『信長の野望DS2』登場武将総覧

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武将姓武将名 政治戦闘教養魅力 義理天性相性生年 列伝
  足軽騎馬鉄砲 寿命野望口調父親
あさくらそうてき8290 98866 勇将 51 1504年(SP)朝倉家臣。朝倉家初代当主・敏景の子。軍奉行を務め、周辺諸国へ出兵し朝倉家の武威を内外に知らしめた。加賀一向一揆討伐の際に発病、帰国後に死去した。
朝倉 宗滴 BA C1591 普通 -
ほんがんじれんにょ9232 969912 知将 50 1506年(SP)本願寺8世法主。おもに近江・北陸で布教活動を展開。そのカリスマ性と、平座で門徒と接する庶民的な教化により、衰微していた本願寺派の発展に尽力した。
本願寺 蓮如 BC C1578 僧侶 -
かとうだんぞう2191 73511 勇将 37 1496年(SP)「飛び加藤」の綽名をもつ優秀な忍者。上杉謙信に仕えるが段蔵の能力を恐れた謙信に越後を追われ、続いて仕えた武田信玄にも命を狙われ厠にて暗殺された。
加藤 段蔵 AC C1557 忍者 -
みなもとのしずか8221 979714 知将 15 1496年(SP)源平期の白拍子。後白河法皇の目前で祈雨の舞を行い、見事に雨を降らせたため法皇から「日本一」と評された。その席で源義経に見初められ、愛妾となった。
CC C1556 -
おだいち8513 86998 勇将 8 1496年(SP)織田信秀の娘。茶々の母。兄・信長の命で浅井長政に嫁ぎ、両家の絆となった。浅井家が滅ぶと、柴田勝家の妻となる。のち、勝家とともに北ノ庄で自害した。
織田 CC C1550 織田信秀
あざいちゃちゃ8943 769313 勇将 91 1496年(SP)長政の娘。母は織田信長の妹・市。淀とも。豊臣秀吉の側室となる。秀吉が死去すると、子・秀頼を補佐した。大坂夏の陣で敗れ、秀頼とともに自害した。
浅井 茶々 CC C1582 浅井長政
さいとうきちょう7370 79904 知将 93 1496年(SP)斎藤道三の娘。美濃出身のため、濃姫とも呼ばれる。同盟を結ぶため、14才で織田信長の正室となった。その後の消息はわかっていない。
斎藤 帰蝶 BC C1578 斎藤義龍
はしばおね9535 889412 知将 10 1496年(SP)羽柴秀吉の正室。北政所とも。実子はなく、加藤清正、福島正則らを養育した。豊臣政権下で大きな発言力を持つが、秀吉が没すると高台院と称し、隠棲した。
羽柴 おね CC C1599 -
たちばなぎんちよ7891 757511 猛将 74 1496年(SP)立花家当主。道雪の娘。父譲りの才気の持ち主で、家督を継ぐ。高橋紹運の子・宗茂を夫とした。関ヶ原合戦では、自ら門前で武装し、東軍を威嚇したという。
立花 誾千代 BA C1567 立花道雪
ほそかわがらしゃ811 969113 勇将 51 1496年(SP)明智光秀の娘。細川忠興の妻。名は玉。キリシタン。関ヶ原の合戦直前、人質になれとの石田三成の要求を拒否。屋敷を包囲されると、家臣に自分を討たせた。
細川 ガラシャ CC C1534 明智光秀
まえだまつ8946 86927 知将 0 1496年(SP)前田利家の妻。芳春院とも。2男9女に恵まれる。羽柴おねと仲が良かったといわれる。花見で秀吉らと同席するなど、家臣の妻としては破格の待遇を受けた。
前田 まつ CC C1536 -
やまのうちちよ8761 898913 知将 87 1496年(SP)山内一豊の妻。見性院とも。内助の功で有名。戦に向かう一豊のために嫁入りの持参金で良馬を購入。良馬が織田信長の目にとまり、一豊は加増されたという。
山内 千代 CB B1560 -
すわごりょうにん8234 93904 勇将 30 1496年(SP)武田勝頼の母。父・諏訪頼重の死後に、武田信玄の側室になる。敵将の娘であったため、のち家督争いに巻き込まれる。勝頼が跡を継ぐ前に死去した。
諏訪 御料人 CB C1590 -
ほんだこまつ7490 758310 猛将 83 1496年(SP)本多忠勝の娘。稲姫とも。徳川家康の養女として、真田信之に嫁いだ。関ヶ原合戦では、敵対する義父・真田昌幸の訪問を断り、沼田城を守ったといわれる。
本多 小松 CB C1571 本多忠勝
とくがわせん7812 96949 勇将 77 1496年(SP)徳川秀忠の娘。天樹院とも。豊臣秀頼に嫁ぐ。大坂城が落ちる際、祖父・家康に助けられ、のち本多忠勝の孫・忠刻の妻となる。温和な性格だったといわれる。
徳川 CC C1559 徳川秀忠
やぎゅうむねよし5697 706313 猛将 91 1504年(SP)大和の豪族。上泉信綱に師事して奥義を会得、柳生新陰流を開く。のちに徳川家康に招かれて柳生新陰流を伝授した。以後、柳生家は徳川家兵法師範となった。
柳生 宗厳 AC C1568 忍者 -
やぎゅうむねのり7387 83761 勇将 81 1501年(SP)徳川家臣。宗厳の子。兵法師範を務め、主君・秀忠に柳生新陰流を伝授した。秀忠の死後は、秀忠の子・家光に仕える。のちに大目付となり、1万石を領した。
柳生 宗矩 AC C1588 忍者 柳生宗厳
ささきこじろう599 427411 猛将 75 1496年(通信)別名は巌流。武者修行の末、「燕返し」の剣法を創案する。増田長盛に仕えようとしたが豊臣秀吉に許されなかった。巌流島で宮本武蔵と試合をし、敗死する。
佐々木 小次郎 AC C1575 忍者 -
みやもとむさし5100 787512 猛将 25 1496年(通信)独自の剣法「二天一流」を創出し、生涯六十六回の試合で無敗を誇った剣豪。晩年は細川忠利の客分となり、書画や禅に親しみながら「五輪書」を著した。
宮本 武蔵 AC C1570 忍者 -
まるめながよし4191 63624 猛将 59 1501年(SP)相良家臣。上泉信綱に剣術を学び、新陰タイ捨流を開いた。島津軍との戦いで敗因を作り、一時逼塞。のちに復帰して兵法師範を務め、開墾事業にも従事した。
丸目 長恵 AC C1531 忍者 -
みこがみてんぜん3395 53672 猛将 44 1506年(SP)剣術家。はじめ里見家に仕えたが、剣術修業のため諸国を遍歴する。のちに一刀流の開祖・伊藤一刀斎に師事し、名を小野忠明と改め、小野一刀流を創始した。
御子神 典膳 AC C1514 忍者 -
やぎゅうじゅうべえ6098 80999 猛将 91 1494年(通信)徳川家臣。宗矩の子。名は三厳。幼少時の事故で片目を失明。徳川家光の剣術指南役になるが、勘気を被り、出仕停止。以後諸国を放浪し修行に専念した。
柳生 十兵衛 AC C1562 忍者 -
とうごうしげたか2292 45649 猛将 30 1497年(SP)島津家臣。島津義久に従い京に上洛した際に、天寧寺の善吉和尚から剣術を学び薩摩自顕流(示現流)を創始した。のち島津家久の剣術指南役を務めた。
東郷 重位 AC C1560 忍者 -
かみいずみのぶつな6296 888414 猛将 41 1505年(SP)剣術家。はじめ長野家に仕える。主家滅亡後は、一時武田信玄に仕えるが、間もなく武芸修業のため浪人し、新陰流を創始した。門弟には柳生宗厳などがいる。
上泉 信綱 AC C1588 忍者 -
いとういっとうさい1393 62567 猛将 76 1508年(SP)戦国時代末期の剣客。鐘巻自斎に剣を学び、一刀流剣術を創始した。諸国を旅して、勝負すること三十三回に及び、一度も敗れなかったと言われる。
伊東 一刀斎 AC C1548 忍者 -
武将姓武将名 政治戦闘教養魅力 義理天性相性生年 列伝
  足軽騎馬鉄砲 寿命野望口調父親
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