『信長の野望DS2』登場武将総覧

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武将姓武将名 政治戦闘教養魅力 義理天性相性生年 列伝
  足軽騎馬鉄砲 寿命野望口調父親
まさきためはる7031 76618 知将 28 1573年(一般)里見家臣。頼忠の子。甥・徳川頼宣(実妹・お万の方の子)が紀伊和歌山藩主となった際、家老として紀伊に赴いた。晩年には仮名草子「あだ物語」を著した。
正木 為春 CC C1154 普通 正木頼忠
まさきときしげ1676 184112 猛将 33 1514年(一般)里見家臣。大多喜城主。槍に長じ「槍大膳」の異名をとった。2度の国府台合戦をはじめとする里見家の合戦にはほとんど参陣し、勇名を近隣諸国に轟かせた。
正木 時茂 CC C837 猛将 -
まさきときただ4769 48524 猛将 28 1518年(一般)里見家臣。勝浦城主。兄・時茂とともに多くの合戦で戦功を立てる。第二次国府台合戦ののち、正木家の存続を優先して北条家に寝返ったが、のちに帰参した。
正木 時忠 CC C738 猛将 -
まさきのりとき1771 281014 猛将 24 1555年(一般)里見家臣。時忠または弘季の子という。伯父・時茂の養子となって家督を継ぐ。主君・義頼の強引な家督相続に憤激して謀叛を起こすが敗れ、家臣に殺された。
正木 憲時 BC C356 猛将 -
まさきよりただ5850 45506 勇将 28 1551年(一般)里見家臣。時忠の子。父が北条家に属した際、人質となる。兄・時通の死後、居城・勝浦城に戻った。主家改易後は、紀伊徳川家に仕える子・為春を頼った。
正木 頼忠 CC C1051 普通 正木時忠
ましたながもり9025 80586 知将 23 1545年(一般)豊臣家臣。五奉行の1人として検地などを行う。豊臣秀次の死後、大和郡山20万石を領した。関ヶ原合戦の際は大坂城で豊臣秀頼を守る。戦後、改易された。
増田 長盛 CC C942 普通 -
ますだふじかね6468 57566 勇将 65 1529年(一般)大内家臣。益田城主。主家滅亡後は毛利家に従い、山陰平定戦で活躍した。晩年は仏教を厚く信仰した。家臣・品川大膳は山中幸盛と一騎討ちをして敗れた。
益田 藤兼 CC C968 普通 -
ますだもとよし876 706711 知将 65 1558年(一般)毛利家臣。藤兼の子。山陰平定戦で活躍した。関ヶ原合戦後に主家が減封されたあと、国家老に任ぜられて財政の立て直しを行い、萩藩の基盤確立に貢献した。
益田 元祥 CC C1262 普通 益田藤兼
まついむねのぶ4128 544312 勇将 41 1508年(一般)今川家臣。氏輝・義元・氏真の3代に仕える。桶狭間の戦いで、主君・義元を守ろうと奮闘するが戦死する。その忠節から「遠江松井氏中興の祖」とされる。
松井 宗信 CC C1035 普通 -
まついやすゆき6760 806711 勇将 55 1550年(一般)足利家臣。主君・義輝の横死後は細川藤孝に仕え、丹後平定戦などで活躍した。関ヶ原合戦の際は東軍に属し、豊後杵築2万6千石を得た。茶人としても著名。
松井 康之 CC B858 普通 -
まつだのりひで7318 70660 知将 90 1540年(一般)北条家臣。筆頭家老を務めた。豊臣秀吉の小田原征伐の際は小田原城への籠城を主張し採用された。のちに秀吉に寝返ろうとして失敗、戦後、自害させられた。
松田 憲秀 CC C971 普通 -
まつだいらただてる881 763112 勇将 94 1592年(一般)徳川家康の六男。容貌の醜さから父に疎まれて育つ。成人後は越後高田75万石を領すが、大坂夏の陣への遅参が豊臣家への内通疑惑を招き、戦後改易された。
松平 忠輝 BC C1468 猛将 徳川家康
まつだいらただよし5964 585010 勇将 85 1580年(一般)徳川家康の四男。関ヶ原合戦では舅・井伊直政とともに戦端を開く。負傷しながらも島津義弘軍を討つなど戦功を立て、戦後、尾張清洲62万石を領した。
松平 忠吉 CC C552 普通 徳川家康
まつだいらのぶやす5184 657912 勇将 90 1559年(一般)徳川家康の長男。織田信長の娘・五徳を娶る。剛勇英邁の人となりで、将来を嘱望されるが、のちに信長から武田家への内通を疑われ、父の命により自害した。
松平 信康 BC B564 猛将 徳川家康
まつながひさひで9575 82810 知将 93 1511年(一般)三好家臣。主家を簒奪し、将軍・足利義輝を殺し、東大寺大仏殿を焼いた稀代の梟雄。のち織田信長に属し、謀叛を起こすが敗れ「平蜘蛛」とともに爆死した。
松永 久秀 BC C1393 普通 -
まつながひさみち6049 62550 勇将 93 1538年(一般)三好家臣。大和多聞山城主。久秀の子。父に従い、将軍・足利義輝の謀殺などに加担した。のちに織田信長に属すが、父とともに信長に背いて敗れ、自害した。
松永 久通 CC C761 普通 松永久秀
まつもとずしょのすけ6457 565312 猛将 47 1525年(一般)蘆名家臣。名は氏輔。氏興とも。大沼郡船岡城主。「蘆名四天の宿老」と呼ばれた重臣の1人。陸奥の田村清顕の軍と戦うが、安積郡福原において討死した。
松本 図書助 CC C745 猛将 -
みうらもとただ6735 65598 勇将 31 1555年(一般)毛利家臣。毛利輝元の信頼を得て重用される。吉川元春の孫娘を娶り、仁保家の家督を継ぎ、仁保城の城番となった。1万6千石の所領を与えられたという。
三浦 元忠 CC C442 普通 -
みくもさだもち3943 57589 知将 29 1520年(一般)六角家臣。賢持、成持の父。六角家の最盛期を支えた。明と交易し、足利家に莫大な金銭を献上したという。野洲川合戦で織田家と戦うが大敗し、討死した。
三雲 定持 CC C544 普通 -
みくもしげもち4553 56519 勇将 29 1540年(一般)六角家臣。兄・賢持の死後、家督を継いだ。「六角氏式目」には父・定持とともに署名している。主家滅亡後は浪人生活を経て、織田信雄・蒲生氏郷に仕えた。
三雲 成持 CC C851 普通 三雲定持
みずがいたねしげ7163 645813 知将 7 1538年(一般)相馬家臣。関ヶ原合戦後、領内の通過を願う伊達政宗の殺害を唱える声が多い中で唯一反対し、政宗は無事領内を通過。この一件により、主家は改易を免れた。
水谷 胤重 CC C954 普通 -
みずのやまさむら2272 55607 猛将 35 1521年(一般)結城家臣。下館城主。結城四天王の一。おもに下野方面に出陣し、宇都宮家と抗争を繰り広げた。のちに豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、所領を安堵された。
水谷 正村 CB C1061 猛将 -
みつぎあきつな4148 45405 勇将 53 1544年(一般)姉小路家臣。姉小路良頼の次男。養父・鍋山安室を毒殺して養母を追放し、鍋山城を乗っ取る。のちに兄・頼綱への謀叛を企てたため、妻とともに暗殺された。
三木 顕綱 CC C536 普通 姉小路良頼
みつぎくにつな4024 49391 勇将 47 1546年(一般)姉小路家臣。主君・頼綱の妹を娶る。金森長近率いる飛騨侵攻軍に敗れ、捕縛されるが助命される。のち、長近の支配に不満を持ち謀叛を起こすが、敗死した。
三木 国綱 CC C749 普通 -
みやべけいじゅん6557 75685 知将 3 1528年(一般)浅井家臣。はじめ比叡山の僧。主家滅亡後は織田信長に属す。羽柴秀吉率いる中国征伐軍の先鋒を務め、因幡鳥取城主となった。晩年は秀吉の御咄衆となった。
宮部 継潤 CC C1062 僧侶 -
武将姓武将名 政治戦闘教養魅力 義理天性相性生年 列伝
  足軽騎馬鉄砲 寿命野望口調父親
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