武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
いとう | | すけのり |
通常版 |
日向 |
1600 |
(1589-1636)日向飫肥藩主。祐兵の子。関ヶ原合戦のは父とともに東軍に属し、高橋元種軍や島津軍と戦った。父の死後、日向飫肥3万6千石を継ぐ。検地・開墾を行った。 |
伊東 | 熊太郎 | 祐慶 |
武将 | 槍 |
[開墾] [治水] |
51 | 42 | 39 |
45 | 60 |
77 |
いとう | | すけやす |
通常版 |
日向 |
1538 |
(1523-1572)伊東家臣。義祐の義弟という。知勇兼備の将といわれた。木崎原合戦の際に総大将を務めるが、兵力に劣る島津軍の攪乱戦法や奇襲攻撃の前に敗れ、戦死した。 |
伊東 | | 祐安 |
武将 | 騎馬 |
[改修] |
20 | 35 | 12 |
15 | 60 |
77 |
あらたけ | | かんきゅう |
通常版 |
日向 |
1501 |
(1486-1549)伊東家近習。1549年、伊東・島津両軍が対峙する中で、節句が祝われた。このとき島津方の中馬武蔵との相撲に勝ちを収め、武蔵の首を得たという。 |
荒武 | | 歓久 |
武将 | 弓 |
[開墾] [逃亡] |
55 | 43 | 49 |
42 | 45 |
77 |
ゆじ | | さだとき |
通常版 |
日向 |
1548 |
(1533-1578)伊東家臣。主家の日向退去後も、日向三納城に籠城して島津家と戦う。しかし耳川合戦で大友軍大敗。勢いに乗る島津勢に居城を囲まれ、自害して果てた。 |
湯地 | | 定時 |
武将 | 鉄砲 |
[引抜] [捕縛] |
29 | 24 | 20 |
36 | 80 |
72 |
めら | | すけつぐ |
通常版 |
日向 |
1544 |
(1529-1578)伊東家臣。日向門川城主。主家の日向退去後、人質を出して島津家に属すが、大友家に通じて日向国内の情報を流した。耳川合戦で大友軍に属し、戦死した。 |
米良 | 四郎右衛門 | 祐次 |
武将 | 弓 |
[改修] [引抜] |
28 | 34 | 32 |
61 | 65 |
79 |
やまだ | | むねまさ |
通常版 |
日向 |
1559 |
(1544-1620)伊東家臣。主家滅亡後は大友家臣・佐伯惟定を頼る。島津家の豊後侵攻軍に対して惟定の居城・豊後栂牟礼城に籠城、抗戦の準備および合戦の総指揮を執った。 |
山田 | | 宗昌 |
武将 | 槍 |
[訓練] [守戦] |
20 | 41 | 46 |
37 | 80 |
73 |
ほんごう | | ときひさ |
通常版 |
日向 |
1545 |
(1530-1596)日向の豪族。庄内領主。島津家に属して伊東家や肝付家の軍勢と戦った。豊臣秀吉の九州征伐軍に降伏し、所領を安堵された。のちに薩摩宮之城へ転封された。 |
北郷 | | 時久 |
国人衆 | 弓 |
[外交] |
42 | 44 | 44 |
24 | 60 |
27 |
きもつき | | かねすけ |
通常版 |
薩摩大隅 |
1571 |
(1558-1634)大隅の戦国大名。高山城主。兼続の子。兄・良兼の死後家督を継ぐ。伊東家などと結んで島津家に対抗したため、母(島津忠良の娘)と家臣たちに放逐された。 |
肝付 | | 兼亮 |
武将 | 槍 |
[混乱] |
18 | 8 | 4 |
64 | 40 |
97 |
いじち | | しげおき |
通常版 |
薩摩大隅 |
1543 |
(1528-1580)大隅の豪族。小浜城主。肝付家と結んで島津家に対抗するが、島津軍に居城を落とされたため、降伏した。その後は島津家に属し、大友家攻めなどに従軍した。 |
伊地知 | 又九郎 | 重興 |
国人衆 | 槍 |
[開墾] [雨撃] |
28 | 32 | 54 |
60 | 50 |
17 |
あかまつ | | のりひで |
PK追加 |
美作 |
1586 |
(1571-1600)豊臣家臣。則房の子。父の死後、阿波住吉1万石を相続する。関ヶ原合戦では西軍に属して近江佐和山城に籠城。落城直前に脱出したが、戦後京都で自害した。 |
赤松 | | 則英 |
武将 | 槍 |
[外交] |
43 | 27 | 31 |
50 | 70 |
73 |
いとう | | もりまさ |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1582 |
(1567-1623)豊臣家臣。父・盛景の死後、家督を相続し、美濃大垣3万4千石を領す。関ヶ原合戦では西軍に属し、戦後、所領没収の上追放された。のち前田利常に仕えた。 |
伊藤 | 彦兵衛 | 盛正 |
武将 | 槍 |
[改修] [逃亡] |
49 | 45 | 39 |
50 | 40 |
17 |
おおた | | かずよし |
PK追加 |
尾張 |
1581 |
(1566-1617)丹羽家臣。主家没落後は豊臣秀吉に仕える。関ヶ原合戦では西軍に属し居城・豊後臼杵城に籠城して戦うが、主力の敗北により開城。その後は京都に隠棲した。 |
太田 | 小源五 | 一吉 |
武将 | 騎馬 |
[突撃] |
40 | 42 | 33 |
46 | 55 |
17 |
おくむら | | ながとみ |
PK追加 |
尾張 |
1557 |
(1542-1624)前田家臣。能登末森城主。佐々成政率いる1万5千の大軍を、わずか3百の兵で撃退した。この際、永福の妻が城兵を叱咤激励して回ったという逸話が残る。 |
奥村 | 助右衛門 | 長福 |
武将 | 槍 |
[改修] [回復] [守戦] |
44 | 61 | 43 |
24 | 90 |
7 |
こいで | | よしまさ |
PK追加 |
尾張 |
1580 |
(1565-1613)豊臣家臣。秀政の嫡男。但馬出石6万石を領す。関ヶ原合戦では西軍に属し、丹後田辺城攻撃に参加した。弟・秀家が東軍に属したため、本領を安堵された。 |
小出 | 小才次 | 吉政 |
武将 | 弓 |
[槍衾] |
42 | 45 | 36 |
48 | 60 |
27 |
てらにし | | これなり |
PK追加 |
尾張 |
1580 |
(1565-1610)丹羽家臣。主君・長秀没後、豊臣家に仕えた。関ヶ原合戦では加賀小松城の丹羽長重を救援するが、西軍の敗北により退去・剃髪した。のち再び丹羽家に仕官。 |
寺西 | 次郎助 | 是成 |
武将 | 騎馬 |
[逃亡] |
39 | 41 | 36 |
56 | 55 |
67 |
まつだいら | | ただなが |
PK追加 |
三河 |
1621 |
(1606-1633)秀忠の三男。3代将軍の座を兄・家光と争うが祖父・家康に阻まれる。駿河などを領して駿河大納言と称されるも、兄の勘気を蒙り、改易の上自害させられた。 |
松平 | 国松 | 忠長 |
武将 | 槍 |
[混乱] |
47 | 44 | 28 |
86 | 35 |
72 |
まつだいら | | よりのぶ |
PK追加 |
三河 |
1616 |
(1602-1671)家康の十男。徳川御三家の一・紀州藩の藩祖で「勇」と評された。性格は血気盛んで、大坂の陣で後方の陣に置かれたことを涙を流して悔しがったという。 |
松平 | 長福丸 | 頼宣 |
武将 | 槍 |
[商業] [改修] [激励] |
58 | 69 | 54 |
70 | 65 |
79 |
まつだいら | | よりふさ |
PK追加 |
三河 |
1616 |
(1603-1661)家康の十一男。徳川御三家の一・水戸藩の藩祖で「才」と評された。幼少より才気溢れ、家康の寵愛を受けた。家康に希望を尋ねられ「天下」と答えたという。 |
松平 | 鶴松 | 頼房 |
武将 | 騎馬 |
[開墾] [引抜] [検地] |
60 | 65 | 58 |
72 | 45 |
76 |
まつだいら | | みつくに |
PK追加 |
三河 |
1643 |
(1628-1700)頼房の三男。「黄門漫遊記」の主役として有名であるが、実際には関東から出たことはなかったという。全国から学者を招き、歴史書「大日本史」を編纂した。 |
松平 | 千代松 | 光圀 |
武将 | 騎馬 |
[開墾] [登用] [奉仕] [説得] |
74 | 50 | 60 |
31 | 85 |
77 |
ひねの | | たかひろ |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1554 |
(1539-1600)豊臣家臣。弘就の子。小田原征伐に参戦し、戦後、信濃高島2万8千石を領す。朝鮮派兵や伏見城の工事にも参加した。関ヶ原合戦の直前に病死した。 |
日根野 | 徳太郎 | 高弘 |
武将 | 弓 |
[外交] [連射] |
39 | 49 | 43 |
58 | 35 |
47 |