1496-1565)葛西家臣。岩淵家は秀郷流藤原氏の流れをくむ。鎌倉時代後期に、宗尊親王に仕えた下河辺定経が下総国猿島郡岩淵郷に住み、岩淵姓を名乗ったという。 |
岩淵 | 善二郎 | 経文 |
武将 | 騎馬 |
[激励] [捕縛] |
48 | 42 | 43 |
24 | 70 |
76 |
かしやま | | あきよし |
通常版 |
陸中 |
1545 |
(1530-1590)葛西家臣。大林城主。柏山家は奥州千葉家の一族。胆沢郡の惣領職を務め、家中屈指の軍事力を誇っていた。葛西・大崎一揆で総大将を務めた柏山明宗の父。 |
柏山 | | 明吉 |
武将 | 荷駄 |
[改修] [捕縛] [槍衾] |
39 | 38 | 57 |
65 | 65 |
76 |
かしやま | | あきなが |
通常版 |
陸中 |
1573 |
(1558-1591)葛西家臣。柏山明吉の三男。小山城主。弟・折居明久とともに領内屈指の荒武者といわれ、1581年の柏山家内乱の際には家老・三田将監を殺害した。 |
柏山 | 九郎 | 明長 |
武将 | 弓 |
[捕縛] |
7 | 48 | 43 |
60 | 65 |
76 |
かしやま | | あきひさ |
通常版 |
陸中 |
1576 |
(1561-1591)葛西家臣。柏山明吉の四男。折居館主。領内屈指の荒武者といわれ、柏山家内乱の際には家老・三田将監を殺害。葛西・大崎一揆では叛乱軍の総帥となった。 |
柏山 | | 明久 |
武将 | 槍 |
[攻城] [混乱] |
4 | 57 | 27 |
87 | 50 |
76 |
はまだ | | ひろつな |
通常版 |
他 |
1538 |
(1523-1592)葛西家臣。東館および米ヶ崎城主。気仙地方の旗頭。熊谷党と争う「浜田兵乱」が勃発した際、宗家の措置を不満として叛乱を企むが敗れ、没落した。 |
浜田 | | 広綱 |
水軍衆 | 鉄砲 |
[訓練] [貿易] [槍衾] |
31 | 58 | 44 |
36 | 45 |
76 |
むやり | | しげのぶ |
通常版 |
陸前 |
1541 |
(1526-1591)葛西家臣。武鑓城主。富沢家の叛乱鎮定や、浜田家と熊谷家の兵乱鎮圧などに従軍し、活躍した。桃生郡深谷において弟の儀信とともに伊達政宗に謀殺された。 |
武鑓 | 又三郎 | 重信 |
武将 | 弓 |
[攻城] |
20 | 40 | 39 |
62 | 75 |
76 |
だて | | つねたか |
通常版 |
羽前 |
1582 |
(1567-1590)奥州大館城主。親隆の子。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣して戦功を立て、秀吉から所領を安堵されたが、北条家の降伏後間もなく、鎌倉で病没した。 |
伊達 | | 常隆 |
武将 | 鉄砲 |
[改修] [槍衾] |
40 | 28 | 31 |
43 | 80 |
76 |
いわまつ | | うじずみ |
通常版 |
上野 |
1522 |
(1507-1548)新田岩松家13代当主。新田岩松家は清和源氏足利家の支族で、足利時兼を始祖とする。南北朝期には、新田宗家が南朝方に属したのに対し、北朝方で戦った。 |
岩松 | | 氏純 |
国人衆 | 弓 |
[連射] |
39 | 18 | 15 |
41 | 50 |
76 |
ふじた | | のぶよし |
通常版 |
武蔵 |
1574 |
(1559-1616)武田家臣。主家滅亡後は上杉家に仕え、佐渡攻略などに活躍した。関ヶ原合戦の直前に上杉家を出奔、上杉・徳川家間の調停工作を行うが失敗し、剃髪した。 |
藤田 | 弥六郎 | 信吉 |
国人衆 | 騎馬 |
[改修] [逃亡] |
42 | 41 | 50 |
65 | 30 |
76 |
あそ | | これまさ |
通常版 |
肥後 |
1535 |
(1520-1583)肥後の豪族。岩尾城主。惟豊の子。阿蘇大宮司を務めた。大友家に属す。家臣・甲斐親直の助力で、龍造寺家および島津家と和平交渉を行い、領国を維持した。 |
阿蘇 | | 惟将 |
旧仏教 | 弓 |
[守戦] [連射] |
48 | 46 | 31 |
54 | 50 |
76 |
あそ | | これみつ |
通常版 |
肥後 |
1583 |
(1582-1593)肥後の豪族。岩尾城主。惟種の子。わずか3歳で阿蘇大宮司となる。豊臣秀吉に降り、佐々成政に仕えるが、肥後国人一揆を煽動したとの讒言により殺された。 |
阿蘇 | | 惟光 |
旧仏教 | 鉄砲 |
[逃亡] |
19 | 25 | 6 |
50 | 70 |
76 |
かい | | ちかひで |
通常版 |
肥後 |
1555 |
(1540-1587)阿蘇家臣。肥後御船城主。宗運の子。島津軍に敗れて和睦するが、大友家との連絡を警戒され、肥後八代に抑留された。国人一揆に加担し、敗走中に討たれた。 |
甲斐 | | 親英 |
武将 | 荷駄 |
[引抜] [混乱] |
54 | 36 | 44 |
53 | 80 |
76 |
まつだいら | | よりふさ |
PK追加 |
三河 |
1616 |
(1603-1661)家康の十一男。徳川御三家の一・水戸藩の藩祖で「才」と評された。幼少より才気溢れ、家康の寵愛を受けた。家康に希望を尋ねられ「天下」と答えたという。 |
松平 | 鶴松 | 頼房 |
武将 | 騎馬 |
[開墾] [引抜] [検地] |
60 | 65 | 58 |
72 | 45 |
76 |
ふかぼり | | またごろう |
諸勢力 |
陸前 |
1555 |
(1540-1622)塩釜の商人。塩釜は奥州一の宮・塩竈神社の門前町、および塩釜港を擁する港町として栄えた。塩釜港は陸奥国府・多賀城への荷揚げ港として古くから栄えた。 |
深堀 | | 又五郎 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
49 | 42 | 58 |
40 | 45 |
76 |
にすぎ | | ごろうさぶろう |
諸勢力 |
土佐 |
1604 |
(1589-1653)須崎の商人。須崎は須崎港を擁する港町として発展した。はじめは「洲崎」といった。須崎港は天然の良港として漁港および避難港として利用されていた。 |
仁杉 | | 五郎三郎 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
53 | 50 | 47 |
49 | 40 |
76 |