武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
みなもと | | よしつね |
諸王 |
他 |
1567 |
(1552-1590)源頼朝の弟。平氏討伐で活躍し、鎌倉幕府の成立に貢献する。武功を立てすぎたため、義経の台頭を恐れた頼朝に追討を受けて、逃亡先の奥州で自害した。 |
源 | | 義経 |
忍者 | 騎馬 |
[収拾] [激励] [軍神] [突撃] |
46 | 109 | 62 |
78 | 75 |
90 |
あしかが | | たかうじ |
諸王 |
大和 |
1544 |
(1529-1580)足利幕府初代将軍。六波羅探題を攻略して鎌倉北条氏を滅ぼす。のち建武の新政を行った後醍醐天皇と対立。京都に幕府を開いて北朝を成立させた。 |
足利 | 又太郎 | 尊氏 |
武将 | 騎馬 |
[登用] [引抜] [外交] [説得] |
76 | 77 | 81 |
93 | 45 |
50 |
たいら | | まさかど |
諸王 |
下総 |
1560 |
(1545-1590)桓武平氏の一族。下総国で挙兵し新皇を称する。関八州の制圧を目論んだが、朝廷から派遣された藤原秀郷によって討伐された。相馬氏の祖といわれる。 |
平 | | 将門 |
武将 | 騎馬 |
[開墾] [逃亡] [槍衾] [混乱] |
59 | 87 | 54 |
99 | 30 |
0 |
このえ | | ひさみち |
諸勢力 |
山城 |
1580 |
(1565-1614)近衛家の当主。近衛家は五摂家の1つで摂政・関白に進む家柄。尚通・稙家・前久・信尹と代を伝えた。前久は全国各地を流浪し、地方文化の興隆に貢献した。 |
近衛 | | 尚通 |
朝廷 | 騎馬 |
[外交] |
49 | 54 | 63 |
53 | 45 |
10 |
なかのいん | | みちため |
諸勢力 |
山城 |
1596 |
(1581-1635)中院家の当主。中院家は大臣家の1つで大納言・内大臣に進む家柄。通為・通勝と代を伝えた。通勝は勅勘を蒙って隠退した際、細川藤孝から和歌を学んだ。 |
中院 | | 通為 |
朝廷 | 弓 |
[外交] |
40 | 40 | 34 |
48 | 80 |
50 |
にいだ | | やへえ |
諸勢力 |
陸前 |
1596 |
(1581-1631)塩釜の商人。塩釜は奥州一の宮・塩竈神社の門前町、および塩釜港を擁する港町として栄えた。塩釜港は陸奥国府・多賀城への荷揚げ港として古くから栄えた。 |
仁井田 | | 弥兵衛 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
41 | 40 | 56 |
56 | 80 |
90 |
いわざわ | | まんじろう |
諸勢力 |
陸前 |
1587 |
(1572-1641)塩釜の商人。塩釜は奥州一の宮・塩竈神社の門前町、および塩釜港を擁する港町として栄えた。塩釜港は陸奥国府・多賀城への荷揚げ港として古くから栄えた。 |
岩沢 | | 万次郎 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
56 | 49 | 54 |
45 | 95 |
40 |
のざき | | いちえもん |
諸勢力 |
羽後 |
1600 |
(1585-1625)秋田の商人。秋田は秋田港を擁する港町として栄えた。秋田港は日本最古の船法度「廻船式目」に「三津七湊」の1つとして挙げられ、安東家が代々支配した。 |
野崎 | | 市右衛門 |
都市 | 弓 |
[商業] [茶湯] |
40 | 40 | 51 |
45 | 30 |
20 |
うえまつ | | しょへいじ |
諸勢力 |
武蔵 |
1575 |
(1560-1622)品川の商人。品川は品川港を擁する港町として発展した。江戸時代には東海道五十三次の一番目の宿場町となり、宿内の家々1千6百軒、人口7千人という。 |
植松 | | 所平次 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
57 | 47 | 49 |
55 | 55 |
40 |
つのだ | | たんざえもん |
諸勢力 |
武蔵 |
1609 |
(1594-1634)品川の商人。品川は品川港を擁する港町として発展した。江戸時代には東海道五十三次の一番目の宿場町となり、宿内の家々1千6百軒、人口7千人という。 |
角田 | | 丹左衛門 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
36 | 44 | 48 |
40 | 50 |
30 |
くどう | | いちべえ |
諸勢力 |
南信濃 |
1572 |
(1557-1618)諏訪の商人。諏訪は諏訪大社の門前町として発展した。甲州街道の上諏訪宿を経て中山道の下諏訪宿に至る。上諏訪・下諏訪ともに、温泉宿場町として栄えた。 |
工藤 | | 市兵衛 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
50 | 43 | 43 |
57 | 60 |
30 |
いまい | | そうきゅう |
諸勢力 |
摂津河内 |
1567 |
(1552-1627)堺の商人。今井家は宗久・宗薫・宗呑と代を伝えた。宗久は堺の有力町衆となり織田信長に仕え、但馬生野銀山経営などで活躍した。宗薫は徳川家康に仕えた。 |
今井 | | 宗久 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
49 | 42 | 44 |
47 | 60 |
80 |
くもうで | | ひこえもん |
諸勢力 |
因幡但馬 |
1574 |
(1559-1638)米子の商人。米子は米子港を擁する港町として発展した。米子港は尼子家や毛利家などが支配した。山陰地方では他に美保関、安来などが港町として発展した。 |
口分田 | | 彦右衛門 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
50 | 48 | 44 |
48 | 95 |
20 |
わかみや | | とうざぶろう |
諸勢力 |
因幡但馬 |
1566 |
(1551-1638)米子の商人。米子は米子港を擁する港町として発展した。米子港は尼子家や毛利家などが支配した。山陰地方では他に美保関、安来などが港町として発展した。 |
若宮 | | 藤三郎 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
50 | 44 | 58 |
58 | 95 |
0 |
あべ | | よしさだ |
諸勢力 |
備前備中 |
1590 |
(1575-1617)福岡の商人。島村盛実が宇喜多能家を謀殺した際、逃れた能家の子・興家を匿った。娘は興家の側室となり、春家・忠家を産んだ。興家は阿部家で死去した。 |
阿部 | | 善定 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
49 | 45 | 43 |
40 | 40 |
30 |
わくり | | げんごべえ |
諸勢力 |
備前備中 |
1584 |
(1569-1638)福岡の商人。福岡は吉井川沿いにあった中世以来の市場町。近くには備前守護所があり、刀鍛冶が多く住んだ。黒田官兵衛の祖父・重隆が一時期住んでいた。 |
和栗 | | 源五兵衛 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
38 | 35 | 49 |
53 | 55 |
70 |
たかぎ | | ぜんざぶろう |
諸勢力 |
土佐 |
1592 |
(1577-1663)須崎の商人。喜三郎は実際は淡路の船問屋という。豊臣秀吉の朝鮮派兵の際、水軍に手配するために、百艘の船を対馬豊崎に回漕するよう、秀吉に命じられた。 |
高来 | | 善三郎 |
都市 | 弓 |
[商業] [茶湯] |
56 | 52 | 63 |
48 | 55 |
60 |
たけわか | | つねふさ |
諸勢力 |
筑前 |
1585 |
(1570-1646)博多の商人。竹若家は常房・重利と代を伝えた織物師。重利は豊臣秀吉の朝鮮派兵の際、秀吉に謁見し「天下泰平」の文言を刻んだ刀の下げ緒を進呈した。 |
竹若 | | 常房 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
67 | 56 | 50 |
54 | 55 |
30 |
だいせんじ | | りゅうげん |
諸勢力 |
南越後 |
1610 |
(1595-1670)南越後の僧侶。大泉寺は一向宗の寺院。越後は頸城郡を中心に早くから一向宗が広まっていたが、長尾為景・晴景から謙信への政権移行期には禁止されていた。 |
大泉寺 | | 竜玄 |
一向宗 | 弓 |
[外交] |
55 | 55 | 53 |
58 | 85 |
60 |
よしざき | | がんち |
諸勢力 |
越前若狭 |
1554 |
(1539-1627)越前若狭の僧侶。吉崎御坊は一向宗の寺院。本願寺8世法主・蓮如が1471年に開いた。加賀・越中などの門徒を集め北陸における一向宗の拠点とした。 |
吉崎 | | 願知 |
一向宗 | 槍 |
[外交] |
48 | 56 | 42 |
59 | 50 |
70 |