『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
こおり むねやす PK追加 摂津河内 1561 (1546-1615)豊臣家臣。馬廻を務めた。関ヶ原合戦では西軍に属し大津城攻撃に参加。主君・秀頼の近侍として諸大名との交渉を担当した。大坂城落城時に、秀頼に殉じた。
十右衛門宗保 国人衆
[守戦]  495246 5265 15
こにし ゆきかげ PK追加 摂津河内 1584 (1569-1600)豊臣家臣。行長の甥。キリスト教に帰依した。関ヶ原合戦では行長の居城・肥後宇土城を守備して加藤清正軍と戦うが、西軍の敗戦を聞いて開城し、自害した。
小西 行景 都市
[雨撃]  464937 4655 22
さかきばら やすかつ PK追加 三河 1605 (1590-1615)徳川家臣。康政の三男。長兄・忠政は他家の養子、次兄・忠長は早世のため、父の死後上野館林10万石を継いだ。大坂冬の陣では佐竹軍の窮地を救っている。
榊原 康勝 武将騎馬
[訓練] [槍衾]  445637 5785 90
すわ よりみず PK追加 南信濃 1585 (1570-1641)信濃高島藩主。頼忠の嫡男。父の死後家督を継ぎ、2万7千石を領した。内政に励み領国の安定に尽力。改易され蟄居処分を受けた松平忠輝の身元を預かった。
諏訪 頼水 旧仏教騎馬
[改修] [突撃]  583646 5160 24
せんごく ひでのり PK追加 美濃飛騨 1591 (1576-1615)豊臣家臣。秀久の子。関ヶ原合戦では西軍に属して所領を失った。廃嫡処分を受け、大坂城に入城。冬の陣では城方として戦うが、のち丹波に逃亡したという。
仙石権兵衛秀範 武将
[逃亡]  294924 6670 14
せんごく ただまさ PK追加 美濃飛騨 1593 (1578-1628)豊臣家臣。秀久の三男。関ヶ原合戦では徳川秀忠軍に属して戦った。兄・秀範の廃嫡により、信濃小諸5万石を継ぐ。のちに信濃上田6万石に加増転封された。
仙石 忠政 武将
[連射]  405239 5260 4
たかぎ もりかね PK追加 美濃飛騨 1574 (1559-1610)豊臣家臣。美濃高須城主として1万石を領す。関ヶ原合戦では西軍に属し、東軍の福島正則らと戦うが敗れた。のち出雲に赴いて堀尾吉晴に仕え、当地で病死。
高木八郎左衛門盛兼 国人衆荷駄
[訓練]  404233 4475 44
こづくり かつとし PK追加 伊勢志摩 1558 (1543-1610)織田家臣。木造俊茂の子。滝川一益の娘を娶り滝川姓を名乗る。小牧長久手合戦後は軍師格として豊臣秀吉に仕えた。関ヶ原合戦では西軍に属し、所領を失う。
木造三郎兵衛雄利 武将
[開墾] [引抜] [収拾]  435559 6250 38
たけなか たかしげ PK追加 美濃飛騨 1577 (1562-1615)豊臣家臣。半兵衛重治の従弟。豊後高田1万3千石を領す。関ヶ原合戦でははじめ西軍に属して丹後田辺城攻撃に参加。のちに東軍に転じ、所領を安堵された。
竹中源介隆重 武将騎馬
[攻城]  445247 5060 19
よしひろ なおつぐ PK追加 豊後 1586 (1572-1617)大友家臣。高橋紹運の子。九州征伐後は豊臣家に属す。関ヶ原合戦では兄・宗茂とともに西軍に属し、戦後改易された。大坂の陣には徳川方として参陣した。
吉弘 直次 武将
[商業] [捕縛] [突撃]  556749 4980 86
てらにし これなり PK追加 尾張 1580 (1565-1610)丹羽家臣。主君・長秀没後、豊臣家に仕えた。関ヶ原合戦では加賀小松城の丹羽長重を救援するが、西軍の敗北により退去・剃髪した。のち再び丹羽家に仕官。
寺西次郎助是成 武将騎馬
[逃亡]  394136 5655 67
まつだいら ただなお PK追加 三河 1607 (1595-1650)結城秀康の嫡男。父の死後家督を継ぐ。大坂の陣では真田幸村軍の突撃を阻止するなど活躍。のちに幾多の不行跡を起こしたため、改易され配流処分となった。
松平長吉忠直 武将騎馬
[激励] [突撃]  496833 8370 93
まつだいら いえみつ PK追加 三河 1619 (1604-1651)徳川幕府3代将軍。秀忠の次男。参勤交代制の確立、武家諸法度の改定、鎖国の実施など、のちに「寛永の治」と呼ばれる政治を行い、幕府の安定を図った。
松平竹千代家光 武将
[商業] [外交] [雨撃]  817553 8965 84
まつだいら ただなが PK追加 三河 1621 (1606-1633)秀忠の三男。3代将軍の座を兄・家光と争うが祖父・家康に阻まれる。駿河などを領して駿河大納言と称されるも、兄の勘気を蒙り、改易の上自害させられた。
松平国松忠長 武将
[混乱]  474428 8635 72
まつだいら まさゆき PK追加 三河 1626 (1611-1672)秀忠の四男。武田信玄の娘・見性院に養育された。会津藩主として「会津家訓」を制定、藩政の基調を定める一方、4代将軍・家綱を補佐し幕政にも携わった。
松平幸松正之 武将荷駄
[開墾] [登用] [収拾] [混乱]  813968 3495 85
まつだいら よしなお PK追加 三河 1615 (1600-1650)家康の九男。徳川御三家の一・尾張藩の藩祖で「剛」と評された。学問を好んで儒教を奨励、産業振興・税制整備・治水などを行い、幕藩体制の基礎を固めた。
松平五郎太丸義直 武将
[登用] [奉仕] [守戦]  646267 5375 82
まつだいら よりのぶ PK追加 三河 1616 (1602-1671)家康の十男。徳川御三家の一・紀州藩の藩祖で「勇」と評された。性格は血気盛んで、大坂の陣で後方の陣に置かれたことを涙を流して悔しがったという。
松平長福丸頼宣 武将
[商業] [改修] [激励]  586954 7065 79
まつだいら よりふさ PK追加 三河 1616 (1603-1661)家康の十一男。徳川御三家の一・水戸藩の藩祖で「才」と評された。幼少より才気溢れ、家康の寵愛を受けた。家康に希望を尋ねられ「天下」と答えたという。
松平鶴松頼房 武将騎馬
[開墾] [引抜] [検地]  606558 7245 76
まつだいら みつくに PK追加 三河 1643 (1628-1700)頼房の三男。「黄門漫遊記」の主役として有名であるが、実際には関東から出たことはなかったという。全国から学者を招き、歴史書「大日本史」を編纂した。
松平千代松光圀 武将騎馬
[開墾] [登用] [奉仕] [説得]  745060 3185 77
とみた のぶたか PK追加 近江 1579 (1564-1633)豊臣家臣。関ヶ原合戦では東軍に属し、伊勢安濃津城に籠城するが敗れ、高野山に登る。戦後、召し出されて伊予宇和島12万石を領すが、のち改易された。
富田平九郎信高 武将
[商業] [守戦]  445749 5265 84

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