武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
まつだいら | | ただよし |
通常版 |
三河 |
1595 |
(1580-1607)徳川家康の四男。関ヶ原合戦では舅・井伊直政とともに戦端を開く。負傷しながらも島津義弘軍を討つなど戦功を上げ、戦後、尾張清洲62万石を領した。 |
松平 | 福松 | 忠吉 |
武将 | 鉄砲 |
[訓練] [三段] [雨撃] |
54 | 53 | 26 |
42 | 75 |
85 |
さかい | | ただつぐ |
通常版 |
三河 |
1542 |
(1527-1596)徳川四天王の筆頭。主君・家康の養育係を務めた。家康の成人後は東三河衆を率いて各地を転戦、数々の軍功をあげる。その器量は豊臣秀吉にも称賛された。 |
酒井 | 小五郎 | 忠次 |
武将 | 弓 |
[開墾] [守戦] [連射] |
65 | 75 | 57 |
66 | 85 |
88 |
さかい | | いえつぐ |
通常版 |
三河 |
1579 |
(1564-1618)徳川家臣。忠次の嫡男。主君・家康の偏諱を受ける。家康の関東入国の際に臼井城主となった。大坂夏の陣で活躍し、その功により越後高田10万石を領した。 |
酒井 | 小五郎 | 家次 |
武将 | 槍 |
[商業] [三段] |
46 | 44 | 29 |
36 | 70 |
88 |
さかい | | ただかつ |
通常版 |
三河 |
1602 |
(1587-1662)徳川家臣。関ヶ原合戦で初陣。家康・秀忠・家光・家綱と将軍四代に仕える。老中・大老を務めて内政・外交全般に活躍した。家綱に「名臣第一」と評された。 |
酒井 | 与七郎 | 忠勝 |
武将 | 槍 |
[開墾] [商業] [治水] |
75 | 21 | 58 |
43 | 70 |
82 |
ほんだ | | しげつぐ |
通常版 |
三河 |
1544 |
(1529-1596)徳川家臣。岡崎奉行を務め、「鬼作左」の異名をとる。豊臣秀吉の母・大政所が徳川家の人質となった際、冷遇したため秀吉の怒りを買い、閉居処分となった。 |
本多 | 作左衛門 | 重次 |
武将 | 槍 |
[開墾] [捕縛] |
59 | 45 | 20 |
47 | 85 |
89 |
ほんだ | | まさずみ |
通常版 |
三河 |
1580 |
(1565-1637)徳川家臣。正信の嫡男。駿府城付の年寄を務める。金地院崇伝とともに内政・外交に活躍、下野宇都宮15万石を領すがのちに秀忠の不興を買い、改易された。 |
本多 | 弥八郎 | 正純 |
一向宗 | 鉄砲 |
[商業] [外交] [説得] |
80 | 9 | 79 |
83 | 50 |
85 |
いしかわ | | いえなり |
通常版 |
三河 |
1549 |
(1534-1609)徳川家臣。数正の叔父。三河一向一揆平定戦で功を立てる。今川家滅亡後、掛川城主に就任。晩年は美濃大垣5万石を領した。家康への忠誠無二と評された。 |
石川 | | 家成 |
武将 | 弓 |
[収拾] [連射] |
40 | 44 | 44 |
45 | 75 |
89 |
おおくぼ | | ただちか |
通常版 |
三河 |
1568 |
(1553-1628)徳川家臣。忠世の嫡男。徳川秀忠の付家老を務める。秀忠および直参旗本からの信頼は絶大であったが、のちに政敵・本多正信の失脚工作によって改易された。 |
大久保 | 新十郎 | 忠隣 |
武将 | 鉄砲 |
[茶湯] [収拾] |
65 | 47 | 17 |
55 | 85 |
80 |
あおやま | | ただなり |
通常版 |
三河 |
1566 |
(1551-1613)徳川家臣。徳川秀忠の傅役を務める。関ヶ原合戦後、内藤清成らとともに江戸奉行・関東総奉行を務めた。しかし、のちに主君・家康の勘気を受け、蟄居した。 |
青山 | 藤右衛門 | 忠成 |
武将 | 騎馬 |
[開墾] [治水] |
54 | 33 | 48 |
46 | 70 |
80 |
あおやま | | ただとし |
通常版 |
三河 |
1593 |
(1578-1643)徳川家臣。土井利勝らとともに徳川家光の傅役となる。家光の勘気を受けて改易されると、出仕要請を断り隠居した。子の宗俊は家光の子・家綱の傅役となる。 |
青山 | 藤五郎 | 忠俊 |
武将 | 槍 |
[訓練] |
40 | 31 | 13 |
18 | 65 |
85 |
あべ | | さだよし |
通常版 |
三河 |
1520 |
(1505-1549)松平家臣。息子・弥七郎が主君・清康を誤殺、その責任から自殺を図るが止められる。清康の子・広忠の岡崎帰城に尽力し、その後は補佐役として活躍した。 |
阿部 | 源次郎 | 定吉 |
武将 | 弓 |
[激励] |
65 | 41 | 62 |
38 | 60 |
88 |
いな | | ただつぐ |
通常版 |
三河 |
1565 |
(1550-1610)徳川家臣。主君・家康の近習を務め、民政に参画。関東における検地・知行割・治水は江戸幕府の経済基盤確立に貢献しその地方仕法は「伊奈流」と呼ばれた。 |
伊奈 | 熊蔵 | 忠次 |
一向宗 | 槍 |
[治水] [逃亡] |
74 | 3 | 12 |
20 | 45 |
81 |
どい | | としかつ |
通常版 |
三河 |
1588 |
(1573-1644)徳川家臣。水野信元の子。徳川家康の落胤という説もある。秀忠・家光と将軍二代に仕えて老中・大老などを歴任。江戸幕府の基盤安定に多大な功績を残した。 |
土井 | 甚三郎 | 利勝 |
武将 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
74 | 10 | 61 |
54 | 70 |
81 |
ないとう | | きよなり |
通常版 |
三河 |
1570 |
(1555-1608)徳川家臣。主君・家康の小姓を勤める。家康の信頼を受け、秀忠の傅役や関東総奉行などを歴任した。しかし、のちに家康の勘気を受けて籠居の身となった。 |
内藤 | 弥三郎 | 清成 |
武将 | 弓 |
[商業] [治水] |
59 | 33 | 52 |
47 | 65 |
80 |
やまぐち | | しげまさ |
通常版 |
尾張 |
1579 |
(1564-1635)徳川家臣。はじめ織田家臣・佐久間正勝に仕える。正勝失脚後は織田信雄に仕え信雄改易後、家康の招きを受けた。しかし、のちに家康の勘気を受け蟄居した。 |
山口 | 長二郎 | 重政 |
武将 | 鉄砲 |
[捕縛] |
19 | 29 | 47 |
56 | 70 |
81 |
しば | | ひでより |
通常版 |
尾張 |
1556 |
(1541-1593)斯波義統の次男。織田家に仕えて各地を転戦、信濃平定後、信濃伊那郡を領す。本能寺の変後は豊臣秀吉に属して九州征伐などに従軍、信濃飯田城主となった。 |
斯波 | | 秀頼 |
武将 | 荷駄 |
[捕縛] [槍衾] |
18 | 44 | 20 |
21 | 75 |
18 |
しば | | よしふゆ |
通常版 |
尾張 |
1560 |
(1545-1584)斯波義統の三男。松ヶ島城主。織田信雄の家老を務めた。のちに豊臣秀吉の謀略に乗せられた主君・信雄により、岡田重孝らとともに長島城で殺害された。 |
斯波 | 源三郎 | 義冬 |
武将 | 弓 |
[外交] [逃亡] |
33 | 28 | 23 |
32 | 65 |
18 |
はやし | | ひでさだ |
通常版 |
尾張 |
1529 |
(1514-1580)織田家臣。筆頭家老。主家の家督争いでは信行を擁立して敗れるが、許される。その後は目立つ働きがなく、のちに信行擁立の件を蒸し返され、追放された。 |
林 | 新五郎 | 秀貞 |
武将 | 弓 |
[引抜] [守戦] |
54 | 15 | 63 |
73 | 40 |
78 |
いけだ | | てるまさ |
通常版 |
尾張 |
1579 |
(1564-1613)織田家臣。恒興の次男。本能寺の変後は豊臣家に属し、各地で活躍。関ヶ原合戦では東軍に属し、戦後、播磨姫路52万石を領して「姫路宰相」と呼ばれた。 |
池田 | 三左衛門 | 輝政 |
武将 | 槍 |
[茶湯] [激励] [三段] |
64 | 62 | 52 |
59 | 50 |
98 |
さっさ | | なりまさ |
通常版 |
尾張 |
1554 |
(1539-1588)織田家臣。柴田勝家に属して北陸の攻略に貢献する。本能寺の変後、羽柴秀吉と対立するが、敗れて降伏。転封先・肥後の領国経営に失敗し自害を命じられた。 |
佐々 | | 成政 |
武将 | 鉄砲 |
[治水] [三段] |
23 | 67 | 32 |
52 | 70 |
85 |