『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
しんじょう むらなお 通常版 岩代 1500 (1485-1554)政国の次男。新城家は、二本松家6代当主・国詮の四男・氏泰を始祖とする。宗家の家泰・義氏が相次いで死去したため子・義国が二本松宗家を継いだ。
新城 村尚 武将騎馬
[攻城]  524861 5265 14
にほんまつ よしくに 通常版 岩代 1536 (1521-1580)二本松畠山家13代当主。新城村尚の子であるが、二本松義氏の早世により、宗家の家督を継いだ。蘆名家と田村家が争った際には、講和の斡旋を行った。
二本松 義国 武将騎馬
[商業] [収拾] [槍衾]  403835 6470 14
にほんまつ よしつぐ 通常版 岩代 1567 (1552-1585)二本松畠山家14代当主。一度は伊達政宗に降伏するが、会見の終了後に政宗の父・輝宗を拉致する。しかし政宗軍に追いつかれ、輝宗と刺し違えて死んだ。
二本松七郎義継 武将騎馬
[開墾] [逃亡]  455360 7545 14
にほんまつ つねより 通常版 岩代 1570 (1555-1589)蘆名家臣。二本松義国の次男で、高玉家を継いで高玉城主を務めた。伊達家臣・片倉景綱の降伏勧告を拒否して戦うが、衆寡敵せず、戦死した。
二本松太郎左衛門常頼 武将荷駄
[守戦]  443539 2190 14
うつのみや おきつな 通常版 下野 1477 (1475-1536)宇都宮家19代当主。芳賀家を継ぐが、宗家の甥・忠綱を討ち、宗家を継いだ。のちに主家乗っ取りの咎で強引に隠居させられ、家臣に強要されて自害した。
宇都宮弥四郎興綱 武将
[引抜]  724785 8760 14
かさま つないえ 通常版 下野 1556 (1541-1590)宇都宮家臣。笠間城主。笠間家は鎌倉時代に笠間城を築いた塩谷時朝を始祖とする。豊臣秀吉の小田原征伐の際に北条家に属したため、攻撃を受けて滅亡した。
笠間 綱家 国人衆
[連射]  363427 4360 14
さの やすつな 通常版 下野 1503 (1488-1560)佐野家13代当主。唐沢山城主。佐野家は藤原秀郷流足利家の支族で、下野国佐野庄を領した基綱が始祖。祖父・盛綱の時に戦国大名としての地盤が固まった。
佐野 泰綱 武将騎馬
[攻城]  445429 6960 14
さの まさつな 通常版 下野 1524 (1509-1574)佐野家15代当主。唐沢山城主。泰綱の次男。古河公方・足利家に従って河越合戦に参陣するが敗北。以後は北条家に従い、上杉謙信の攻撃をたびたび受けた。
佐野 昌綱 武将
[登用] [槍衾]  454747 5260 14
よこぜ あきなが 通常版 上野 1571 (1556-1621)足利長尾家当主。由良成繁の次男。長尾景長の娘を娶り、家督を継いだ。豊臣秀吉の小田原征伐に際しては北条家に従った。北条家滅亡後は流浪の身となった。
横瀬新五郎顕長 武将
[雨撃]  301930 3345 14
かきざき かげいえ 通常版 南越後 1528 (1513-1575)上杉家臣。主君・謙信に「越後七郡で彼にかなう者はなし」と評された家中随一の猛将。上杉軍の主力として活躍したが織田信長への内通疑惑により殺された。
柿崎弥次郎景家 武将騎馬
[訓練] [捕縛] [突撃]  128710 5265 14
ほんじょう じつの 通常版 北越後 1526 (1511-1575)上杉家臣。栃尾城主。主君・景虎の栃尾城入城以来、側近となる。景虎の初陣の際は景虎を補佐した。のちに景虎が長尾家を継ぐと、政権の中枢に参画した。
本庄新左衛門実乃 武将騎馬
[登用] [守戦]  494749 2885 14
いろべ あきなが 通常版 北越後 1564 (1549-1587)上杉家臣。平林城主。勝長の子。主君・謙信から名を授かった。父の死後、家督を継ぐ。本庄繁長の謀叛鎮圧で活躍し、以降、繁長より上位の席を与えられた。
色部弥三郎顕長 武将騎馬
[商業] [訓練]  246230 4380 14
やすだ よしもと 通常版 北越後 1558 (1543-1622)上杉家臣。安田城主。兄・顕元が恩賞問題で自害した後、家督を継ぐ。主君・景勝の会津移封に従い、二本松城代を務めた。会津三奉行の1人に数えられた。
安田弥九郎能元 武将騎馬
[改修]  403842 5770 14
かすや さねお PK追加 播磨 1577 (1562-1612)豊臣家臣。賤ヶ岳七本槍の1人。関ヶ原合戦では西軍に属し、伏見城攻撃などに参加した。戦後、所領を失うが、のちに5百石で幕臣として登用された。
加須屋正之助真雄 武将騎馬
[引抜] [槍衾]  316026 4160 14
せんごく ひでのり PK追加 美濃飛騨 1591 (1576-1615)豊臣家臣。秀久の子。関ヶ原合戦では西軍に属して所領を失った。廃嫡処分を受け、大坂城に入城。冬の陣では城方として戦うが、のち丹波に逃亡したという。
仙石権兵衛秀範 武将
[逃亡]  294924 6670 14
とみざわ なおつな 諸勢力 陸前 1608 (1593-1655)陸前の国人。直綱は実際は葛西家臣。大崎家と葛西家の境界にあたる地を本拠としたため、両家の間で離合集散を繰り返し、のちに葛西家の攻撃を受けた。
富沢 直綱 国人衆
[開墾] [登用]  605244 5580 14
たかぎ さだひさ 諸勢力 美濃飛騨 1591 (1576-1655)美濃飛騨の国人。貞久は実際は斎藤家臣で、駒野城主。主家滅亡後は織田家に属した。本能寺の変後は織田信孝に仕えたが、信孝の死後は駒野に隠居した。
高木 貞久 国人衆
[商業] [訓練]  526462 4475 14
にき よしちか 諸勢力 伊賀 1608 (1593-1652)伊賀の国人。義親は実際は伊賀守護で、織田信長に従った。仁木家は、観応の擾乱の際には足利尊氏に従って活躍し、一族で9か国の守護を務めたという。
仁木 義親 国人衆
[回復]  474738 4885 14

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