武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
かのこぎ | | ちかかず |
通常版 |
肥後 |
1495 |
(1480-1549)菊池家臣。肥後隈本城主。大友義長の次男・義武の菊池家入嗣後は義武の家老となる。三条西実隆から「源氏物語」を購入するなど、文事にも関心が深かった。 |
鹿子木 | 寂心 | 親員 |
武将 | 弓 |
[商業] [引抜] [収拾] [攻城] |
78 | 73 | 88 |
81 | 45 |
64 |
かのこぎ | | しげあり |
通常版 |
肥後 |
1536 |
(1521-1550)菊池家臣。肥後隈本城主。親員の孫。祖父の死後、家督を継ぐ。大友家で二階崩れの変が勃発した際、反大友勢力を糾合して大友家と戦うが、敗れて没落した。 |
鹿子木 | | 鎮有 |
武将 | 騎馬 |
[混乱] |
49 | 24 | 44 |
72 | 35 |
64 |
くまべ | | ちかなが |
通常版 |
肥後 |
1531 |
(1516-1588)菊池家臣。肥後長野城主。主家没落後は龍造寺家に属す。豊臣秀吉の九州征伐軍に降るが、佐々成政の検地に抵抗して肥後国人一揆を起こし、敗れて殺された。 |
隈部 | | 親永 |
武将 | 弓 |
[引抜] |
22 | 32 | 36 |
76 | 50 |
65 |
あそ | | これまさ |
通常版 |
肥後 |
1535 |
(1520-1583)肥後の豪族。岩尾城主。惟豊の子。阿蘇大宮司を務めた。大友家に属す。家臣・甲斐親直の助力で、龍造寺家および島津家と和平交渉を行い、領国を維持した。 |
阿蘇 | | 惟将 |
旧仏教 | 弓 |
[守戦] [連射] |
48 | 46 | 31 |
54 | 50 |
76 |
あそ | | これみつ |
通常版 |
肥後 |
1583 |
(1582-1593)肥後の豪族。岩尾城主。惟種の子。わずか3歳で阿蘇大宮司となる。豊臣秀吉に降り、佐々成政に仕えるが、肥後国人一揆を煽動したとの讒言により殺された。 |
阿蘇 | | 惟光 |
旧仏教 | 鉄砲 |
[逃亡] |
19 | 25 | 6 |
50 | 70 |
76 |
かい | | ちかひで |
通常版 |
肥後 |
1555 |
(1540-1587)阿蘇家臣。肥後御船城主。宗運の子。島津軍に敗れて和睦するが、大友家との連絡を警戒され、肥後八代に抑留された。国人一揆に加担し、敗走中に討たれた。 |
甲斐 | | 親英 |
武将 | 荷駄 |
[引抜] [混乱] |
54 | 36 | 44 |
53 | 80 |
76 |
いんどう | | よりやす |
通常版 |
肥後 |
1536 |
(1521-1606)相良家臣。武勇にすぐれ、各地で活躍。肥後水俣城攻防戦では敵将・新納忠元と連歌を応酬した。主君・義陽の死後は深水長智とともに幼主・頼房を補佐した。 |
犬童 | 軍七 | 頼安 |
武将 | 騎馬 |
[登用] [収拾] [突撃] |
57 | 59 | 50 |
80 | 85 |
46 |
いんどう | | よりもり |
通常版 |
肥後 |
1583 |
(1568-1655)相良家臣。頼安の子。関ヶ原合戦では主君・頼房を東軍に内応させ、主家の存続に貢献。のち国家老を務めたが、専横の振る舞いが多く、津軽へ流罪となった。 |
犬童 | 清兵衛 | 頼兄 |
武将 | 槍 |
[検地] [捕縛] |
48 | 18 | 48 |
52 | 65 |
46 |
かわかみ | | ただかつ |
通常版 |
薩摩大隅 |
1522 |
(1507-1592)島津家臣。薩摩串木野城主。島津実久に属すも、島津忠良に降り、3年間甑島に配流となった。のち家老を務め、白山権現の再興に尽力するなど活躍した。 |
川上 | 又九郎 | 忠克 |
武将 | 荷駄 |
[商業] |
35 | 48 | 51 |
67 | 45 |
56 |
かわかみ | | ひさあき |
通常版 |
薩摩大隅 |
1551 |
(1536-1568)島津家臣。忠克の子。島津家の看経所に名を残した4人のうちの一人。18歳の時には主君・義久から守護代に推されたという。薩摩大口城攻めで戦死した。 |
川上 | 源三郎 | 久朗 |
武将 | 騎馬 |
[開墾] [収拾] [突撃] |
61 | 59 | 56 |
53 | 80 |
56 |
あまくさ | | しろう |
PK追加 |
肥後 |
1637 |
(1622-1638)島原の乱の総大将。学問修養のために訪れた長崎で入信、キリシタンとなる。一揆衆を率いて肥前原城に籠城、幕府軍に頑強に抵抗したが、力尽きて討たれた。 |
天草 | 時貞 | 四郎 |
武将 | 槍 |
[激励] [混乱] |
26 | 77 | 49 |
5 | 90 |
36 |
いこま | | まさとし |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1601 |
(1586-1621)徳川家臣。一正の子。父の死後、讃岐高松藩2代藩主となり、17万1千石を領す。大坂の陣には遊軍として参加した。正室には藤堂高虎の娘を迎えている。 |
生駒 | | 正俊 |
武将 | 荷駄 |
[商業] |
48 | 47 | 40 |
40 | 75 |
6 |
いしかわ | | さだきよ |
PK追加 |
尾張 |
1574 |
(1559-1625)豊臣家臣。尾張犬山城主を務める。関ヶ原合戦では西軍に属して勇戦。戦後、改易されるが死は免れる。その後は剃髪して宗林と号し、京都で金融業を営んだ。 |
石川 | 兵蔵 | 貞清 |
武将 | 弓 |
[開墾] [捕縛] |
44 | 47 | 30 |
44 | 65 |
65 |
いなば | | しげみち |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1559 |
(1544-1598)織田家臣。一鉄の庶長子。本能寺の変後は豊臣秀吉に仕え、馬廻を務める。小牧長久手合戦や九州征伐などに従軍し、父の死後、美濃清水1万2千石を領した。 |
稲葉 | 勘右衛門 | 重通 |
武将 | 弓 |
[連射] |
48 | 52 | 50 |
49 | 80 |
96 |
いなば | | さだみち |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1561 |
(1546-1603)織田家臣。一鉄の長男。本能寺の変後は豊臣秀吉に仕えた。関ヶ原合戦では織田秀信に従い西軍に属すが、のち東軍に降伏。戦後、豊後臼杵5万石を領した。 |
稲葉 | 彦六 | 貞通 |
武将 | 弓 |
[改修] [連射] |
49 | 53 | 38 |
48 | 55 |
96 |
おおぜき | | すけます |
PK追加 |
下野 |
1591 |
(1576-1607)那須七騎の一。高増の三男。兄・晴増の死後、下野黒羽1万3千石を継ぐ。関ヶ原合戦では東軍に属し、本領を安堵された。のち兄の子・政増に家督を譲った。 |
大関 | 弥六郎 | 資増 |
国人衆 | 騎馬 |
[開墾] [回復] |
54 | 41 | 52 |
47 | 70 |
66 |
おおの | | はるたね |
PK追加 |
近江 |
1589 |
(1574-1615)豊臣家臣。治長の弟。道犬斎と称した。大坂夏の陣の際は堺を焼き討ちした。大坂城が落城すると脱出を図り、逃走するが捕らえられ、堺で斬首された。 |
大野 | 道犬斎 | 治胤 |
武将 | 騎馬 |
[槍衾] |
31 | 54 | 16 |
64 | 70 |
26 |
かきみ | | いえずみ |
PK追加 |
近江 |
1582 |
(1567-1600)豊臣家臣。金切裂指物使番を務め、豊後富来2万石を領す。関ヶ原合戦では西軍に属し美濃大垣城に籠城するが、東軍に寝返った相良頼房らによって殺された。 |
垣見 | 弥五郎 | 家純 |
武将 | 弓 |
[雨撃] |
38 | 45 | 32 |
48 | 55 |
61 |
きのした | | のぶとし |
PK追加 |
尾張 |
1592 |
(1577-1642)豊臣家臣。家定の子。播磨国で2万石を領した。関ヶ原合戦では東軍に属し、小野木重次の居城・丹波福知山城を攻撃。戦後、豊後日出3万石を与えられた。 |
木下 | 長助 | 延俊 |
武将 | 荷駄 |
[攻城] |
48 | 39 | 48 |
46 | 50 |
16 |
よしひろ | | なおつぐ |
PK追加 |
豊後 |
1586 |
(1572-1617)大友家臣。高橋紹運の子。九州征伐後は豊臣家に属す。関ヶ原合戦では兄・宗茂とともに西軍に属し、戦後改易された。大坂の陣には徳川方として参陣した。 |
吉弘 | | 直次 |
武将 | 槍 |
[商業] [捕縛] [突撃] |
55 | 67 | 49 |
49 | 80 |
86 |