『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
うおずみ かげかた 通常版 越前若狭 1543 (1528-1574)朝倉家臣。一乗谷四奉行の1人として国政に参画した。織田信長の越前侵攻軍に降り、本領を安堵され越前守護代となるが、富田長繁に攻められて敗死した。
魚住 景固 武将
[商業]  591525 3135 53
ほりえ かげただ 通常版 越前若狭 1542 (1527-1576)朝倉家臣。各地で功を立てるが、謀叛疑惑により能登に退去させられる。織田家に通じて本領を回復するが、一向一揆討伐の恩賞に不満を表したため殺された。
堀江左衛門三郎景忠 国人衆荷駄
[回復]  462443 6045 53
とだ しげまさ 通常版 越前若狭 1569 (1554-1625)前田家臣。「名人越後」の異名をとる中条流剣術の達人。能登末森城の戦いでは一番槍の功を立てた。小田原征伐、関ヶ原合戦、大坂の両陣などでも活躍した。
富田与六郎重政 武将
[回復] [剣豪]  97133 375 3
たけだ よしずみ 通常版 越前若狭 1541 (1526-1567)若狭守護。信豊の子。父と和睦した後に家督を継ぐ。のちに義弟・足利義昭が頼ってくるが、内紛が相次いでいたため、義昭を奉じての上洛は果たせなかった。
武田彦二郎義統 武将騎馬
[守戦]  393730 3255 73
あざい すけまさ 通常版 近江 1506 (1491-1542)近江の戦国大名。小谷城主。はじめ京極家に仕えたが、主家の内紛に乗じて勢力を拡大、朝倉家の援助を受けて六角定頼軍を撃退するなど、江北に覇を唱えた。
浅井新三郎亮政 武将騎馬
[改修] [登用] [奉仕] [攻城]  828579 8970 53
あざい ながまさ 通常版 近江 1560 (1545-1573)近江の戦国大名。小谷城主。久政の子。織田信長の妹・市を娶るが、朝倉家との友誼を重んじ信長と敵対。居城を攻められ、市と娘たちを信長に託し自害した。
浅井新九郎長政 武将騎馬
[商業] [訓練] [回復] [突撃]  588133 78100 73
いその かずまさ 通常版 近江 1542 (1527-1578)浅井家臣。佐和山城主。姉川合戦では先鋒を務めた。その後居城が孤立したため織田信長に降る。近江新庄城主となるが信長の勘気を蒙り、高野山に出奔した。
磯野 員昌 武将
[連射]  156925 5055 73
みやべ けいじゅん 通常版 山城 1543 (1528-1599)浅井家臣。はじめ比叡山の僧。主家滅亡後は織田信長に属す。羽柴秀吉率いる中国征伐軍の先鋒を務め、因幡鳥取城主となった。晩年は秀吉の御咄衆となった。
宮部善祥坊継潤 旧仏教
[引抜] [連射] [説得]  514667 7270 3
みやべ ながふさ 通常版 山城 1596 (1581-1634)豊臣家臣。因幡鳥取城主。継潤の子。朝鮮派兵などに従軍。関ヶ原合戦では一時東軍に属すが、西軍に寝返り伏見城攻撃などに参加したため、戦後改易された。
宮部 長房 武将
[激励]  362224 6065 3
なつか まさいえ 通常版 近江 1572 (1557-1600)丹羽家臣。主家没落後は豊臣家に仕え、五奉行の1人となる。算術に通じ、主家の賦課収納の財政処理を担当した。関ヶ原合戦では西軍に属し、戦後自害した。
長束新三郎正家 武将荷駄
[商業] [治水]  83106 4150 23
ろっかく さだより 通常版 近江 1510 (1495-1552)近江の戦国大名。近江に逃れた将軍・足利義晴を支援し、管領に準ずる待遇を与えられた。一国一城令の先駆をなす「城割り」を初めて行った人物として著名。
六角四郎定頼 武将騎馬
[商業] [改修] [守戦] [攻城]  878066 9370 34
ろっかく よしかた 通常版 近江 1536 (1521-1598)近江の戦国大名。定頼の子。江南に勢力を伸ばす。三好家に京を追われた足利将軍家を保護し、仲裁に奔走した。のち織田信長の上洛軍に敗れ、所領を失った。
六角四郎義賢 武将
[改修] [連射]  355236 7445 33
ろっかく よしはる 通常版 近江 1560 (1545-1612)近江の戦国大名。義賢の子。筆頭家老・後藤賢豊を謀殺し、家臣の信頼を失う。織田信長の上洛軍に敗れ、諸国を流浪した。晩年は豊臣秀頼の弓師範を務めた。
六角四郎義治 武将
[連射]  31324 6650 33
やまざき かたいえ 通常版 近江 1562 (1547-1591)六角家臣。山崎城主。主君・義治と不和になり、織田信長に仕える。本能寺の変後は一時明智光秀に属すが、のち豊臣秀吉に仕え摂津三田2万3千石を領した。
山崎源太左衛門片家 国人衆
[改修]  323336 4870 32
やまざき いえもり 通常版 近江 1582 (1567-1614)豊臣家臣。片家の嫡男。伏見城の普請工事などを担当した。関ヶ原合戦では西軍に属すが、縁戚・池田輝政の尽力により改易を免れ、因幡若桜3万石を領した。
山崎与市家盛 国人衆
[雨撃]  382224 3060 32
もりた じょううん 通常版 伊賀 1525 (1510-1581)伊賀の豪族。猪田郷を所領とした。豪族連合の中心人物の1人という。織田信長の伊賀侵攻軍に対し、一の宮城を守って奮戦したが衆寡敵せず落城、戦死した。
森田 浄雲 武将
[奉仕] [守戦] [混乱]  431442 45100 43
あしかが よしはる 通常版 山城 1511 (1511-1550)室町幕府12代将軍。阿波で挙兵した三好元長に敗れ、近江に逃亡する。元長の死後、細川晴元に擁されて京に戻ったがのちに晴元と対立し、将軍職を辞した。
足利 義晴 武将
[茶湯] [逃亡]  484014 6975 35
きょうごく たかよし 通常版 山城 1517 (1508-1581)足利家臣。主君・義輝の近習を務めた。義輝の死後は、近江に逃れた義輝の弟・義昭のために奔走。義昭の将軍就任後、織田信長と対立して上平寺に隠居した。
京極 高吉 武将
[逃亡] [連射]  502345 2045 35
きょうごく たかつぐ 通常版 山城 1578 (1563-1609)豊臣家臣。高吉の子。妻と妹の縁故により豊臣秀吉に仕え、近江大津6万石を領す。関ヶ原合戦では東軍に属し居城に籠城、西軍の一部を大津に足止めさせた。
京極小兵衛高次 武将
[商業] [守戦]  493845 5765 43
きょうごく たかとも 通常版 山城 1587 (1572-1622)豊臣家臣。高吉の次男。信濃飯田10万石を領し、城下町の整備に尽力した。関ヶ原合戦では東軍に属し、戦後、高野山に逃れた兄に徳川家への仕官を説いた。
京極 高知 武将
[登用] [雨撃]  432821 2965 43

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