武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
ちょう | | しょう |
諸王 |
周防長門 |
1542 |
(1527-1607)孫権配下の臣。「二張」と呼ばれた策士の一人。周瑜の推挙で孫策が幕僚として招いた。孫策は死にぎわに「国内のことはすべて張昭に聞け」と言い残した。 |
張 | | 昭 |
武将 | 槍 |
[開墾] [商業] [改修] [収拾] |
94 | 6 | 77 |
49 | 70 |
62 |
うぃる | | うぉれす |
諸王 |
駿河遠江 |
1567 |
(1552-1593)スコットランドの英雄。イングランドの遠征軍をスターリングで撃破した。のち捕らえられ死刑を宣告されたが、死の瞬間まで祖国の自由を訴えたという。 |
ウィル | | ウォレス |
切支丹 | 槍 |
[回復] [激励] [守戦] [槍衾] |
59 | 94 | 91 |
43 | 100 |
65 |
ちょう | | きょせい |
諸王 |
他 |
1540 |
(1525-1590)明の政治家。万暦帝の首輔となり、内外の政治を独裁。内政を革新し、新税制・一条鞭法を導入して財政を再建。その功より中国史上最高の政治家と称される。 |
張 | | 居正 |
武将 | 槍 |
[開墾] [外交] [検地] [治水] |
134 | 56 | 118 |
96 | 70 |
68 |
せき | | けいこう |
諸王 |
他 |
1550 |
(1535-1595)明の将軍。倭寇の鎮圧で功を成す。その後、北に赴いてモンゴル軍を撃退する。戦場を選ばない名将であり、軍事理論にも通じていて、兵法書を残している。 |
戚 | | 継光 |
武将 | 騎馬 |
[訓練] [登用] [剣豪] [守戦] |
73 | 105 | 87 |
62 | 90 |
68 |
ふかぼり | | またごろう |
諸勢力 |
陸前 |
1555 |
(1540-1622)塩釜の商人。塩釜は奥州一の宮・塩竈神社の門前町、および塩釜港を擁する港町として栄えた。塩釜港は陸奥国府・多賀城への荷揚げ港として古くから栄えた。 |
深堀 | | 又五郎 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
49 | 42 | 58 |
40 | 45 |
76 |
いしかわ | | ろくべえ |
諸勢力 |
羽後 |
1578 |
(1563-1616)秋田の商人。秋田は秋田港を擁する港町として栄えた。秋田港は日本最古の船法度「廻船式目」に「三津七湊」の1つとして挙げられ、安東家が代々支配した。 |
石川 | | 六兵衛 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
47 | 39 | 48 |
40 | 90 |
86 |
いしどうばら | | はちべえ |
諸勢力 |
武蔵 |
1535 |
(1520-1617)品川の商人。品川は品川港を擁する港町として発展した。江戸時代には東海道五十三次の一番目の宿場町となり、宿内の家々1千6百軒、人口7千人という。 |
石堂原 | | 八兵衛 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
52 | 62 | 55 |
49 | 95 |
61 |
しき | | じえもん |
諸勢力 |
武蔵 |
1583 |
(1568-1619)品川の商人。品川は品川港を擁する港町として発展した。江戸時代には東海道五十三次の一番目の宿場町となり、宿内の家々1千6百軒、人口7千人という。 |
志木 | | 次右衛門 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
44 | 46 | 43 |
53 | 70 |
64 |
かどや | | もとひで |
諸勢力 |
伊勢志摩 |
1570 |
(1555-1631)桑名の商人。角屋家は実際は伊勢大湊に住んだ豪商で元秀・秀持と代を伝えた。元秀は廻船業を創始し、秀持は北条・徳川・織田・北畠家の御用商人を務めた。 |
角屋 | | 元秀 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
48 | 39 | 38 |
44 | 60 |
96 |
ながい | | さえもん |
諸勢力 |
伊勢志摩 |
1593 |
(1578-1640)桑名の商人。左衛門は実際は伊勢丹生の豪商で、娘は三井高俊に嫁ぐ。高俊は伊勢松坂で質屋などを経営、四男・高利が呉服屋・越後屋(のち三越)を開いた。 |
永井 | | 左衛門 |
都市 | 弓 |
[商業] [茶湯] |
40 | 44 | 48 |
44 | 70 |
16 |
たけぐち | | まごじゅうろう |
諸勢力 |
伊勢志摩 |
1581 |
(1566-1621)桑名の商人。桑名は港町として栄え、のち東海道五十三次の42番目の宿場町となった。桑名港は木曾三川の河口に位置し、物資集積の要所として繁栄した。 |
竹口 | | 孫十郎 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
49 | 47 | 46 |
50 | 40 |
68 |
かわい | | しちろうじろう |
諸勢力 |
伊勢志摩 |
1588 |
(1573-1616)桑名の商人。桑名は港町として栄え、のち東海道五十三次の42番目の宿場町となった。桑名港は木曾三川の河口に位置し、物資集積の要所として繁栄した。 |
河合 | | 七郎次郎 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
43 | 46 | 47 |
46 | 30 |
63 |
したづ | | かつすけ |
諸勢力 |
伊勢志摩 |
1594 |
(1579-1650)桑名の商人。桑名は港町として栄え、のち東海道五十三次の42番目の宿場町となった。桑名港は木曾三川の河口に位置し、物資集積の要所として繁栄した。 |
舌津 | | 勝助 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
43 | 51 | 45 |
56 | 30 |
46 |
かわかみ | | ようすけ |
諸勢力 |
南信濃 |
1553 |
(1538-1623)諏訪の商人。用介は実際は飛騨船津町の商人。紅粉屋と称した回国行商人だったが、のちに飛騨諏訪城主・江馬時盛から商人取り締まりの権限を与えられた。 |
河上 | | 用介 |
都市 | 弓 |
[商業] [茶湯] |
52 | 56 | 56 |
57 | 45 |
56 |
ないとう | | しんじゅうろう |
諸勢力 |
南信濃 |
1556 |
(1541-1630)諏訪の商人。諏訪は諏訪大社の門前町として発展した。甲州街道の上諏訪宿を経て中山道の下諏訪宿に至る。上諏訪・下諏訪ともに、温泉宿場町として栄えた。 |
内藤 | | 新十郎 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
48 | 51 | 42 |
59 | 100 |
86 |
あまの | | ひこじろう |
諸勢力 |
南越後 |
1590 |
(1575-1635)直江津の商人。直江津は直江津港を擁する港町。直江津港は日本最古の船法度である「廻船式目」で「三津七湊」の1つに数えられた。上杉家などが支配した。 |
天野 | | 彦次郎 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
41 | 45 | 49 |
57 | 100 |
86 |
たかさぶ | | りゅうき |
諸勢力 |
摂津河内 |
1592 |
(1577-1661)堺の商人。高三家は隆喜・隆達と代を伝え、薬種商を営んだ。隆達は小歌に巧みで「閑吟集」などの流行歌に独特の節回しをつけて歌い、隆達節を創始した。 |
高三 | 三郎左衛門 | 隆喜 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
49 | 44 | 44 |
42 | 60 |
61 |
たなか | | よへえ |
諸勢力 |
摂津河内 |
1586 |
(1571-1632)堺の商人。田中家は与兵衛・利休と代を伝えた。与兵衛は魚問屋を営んだ。利休は武野紹鴎から茶の湯を学び「わび茶」を大成した、戦国時代を代表する茶人。 |
田中 | | 与兵衛 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
62 | 57 | 55 |
44 | 65 |
46 |
つだ | | そうたつ |
諸勢力 |
摂津河内 |
1572 |
(1557-1616)堺の商人。津田家は宗達・宗及と代を伝えた。宗達は三好家の御用商人を務めていた。宗及は織田信長・豊臣秀吉に仕えて千利休らとともに北野大茶会を司る。 |
津田 | | 宗達 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
51 | 43 | 42 |
41 | 90 |
62 |
しぶや | | よえもん |
諸勢力 |
備前備中 |
1605 |
(1590-1653)福岡の商人。与右衛門は実際は備後尾道港を拠点とした船持ち商人で、毛利家の御用商人を務めた。毛利家のほかに、三島村上水軍とも親密な関係を持った。 |
渋谷 | | 与右衛門 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
44 | 60 | 51 |
50 | 60 |
64 |