武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
かきみ | | いえずみ |
PK追加 |
近江 |
1582 |
(1567-1600)豊臣家臣。金切裂指物使番を務め、豊後富来2万石を領す。関ヶ原合戦では西軍に属し美濃大垣城に籠城するが、東軍に寝返った相良頼房らによって殺された。 |
垣見 | 弥五郎 | 家純 |
武将 | 弓 |
[雨撃] |
38 | 45 | 32 |
48 | 55 |
61 |
かすや | | さねお |
PK追加 |
播磨 |
1577 |
(1562-1612)豊臣家臣。賤ヶ岳七本槍の1人。関ヶ原合戦では西軍に属し、伏見城攻撃などに参加した。戦後、所領を失うが、のちに5百石で幕臣として登用された。 |
加須屋 | 正之助 | 真雄 |
武将 | 騎馬 |
[引抜] [槍衾] |
31 | 60 | 26 |
41 | 60 |
14 |
がもう | | さといえ |
PK追加 |
近江 |
1565 |
(1550-1600)蒲生家臣。はじめ横山喜内と名乗るが、九州征伐で功を立て、蒲生の姓と「郷」の字を賜った。のちに蒲生家を去って石田三成に仕え、関ヶ原合戦で戦死した。 |
蒲生 | 喜内 | 郷舎 |
武将 | 槍 |
[訓練] [収拾] [三段] |
36 | 76 | 50 |
67 | 95 |
18 |
きのした | | いえさだ |
PK追加 |
尾張 |
1558 |
(1543-1608)豊臣家臣。北政所(主君・秀吉の正室)の兄。播磨姫路城主を務めた。関ヶ原合戦では妹・北政所の警護を担当する。戦後、備中足守2万5千石を領した。 |
木下 | 孫右衛門 | 家定 |
武将 | 弓 |
[商業] [外交] [説得] |
49 | 46 | 45 |
42 | 85 |
10 |
きのした | | かつとし |
PK追加 |
尾張 |
1584 |
(1569-1649)豊臣家臣。家定の長男。若狭小浜城主。関ヶ原合戦では東軍に属して伏見城を預かるが、任務放棄の罪で改易され、京都に隠棲した。近世和歌の祖といわれる。 |
木下 | 仙蔵 | 勝俊 |
武将 | 荷駄 |
[逃亡] |
57 | 24 | 45 |
11 | 40 |
11 |
きのした | | としふさ |
PK追加 |
尾張 |
1588 |
(1573-1637)豊臣家臣。家定の次男。若狭高浜3万石を領した。関ヶ原合戦で西軍に属したため改易されるが、大坂の陣での功により備中足守2万5千石の領主となった。 |
木下 | | 利房 |
武将 | 弓 |
[外交] |
50 | 34 | 36 |
33 | 65 |
12 |
きのした | | のぶとし |
PK追加 |
尾張 |
1592 |
(1577-1642)豊臣家臣。家定の子。播磨国で2万石を領した。関ヶ原合戦では東軍に属し、小野木重次の居城・丹波福知山城を攻撃。戦後、豊後日出3万石を与えられた。 |
木下 | 長助 | 延俊 |
武将 | 荷駄 |
[攻城] |
48 | 39 | 48 |
46 | 50 |
16 |
すぎはら | | ながふさ |
PK追加 |
尾張 |
1589 |
(1574-1629)豊臣家臣。但馬豊岡3万石を領した。関ヶ原合戦では西軍に属し、丹後田辺城攻撃に参加した。妻の父が浅野長政であった関係もあり、戦後所領は安堵された。 |
杉原 | 弥兵衛 | 長房 |
武将 | 騎馬 |
[引抜] [逃亡] |
48 | 44 | 44 |
45 | 75 |
10 |
こういずみ | | やすつな |
PK追加 |
上野 |
1567 |
(1552-1600)新陰流の創始者・上泉信綱の孫。関ヶ原合戦の直前、上杉景勝の浪人徴募に応じ直江兼続の指揮下に属した。出羽長谷堂城における最上軍との戦いで戦死した。 |
上泉 | | 泰綱 |
武将 | 槍 |
[剣豪] [守戦] [槍衾] |
24 | 69 | 23 |
20 | 90 |
41 |
こおり | | むねやす |
PK追加 |
摂津河内 |
1561 |
(1546-1615)豊臣家臣。馬廻を務めた。関ヶ原合戦では西軍に属し大津城攻撃に参加。主君・秀頼の近侍として諸大名との交渉を担当した。大坂城落城時に、秀頼に殉じた。 |
郡 | 十右衛門 | 宗保 |
国人衆 | 弓 |
[守戦] |
49 | 52 | 46 |
52 | 65 |
15 |
せんごく | | ひでのり |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1591 |
(1576-1615)豊臣家臣。秀久の子。関ヶ原合戦では西軍に属して所領を失った。廃嫡処分を受け、大坂城に入城。冬の陣では城方として戦うが、のち丹波に逃亡したという。 |
仙石 | 権兵衛 | 秀範 |
武将 | 槍 |
[逃亡] |
29 | 49 | 24 |
66 | 70 |
14 |
たけなか | | たかしげ |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1577 |
(1562-1615)豊臣家臣。半兵衛重治の従弟。豊後高田1万3千石を領す。関ヶ原合戦でははじめ西軍に属して丹後田辺城攻撃に参加。のちに東軍に転じ、所領を安堵された。 |
竹中 | 源介 | 隆重 |
武将 | 騎馬 |
[攻城] |
44 | 52 | 47 |
50 | 60 |
19 |
ないとう | | じょあん |
PK追加 |
丹波丹後 |
1564 |
(1549-1626)豊臣家臣。フロイスに洗礼を受ける。朝鮮派兵では小西行長とともに講和交渉を行った。徳川家康が禁教令を出した際、高山重友とともにまにらに追放された。 |
内藤 | 忠俊 | 如安 |
国人衆切支丹 | 槍 |
[開墾] [収拾] |
57 | 58 | 50 |
30 | 90 |
91 |
のせ | | よりつぐ |
PK追加 |
摂津河内 |
1577 |
(1562-1626)摂津の豪族。丸山城主を務めた。近隣の塩川城主・塩川国満とたびたび争う。関ヶ原合戦では東軍に属し、本領を安堵された。大坂の陣でも戦功を立てた。 |
能勢 | 助十郎 | 頼次 |
国人衆 | 騎馬 |
[激励] |
47 | 51 | 48 |
59 | 80 |
81 |
ふるた | | しげかつ |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1575 |
(1560-1606)豊臣家臣。父・重則が播磨三木城攻めで戦死した後、家督を継ぐ。伊勢松坂3万5千石を領した。関ヶ原合戦では東軍に属して戦い、戦後2万石を加増された。 |
古田 | | 重勝 |
武将 | 槍 |
[登用] [捕縛] |
45 | 52 | 41 |
54 | 75 |
1 |
まつした | | しげつな |
PK追加 |
三河 |
1594 |
(1579-1627)豊臣家臣。父・之綱は若い頃の豊臣秀吉を養っていたことで知られる。関ヶ原合戦では東軍に属した。大坂の陣での功などにより、陸奥二本松5万石を領した。 |
松下 | 左助 | 重綱 |
国人衆 | 弓 |
[登用] |
52 | 38 | 46 |
43 | 80 |
15 |
おおこうち | | のぶつな |
PK追加 |
三河 |
1611 |
(1596-1662)徳川家臣。3代将軍・家光の小姓から老中にまで出世。才気煥発で「知恵伊豆」の異名をとり、幕藩体制の確立に貢献した。島原の乱では幕府の上使を務めた。 |
大河内 | 長四郎 | 信綱 |
武将 | 槍 |
[商業] [引抜] [三段] [攻城] |
63 | 54 | 77 |
74 | 45 |
81 |
もうり | | かつのぶ |
PK追加 |
尾張 |
1563 |
(1548-1611)豊臣家臣。別名を吉成。豊前小倉6万石を領した。関ヶ原合戦では西軍に属し、伏見城攻撃に参加した。戦後改易され、土佐高知藩主・山内一豊に預けられた。 |
毛利 | | 勝信 |
武将 | 騎馬 |
[訓練] [突撃] |
40 | 59 | 47 |
54 | 95 |
12 |
よこはま | | しげかつ |
PK追加 |
大和 |
1579 |
(1564-1600)豊臣家臣。播磨で1万7千石を領した。伏見城の普請工事などを担当した。関ヶ原合戦では西軍に属し、近江大津城攻撃などに参加。戦後、所領を没収された。 |
横浜 | | 茂勝 |
武将 | 槍 |
[三段] |
37 | 41 | 29 |
51 | 65 |
71 |
わきざか | | やすもと |
PK追加 |
近江 |
1599 |
(1584-1653)徳川家臣。安治の子。父の死後、伊予大洲5万3千石を継ぐ。のち信濃飯田5万5千石に転封された。子孫の代に播磨竜野5万3千石となり明治維新を迎えた。 |
脇坂 | 甚太郎 | 安元 |
武将 | 弓 |
[登用] |
40 | 49 | 32 |
53 | 45 |
16 |