武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
まさき | | ときただ |
通常版 |
上総安房 |
1533 |
(1518-1576)里見家臣。勝浦城主。兄・時茂とともに多くの合戦で戦功を立てる。第二次国府台合戦ののち、正木家の存続を優先して北条家に寝返ったが、のちに帰参した。 |
正木 | | 時忠 |
武将 | 騎馬 |
[訓練] [逃亡] |
41 | 50 | 48 |
64 | 50 |
28 |
まさき | | よりただ |
通常版 |
上総安房 |
1566 |
(1551-1622)里見家臣。時忠の子。父が北条家に属した際、人質となる。兄・時通の死後、居城・勝浦城に戻った。主家改易後は、紀州徳川家に仕える子・為春を頼った。 |
正木 | 権五郎 | 頼忠 |
武将 | 荷駄 |
[収拾] |
43 | 37 | 42 |
54 | 65 |
28 |
まさき | | ためはる |
通常版 |
上総安房 |
1588 |
(1573-1652)里見家臣。頼忠の子。甥・徳川頼宣(実妹・お万の方の子)が紀州和歌山藩主となった際、家老として紀州に赴いた。晩年には仮名草子「あだ物語」を著した。 |
正木 | 勝兵衛 | 為春 |
武将 | 鉄砲 |
[外交] [茶湯] |
50 | 22 | 44 |
30 | 70 |
28 |
くるしま | | みちとし |
通常版 |
他 |
1567 |
(1557-1593)豊臣家臣。恵良城主。来島通康の子。土居・得能両家の子孫であるため、2字をとり得居姓を名乗る。主君・秀吉の朝鮮派兵に水軍を率いて従軍し、戦死した。 |
来島 | 半右衛門 | 通年 |
水軍衆 | 鉄砲 |
[改修] [貿易] |
13 | 32 | 36 |
43 | 60 |
28 |
くるしま | | みちふさ |
通常版 |
他 |
1567 |
(1561-1597)豊臣家臣。通康の四男。はじめ河野家に属す。主君・秀吉の四国征伐の際は兄・得居通年とともに先鋒を務めた。朝鮮派兵に水軍を率いて従軍し、戦死した。 |
来島 | 助兵衛 | 通総 |
水軍衆 | 鉄砲 |
[訓練] [貿易] [三段] |
24 | 63 | 36 |
60 | 50 |
28 |
くるしま | | ながちか |
通常版 |
他 |
1597 |
(1582-1612)徳川家臣。通総の子。父の死後、家督を継ぐ。関ヶ原合戦で東軍に寝返るが、戦後、内陸の地である豊後森1万3千石を与えられ、水軍の活躍の場を失った。 |
来島 | 宮松 | 長親 |
水軍衆 | 槍 |
[開墾] [雨撃] |
20 | 35 | 33 |
40 | 65 |
28 |
しょうに | | すけもと |
通常版 |
筑後 |
1497 |
(1491-1535)少弐家16代当主。肥前勢福寺城主。大内義隆の圧迫を受けたため和睦し、居城を明け渡す。しかし義隆に全領を没収され、さらに攻められて敗れ、自害した。 |
少弐 | | 資元 |
武将 | 弓 |
[逃亡] |
49 | 23 | 31 |
55 | 65 |
28 |
しょうに | | ふゆひさ |
通常版 |
筑後 |
1535 |
(1529-1559)少弐家17代当主。資元の子。龍造寺家兼の一族を殺し、東肥前の領主の後援を得て勢力回復を図るが、再起した家兼の曾孫・隆信に攻められ敗北、自害した。 |
少弐 | | 冬尚 |
武将 | 槍 |
[引抜] |
50 | 20 | 44 |
72 | 35 |
28 |
えがみ | | たけたね |
通常版 |
筑後 |
1540 |
(1525-1559)少弐家臣。肥前勢福寺城主。龍造寺隆信の家督相続に反対した東肥前十九将の1人。龍造寺家臣・小田政光を討つなど活躍したが、のちに龍造寺家臣となった。 |
江上 | 太郎 | 武種 |
国人衆 | 騎馬 |
[改修] [収拾] [突撃] |
19 | 53 | 40 |
53 | 85 |
28 |
くましろ | | かつとし |
通常版 |
筑後 |
1526 |
(1511-1565)少弐家臣。肥前三瀬城主。「北山に枕し南海に足を浸す」という夢を買い取り、武運に恵まれる。龍造寺家臣・小田政光を討つなど、終生龍造寺家に対抗した。 |
神代 | | 勝利 |
国人衆 | 騎馬 |
[登用] [激励] [守戦] |
60 | 64 | 67 |
76 | 85 |
28 |
ばば | | よりちか |
通常版 |
筑後 |
1512 |
(1497-1546)少弐家臣。肥前綾部城主。謀略を用いて政敵・龍造寺家兼の一族を討ち、家兼を失脚に追い込む。しかしのちに肥前に復帰した家兼に攻められ敗北、討たれた。 |
馬場 | | 頼周 |
武将 | 弓 |
[捕縛] [混乱] |
72 | 27 | 80 |
80 | 30 |
28 |
やまだ | | ありのぶ |
通常版 |
薩摩大隅 |
1559 |
(1544-1609)島津家臣。各地の合戦で活躍した。伊東家の滅亡後、日向高城主となる。耳川合戦の際は少数の兵で大友家の大軍から居城を守り抜き、主家の勝利に貢献した。 |
山田 | 新介 | 有信 |
武将 | 槍 |
[改修] [守戦] [雨撃] |
27 | 58 | 54 |
29 | 75 |
28 |
やまだ | | ありなが |
通常版 |
薩摩大隅 |
1593 |
(1578-1668)島津家臣。有信の嫡男。伊集院忠真の謀叛鎮圧や関ヶ原合戦などで抜群の功を立てた。出水地頭を務め、家臣教育や産業開発などにも尽力した知勇兼備の将。 |
山田 | 弥九郎 | 有栄 |
武将 | 鉄砲 |
[訓練] [登用] [三段] |
56 | 49 | 60 |
25 | 85 |
28 |
くまがい | | なおもり |
PK追加 |
越前若狭 |
1588 |
(1573-1600)豊臣家臣。勇猛をもって知られた。朝鮮派兵で功を立て、豊後安岐1万5千石を領す。関ヶ原合戦では西軍に属して大垣城を守ったが、相良頼房らに殺された。 |
熊谷 | 半次郎 | 直盛 |
武将 | 槍 |
[攻城] |
34 | 59 | 20 |
63 | 80 |
28 |