『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
あかお きよつな 通常版 近江 1529 (1514-1573)浅井家臣。海北綱親・雨森弥兵衛とともに「海赤雨三将」と称された。主家の居城・小谷城に赤尾曲輪を設け在番した。主家滅亡時に捕虜となり、斬首された。
赤尾 清綱 武将騎馬
[改修] [登用] [守戦]  415744 3875 66
わたなべ かんべえ 通常版 近江 1577 (1562-1640)阿閉家臣。主家滅亡後は豊臣・中村・増田・藤堂家に歴仕。豊臣秀吉の小田原征伐の際、伊豆山中城に一番乗りし秀吉から賞賛された。大坂の陣後、浪人した。
渡辺勘兵衛 武将
[収拾] [槍衾] [攻城]  97449 5850 61
かいほう つなちか 通常版 近江 1525 (1510-1573)浅井家臣。画家・海北友松の父。豊臣秀吉が「我が軍法の師」と讃えた勇将。武者奉行を務め各地で活躍した。主家滅亡時に戦死した。「海赤雨三将」の1人。
海北善右衛門綱親 武将騎馬
[商業] [訓練] [突撃]  376264 6875 65
わきざか やすはる 通常版 近江 1569 (1554-1626)豊臣家臣。賤ヶ岳七本槍の1人。主君・秀吉の中国征伐の際に「丹波の赤鬼」赤井直正を討ち取る功を立てた。関ヶ原合戦では東軍に寝返り所領を安堵された。
脇坂甚内安治 武将鉄砲
[改修] [三段]  224431 5250 6
しんどう さだはる 通常版 近江 1512 (1497-1551)六角家臣。木浜城主。後藤賢豊とともに「両藤」と呼ばれた。幕府や細川家、本願寺との折衝や延暦寺と法華宗の紛争の調停など、おもに外交面で活躍した。
進藤新介貞治 武将
[開墾] [登用] [外交]  624454 6260 26
くつき たねつな 通常版 近江 1513 (1498-1546)近江の豪族。三好元長に京を追われた将軍・足利義晴を居館にかくまう。その功により申次七人衆の1人に加えられた。以後も何度か足利将軍家をかくまった。
朽木弥五郎稙綱 武将
[茶湯]  575067 4955 61
くつき はるつな 通常版 近江 1533 (1518-1550)近江の豪族。稙綱の嫡男。宮内少輔を称した。はじめ貞綱といったが、将軍・足利義晴の偏諱を受けて晴綱と改名した。高島郡で高島越中守と戦い、戦死した。
朽木弥五郎晴綱 武将騎馬
[登用]  423728 4650 61
くつき もとつな 通常版 近江 1550 (1549-1632)近江の豪族。晴綱の子。織田信長の越前撤退の際に道案内を務め、以後は織田家に属した。本能寺の変後は豊臣秀吉に仕える。関ヶ原合戦では東軍に寝返った。
朽木弥五郎元綱 武将
[連射] [説得]  482054 5545 61
あしかが よしてる 通常版 山城 1546 (1536-1565)室町幕府13代将軍。上泉信綱より新陰流の奥義を伝授される。失われた幕府権力の回復に奔走するが、のちに松永久秀らに奇襲され、孤軍奮闘の末自害した。
足利 義輝 武将
[訓練] [登用] [剣豪]  567225 8480 62
いっしき よしゆき 通常版 丹波丹後 1524 (1509-1558)丹後の戦国大名。隣国の若狭武田家としばしば戦った。一色家は清和源氏足利家一門で、山名・赤松・京極家とともに四職の家格となり、幕府で重きをなした。
一色 義幸 武将
[外交] [雨撃]  424132 3160 68
いっしき よしみち 通常版 丹波丹後 1548 (1533-1579)丹後の戦国大名。義幸の子。京を追われた将軍・足利義昭を庇護したため、織田軍に攻められる。善戦するが、家臣・沼田勘解由の内通により敗れ、自害した。
一色 義道 武将
[改修] [雨撃]  326034 5665 69
ほそかわ ふじかた 通常版 山城 1532 (1517-1590)典厩細川家当主。織田信長に擁され上洛した足利義昭に属す。義昭と信長が対立した際は挙兵を諫めるが、のち義昭とともに戦い敗北。その後は信長に仕えた。
細川四郎藤賢 武将荷駄
[激励]  462355 3940 46
みよし ちょうけい 通常版 摂津河内 1532 (1523-1564)細川家臣。主家の実権を奪って勢力を拡大、主君・晴元を追放して畿内の掌握に成功した。しかし嫡男・義興や弟たちの死後は心身に支障をきたし、病死した。
三好孫二郎長慶 武将
[商業] [引抜] [連射] [攻城]  846283 9535 56
みよし まさなが 通常版 摂津河内 1523 (1508-1549)細川家臣。摂津榎並城主。主君・晴元の側近として各地の合戦で活躍する。のちに一族の三好長慶と対立してたびたび合戦におよび、摂津江口合戦で敗死した。
三好神五郎政長 武将
[茶湯] [混乱]  364723 6365 60
みよし まさかつ 通常版 摂津河内 1549 (1536-1631)細川家臣。摂津榎並城主。政長の子。父を殺した三好長慶と争い、長慶死後は三好三人衆と和解。織田信長の畿内平定軍に降った。のち豊臣、徳川家に仕えた。
三好 政勝 武将
[訓練] [収拾]  374448 4765 60
いけだ のぶまさ 通常版 摂津河内 1508 (1493-1548)摂津の豪族。細川晴元に重用され、将軍家からも厚遇を受けた。三好長慶が細川氏綱を擁して晴元と対立すると、氏綱方に属して敗れ、晴元に自害させられた。
池田三郎五郎信正 国人衆騎馬
[回復] [激励]  434945 4660 60
いけだ ながまさ 通常版 摂津河内 1534 (1519-1563)摂津の豪族。池田城主。信正の子。父が細川晴元により自害させられた後、家督を継ぐ。三好長慶に従属し、波多野家や河内畠山家との戦いで戦功を立てた。
池田弥太郎長正 国人衆
[商業] [訓練]  264333 7255 60
いけだ ともまさ 通常版 摂津河内 1559 (1544-1603)摂津の豪族。池田城主。長正の子。兄・勝正の出奔後、家督を継ぐ。三好三人衆と結んで織田信長に敵対するが、のち降伏。摂津を支配した荒木村重に属した。
池田久左衛門知正 国人衆荷駄
[改修] [攻城]  403340 5470 60
まつくら しげのぶ 通常版 大和 1558 (1543-1593)筒井家臣。島清興・森好之とともに、筒井家三老臣の1人に数えられる。主君・定次が伊賀上野に転封となった際は、伊賀名張城を築き、8千3百石を領した。
松倉権左衛門重信 武将
[商業] [外交] [守戦]  554561 5580 6
まつくら しげまさ 通常版 大和 1586 (1571-1630)筒井家臣。重信の子。主家改易後は徳川家に属す。大坂の陣後、肥前島原城主となるが、重税やキリシタン弾圧などの圧政を行い、島原の乱の原因を作った。
松倉九十郎重政 武将
[改修]  194310 2640 6

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