『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
いなわしろ もりくに 通常版 岩代 1551 (1536-1589)蘆名家臣。嫡男・盛胤に家督を譲るが、後妻の讒言により盛胤の廃嫡を企み、盛胤と争った。のちに主家に背き、摺上原合戦では伊達軍の先鋒を務めた。
猪苗代平太郎盛国 武将
[商業] [引抜]  413150 7130 65
かながみ もりはる 通常版 岩代 1542 (1527-1589)蘆名家臣。盛隆の死後、伊達政宗の弟・小次郎を跡継ぎに推す一派を抑え、佐竹義重の次男・義広を当主に迎えることに成功した。摺上原合戦で戦死した。
金上 盛備 武将騎馬
[外交] [突撃] [説得]  544751 4990 45
とみた たかざね 通常版 岩代 1584 (1569-1589)蘆名家臣。蘆名四天の宿老の一。摺上原合戦では先鋒を務め、伊達軍本陣に迫るなど奮戦したが、味方が総崩れとなったため、主君・盛重に従い常陸に逃れた。
富田 隆実 武将騎馬
[激励] [逃亡] [突撃]  55313 6695 45
たむら たかあき 通常版 磐城 1532 (1517-1574)奥州の豪族。三春城主。伊達稙宗の娘を娶る。伊達家の内紛(天文の大乱)の際は、舅・稙宗に与力した。佐竹義重・石川昭光連合軍を破ったのちに急逝した。
田村 隆顕 国人衆騎馬
[商業] [登用] [槍衾] [突撃]  385750 7045 54
たむら きよあき 通常版 磐城 1557 (1542-1586)奥州の豪族。三春城主。隆顕の子。近隣の高倉城を攻略し、また佐竹家と結んで蘆名家の長沼城を攻めるなど、盛んに活動した。娘・愛は伊達政宗に嫁いだ。
田村 清顕 国人衆騎馬
[改修] [回復] [突撃]  484735 5580 54
あんとう きよすえ 通常版 羽後 1529 (1514-1553)檜山安東家7代当主。1550年、蠣崎季広とアイヌ族の和睦協定を裁定するために蝦夷地に渡った。この事により、檜山安東家の蝦夷支配体制が確立された。
安東太郎舜季 武将
[改修] [貿易]  433927 5970 35
あんとう ちかすえ 通常版 羽後 1553 (1539-1587)檜山安東家8代当主。舜季の嫡男。湊・檜山の両安東家を統一し、巧みな戦略で安東家最大の版図を築き上げ「斗星の北天に在るにさも似たり」と恐れられた。
安東太郎愛季 武将騎馬
[商業] [貿易] [守戦] [槍衾]  787075 9175 35
あんとう さねすえ 通常版 羽後 1587 (1576-1659)檜山安東家9代当主。愛季の嫡男。父の死後、家督を継ぐ。南部家や戸沢家と抗争し、所領を守り抜くが、関ヶ原合戦での不手際により、秋田領を追われた。
安東太郎実季 武将
[訓練] [治水]  444451 5450 35
いそのめ ひでかね 通常版 羽後 1567 (1552-1601)安東家臣。愛季の直臣。叛旗を翻した出羽大館城主・浅利勝頼が安東家との戦いに敗れて大館城を明け渡したのち、大館城に入り、比内代官となった。
五十目 秀兼 武将騎馬
[改修] [守戦]  403244 1285 35
とざわ まさしげ 通常版 羽後 1508 (1493-1578)戸沢家臣。戸沢家14代当主・征盛の三男。安房守を称し、小館に住んだ。のちに仏門に入っていた盛重(甥・道盛の嫡男)を養子とした。
戸沢 政重 武将
[引抜]  695564 5670 45
よこて みつもり 通常版 羽後 1525 (1510-1549)小野寺家臣。横手城主。1546年、金沢金乗坊とともに挙兵し、主君・惟道を討った。しかし、のちに小野寺輝道(惟道の嫡男)によって討たれた。
横手 光盛 武将騎馬
[引抜]  312343 2950 65
にがほ たかはる 通常版 羽前 1538 (1523-1591)由利十二党の一。仁賀保家は、大井友光の子・友挙が信濃国から出羽国仁賀保に移ったのが始まりという。戦国時代には由利十二党の中心的存在となっていた。
仁賀保 挙晴 国人衆
[登用]  443629 4765 45
にがほ たかまさ 通常版 羽前 1575 (1560-1625)由利十二党の筆頭。文禄の役では肥前名護屋城に駐屯。会津征伐で功を上げ、徳川家康から感状を授かった。関ヶ原でも東軍に属し、所領5千石を安堵された。
仁賀保 挙誠 国人衆
[外交] [雨撃]  563952 7145 45
にいぜき ひさまさ 通常版 羽前 1583 (1568-1623)最上家臣。因幡守を称す。赤川の水を引く用水堰工事を行うが、主家改易で中断され、土井利勝に預けられた。後年、用水堰は完成し、「因幡堰」と呼ばれた。
新関 久正 武将
[開墾] [治水]  493737 2275 95
やがしわ なおいえ 通常版 羽前 1566 (1551-1610)最上家臣。伊達晴宗・輝宗親子が対立した際、和解を促す使者として伊達家に赴いた。最上・伊達両家の和解対面の際には、主君・義光の名代を務めた。
谷柏 直家 武将騎馬
[回復]  513335 3455 95
こやながわ もりむね 通常版 羽前 1538 (1523-1595)伊達家臣。親宗の子。最上家との合戦で先鋒を務め、大内定綱討伐に従軍するなど活躍、勇武に秀でた謀臣と評された。晩年は政宗に近侍し、献策を行った。
小梁川 盛宗 武将騎馬
[登用] [回復]  534852 6165 75
やしろ かげより 通常版 羽前 1578 (1563-1608)伊達家臣。14歳で政宗に近侍。知勇の才群を抜き、政宗不在時の留守居役を任された。しかし傲慢の振る舞いが多かったため改易され、流浪の末に病死した。
屋代源三郎景頼 武将
[引抜]  173167 6555 65
さたけ よしかた 通常版 常陸 1529 (1514-1566)佐竹一門。東家・政義の嫡男。若年の宗家・義昭に仕え、北家・義廉や南家・義里らと交代で佐竹家の家政を執行した。1566年には那須家と戦い、敗れた。
佐竹源六郎義堅 武将
[激励]  483720 3360 15
さたけ よしひさ 通常版 常陸 1556 (1541-1601)佐竹一門。東家・義堅の次男。南陸奥方面支配の総指揮を執り、内政、軍事、外交などに幅広い活躍を見せた。石田三成を通じて豊臣秀吉と親交を結んだ。
佐竹源六郎義久 武将
[外交] [検地]  522852 4675 15
みずのや まさむら 通常版 下総 1536 (1521-1596)結城家臣。下館城主。結城四天王の一。おもに下野方面に出陣、宇都宮家と抗争を繰り広げた。のちに豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、所領を安堵された。
水谷弥九郎正村 武将
[開墾] [攻城] [混乱]  156143 7385 35

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