武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
おおむら | | すみさき |
通常版 |
肥前 |
1488 |
(1473-1551)肥前の豪族。三城主。有馬晴純の圧迫を受け、嫡男・貴明を後藤家の養子とし、晴純の次男・純忠に家督を譲り和議を結ぶ。このため、家臣団の反発を招いた。 |
大村 | | 純前 |
国人衆 | 鉄砲 |
[改修] [貿易] |
44 | 39 | 51 |
52 | 65 |
26 |
おおむら | | すみただ |
通常版 |
肥前 |
1548 |
(1533-1587)肥前の豪族。三城主。有馬晴純の次男。大村純前の養子となり、家督を継ぐ。長崎を開港し、ぽるとがる貿易を行った。日本初のキリシタン大名として著名。 |
大村 | | 純忠 |
武将切支丹 | 槍 |
[登用] [貿易] |
51 | 39 | 44 |
11 | 65 |
24 |
おおむら | | よしさき |
通常版 |
肥前 |
1584 |
(1569-1616)肥前の豪族。三城主。純忠の嫡男。関ヶ原合戦では東軍に属し、所領を安堵される。キリスト教から日蓮宗に転じ、切支丹を迫害したため、のちに毒殺された。 |
大村 | 新八郎 | 喜前 |
武将切支丹 | 槍 |
[検地] |
34 | 20 | 15 |
59 | 55 |
21 |
ひらい | | つねはる |
通常版 |
肥前 |
1530 |
(1515-1574)有馬家臣。肥前須古高城主。主君・晴純の娘を娶る。龍造寺家と抗争を展開し、一度和睦するが、のちに再び敵対。龍造寺家の大軍に攻められ敗北、自害した。 |
平井 | 小左衛門 | 経治 |
国人衆 | 荷駄 |
[回復] |
28 | 40 | 32 |
57 | 65 |
27 |
やすとみ | | すみはる |
通常版 |
肥前 |
1555 |
(1540-1584)有馬家臣。肥前深江城主。主君・晴信に従い龍造寺隆信と戦うが、のち隆信に属す。これを契機に有馬・龍造寺家間に講和が結ばれた。沖田畷合戦で戦死した。 |
安富 | | 純治 |
国人衆 | 弓 |
[連射] |
15 | 48 | 32 |
38 | 55 |
22 |
やすとみ | | すみやす |
通常版 |
肥前 |
1575 |
(1560-1584)有馬家臣。肥前深江城主。のち龍造寺隆信に属す。有馬軍に居城を攻められるが龍造寺軍の援護で撃退した。沖田畷合戦で隆信が戦死した後は深江姓に改めた。 |
安富 | 与三兵衛 | 純泰 |
国人衆 | 鉄砲 |
[雨撃] |
19 | 47 | 35 |
37 | 50 |
26 |
あかざ | | よしいえ |
PK追加 |
越前若狭 |
1578 |
(1563-1606)豊臣家臣。関ヶ原合戦では西軍に属すが朽木元綱らとともに東軍に寝返った。戦後改易されたため、加賀前田家に仕えたが、増水した越中国大門川で溺死した。 |
赤座 | 久兵衛 | 吉家 |
武将 | 騎馬 |
[捕縛] |
36 | 40 | 31 |
53 | 40 |
30 |
ありま | | なおずみ |
PK追加 |
肥前 |
1601 |
(1586-1641)肥前有馬藩主。晴信の嫡男。「岡本大八事件」で父が処分された際、徳川家康の養女を娶っていたため許され、家督を継ぐ。のちに日向延岡に転封された。 |
有馬 | 大吉 | 直純 |
武将 | 槍 |
[検地] [混乱] |
59 | 40 | 49 |
62 | 45 |
23 |
いしかわ | | さだみち |
PK追加 |
丹波丹後 |
1584 |
(1569-1610)豊臣家臣。小牧長久手合戦や小田原征伐などに従軍した。関ヶ原合戦では西軍に属す。戦後、改易され、南部利直に預けられた。子孫は南部家に仕えたという。 |
石川 | 小七郎 | 貞通 |
武将 | 槍 |
[改修] |
47 | 35 | 35 |
42 | 70 |
39 |
いしかわ | | やすかつ |
PK追加 |
三河 |
1578 |
(1563-1615)豊臣家臣。数正の次男。関ヶ原合戦では東軍に属す。のちに兄・康長の領知隠匿罪に連座して改易となった。改易の翌年に大坂城に入り、夏の陣で戦死した。 |
石川 | | 康勝 |
武将 | 荷駄 |
[開墾] |
46 | 38 | 33 |
38 | 55 |
93 |
いたくら | | しげむね |
PK追加 |
三河 |
1601 |
(1586-1656)徳川家臣。勝重の嫡男。永井尚政、井上元就とともに、秀忠近侍の三臣と呼ばれた。父の死後京都所司代となり、西国諸大名の監視および支配強化に努めた。 |
板倉 | 又右衛門 | 重宗 |
旧仏教 | 荷駄 |
[開墾] [商業] [外交] [奉仕] |
74 | 40 | 74 |
51 | 80 |
92 |
いたくら | | しげまさ |
PK追加 |
三河 |
1603 |
(1588-1638)徳川家臣。勝重の三男。三河深溝藩主。島原の乱の鎮圧に努める。しかし老中・松平信綱の派遣が決まると、突然、原城に総攻撃を掛けて敗北、戦死した。 |
板倉 | 宇右衛門 | 重昌 |
旧仏教 | 弓 |
[激励] [連射] |
54 | 48 | 51 |
61 | 70 |
91 |
かとう | | あきなり |
PK追加 |
三河 |
1607 |
(1592-1661)徳川家臣。嘉明の嫡男。父の死後、陸奥会津40万石を継ぐが、のちに家老と対立。出奔した家老の成敗には成功したもののその代償として改易処分となった。 |
加藤 | 孫次郎 | 明成 |
武将 | 槍 |
[捕縛] |
32 | 46 | 15 |
80 | 50 |
8 |
くまがい | | なおもり |
PK追加 |
越前若狭 |
1588 |
(1573-1600)豊臣家臣。勇猛をもって知られた。朝鮮派兵で功を立て、豊後安岐1万5千石を領す。関ヶ原合戦では西軍に属して大垣城を守ったが、相良頼房らに殺された。 |
熊谷 | 半次郎 | 直盛 |
武将 | 槍 |
[攻城] |
34 | 59 | 20 |
63 | 80 |
28 |
さかきばら | | やすかつ |
PK追加 |
三河 |
1605 |
(1590-1615)徳川家臣。康政の三男。長兄・忠政は他家の養子、次兄・忠長は早世のため、父の死後上野館林10万石を継いだ。大坂冬の陣では佐竹軍の窮地を救っている。 |
榊原 | | 康勝 |
武将 | 騎馬 |
[訓練] [槍衾] |
44 | 56 | 37 |
57 | 85 |
90 |
まつだいら | | ただなお |
PK追加 |
三河 |
1607 |
(1595-1650)結城秀康の嫡男。父の死後家督を継ぐ。大坂の陣では真田幸村軍の突撃を阻止するなど活躍。のちに幾多の不行跡を起こしたため、改易され配流処分となった。 |
松平 | 長吉 | 忠直 |
武将 | 騎馬 |
[激励] [突撃] |
49 | 68 | 33 |
83 | 70 |
93 |
まつだいら | | いえみつ |
PK追加 |
三河 |
1619 |
(1604-1651)徳川幕府3代将軍。秀忠の次男。参勤交代制の確立、武家諸法度の改定、鎖国の実施など、のちに「寛永の治」と呼ばれる政治を行い、幕府の安定を図った。 |
松平 | 竹千代 | 家光 |
武将 | 槍 |
[商業] [外交] [雨撃] |
81 | 75 | 53 |
89 | 65 |
84 |
まつだいら | | ただなが |
PK追加 |
三河 |
1621 |
(1606-1633)秀忠の三男。3代将軍の座を兄・家光と争うが祖父・家康に阻まれる。駿河などを領して駿河大納言と称されるも、兄の勘気を蒙り、改易の上自害させられた。 |
松平 | 国松 | 忠長 |
武将 | 槍 |
[混乱] |
47 | 44 | 28 |
86 | 35 |
72 |
まつだいら | | まさゆき |
PK追加 |
三河 |
1626 |
(1611-1672)秀忠の四男。武田信玄の娘・見性院に養育された。会津藩主として「会津家訓」を制定、藩政の基調を定める一方、4代将軍・家綱を補佐し幕政にも携わった。 |
松平 | 幸松 | 正之 |
武将 | 荷駄 |
[開墾] [登用] [収拾] [混乱] |
81 | 39 | 68 |
34 | 95 |
85 |
まつだいら | | よしなお |
PK追加 |
三河 |
1615 |
(1600-1650)家康の九男。徳川御三家の一・尾張藩の藩祖で「剛」と評された。学問を好んで儒教を奨励、産業振興・税制整備・治水などを行い、幕藩体制の基礎を固めた。 |
松平 | 五郎太丸 | 義直 |
武将 | 弓 |
[登用] [奉仕] [守戦] |
64 | 62 | 67 |
53 | 75 |
82 |