『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
さたけ よしのぶ 通常版 常陸 1585 (1570-1633)佐竹家19代当主。義重の嫡男。父に劣らぬ猛将ぶりで知られた。関ヶ原合戦では西軍につく決意を固くし、徳川家康から「今の世に稀な律儀者」と評された。
佐竹次郎義宣 武将鉄砲
[改修] [茶湯] [攻城]  586956 64100 20
おだ うじはる 通常版 常陸 1546 (1531-1601)小田家15代当主。政治の子。北条家と結んで佐竹家の南進阻止を試みるが連戦連敗、居城を奪われて降伏した。以後も失地を回復できず、結城秀康に仕えた。
小田小太郎氏治 武将騎馬
[激励]  363222 5450 70
すげのや かつさだ 通常版 常陸 1508 (1493-1575)小田家臣。土浦城主。土浦城を築いた豪族・若泉五郎左衛門を討って土浦城を奪い、居城とした。近隣の土豪や上杉・佐竹家などと各地で戦った。
菅谷 勝貞 武将
[開墾] [訓練] [収拾] [連射]  617378 42100 70
すげのや まささだ 通常版 常陸 1533 (1518-1592)小田家臣。土浦城主。勝貞の子。佐竹家に奪われた小田城を奪還し、大掾家・宇都宮家などと戦うなど活躍したが、のちに主君・氏治に従い佐竹家に属した。
菅谷 政貞 武将
[訓練] [登用] [捕縛]  375664 2795 70
すげのや のりまさ 通常版 常陸 1573 (1558-1612)小田家臣。政頼(政貞の養子)の娘婿。主君・氏治を何度か居城・土浦城に迎えた。小田原落城後、居城を出て蟄居したが、のちに徳川家に旗本として仕えた。
菅谷 範政 武将鉄砲
[三段] [槍衾]  244657 2185 70
たがや まさひろ 通常版 下総 1552 (1537-1591)結城家臣。佐竹家や宇都宮家へ使者として赴くなど、外交面で活躍した。徳川家康の次男・秀康の結城家入嗣を取りまとめ、豊臣秀吉に功を賞せられた。
多賀谷新十郎政広 武将荷駄
[外交] [収拾]  571156 3165 40
あしかが よしあき 通常版 下総 1502 (1487-1538)小弓御所。古河公方・政氏の子。父らと対立し、流浪の末、真里谷武田家の後援で小弓城に入った。のちに里見家と結んで北条家と国府台で戦うが、敗死した。
足利 義明 武将騎馬
[訓練] [突撃]  317149 9235 40
あしかが よしずみ 通常版 下総 1538 (1532-1601)下野喜連川城主。小弓御所・義明の子。父が第一次国府台合戦で戦死したため、各地を流浪。のちに豊臣秀吉に仕えた。娘・島子は豊臣秀吉の側室となった。
足利 頼純 武将
[登用]  502230 4875 40
あしかが よりうじ 通常版 下総 1595 (1580-1630)下野喜連川城主。頼純の次男。兄・国朝は豊臣秀吉の朝鮮派兵に従い、従軍中に死去した。そのため、頼氏が兄の室(足利義氏の娘)を娶り、遺領を継いだ。
足利 頼氏 武将
[茶湯]  43614 560 40
はら たねきよ 通常版 下総 1498 (1483-1557)千葉家臣。筆頭家老を務めた。一貫して親北条家の立場にあり、第一次国府台合戦の際は北条軍に属した。反北条だった主君・親胤の暗殺に関わったという。
 胤清 武将
[回復] [奉仕] [攻城]  463465 6035 70
たかぎ たねとき 通常版 下総 1543 (1528-1582)原家臣。胤吉の子。上杉謙信の関東遠征の際に、一時上杉家に従うが、以後は一貫して北条方の姿勢を貫いた。のちに栗原六ヶ郷を与えられている。
高城 胤辰 国人衆騎馬
[攻城]  403944 2070 60
ほりえ よりただ 通常版 上総安房 1578 (1563-1616)里見家臣。1587年の鹿野山神野寺の棟札に名が見える。家老を務め、1千3百石を知行した。主家改易後は主君・忠義に従い伯耆倉吉に赴き、同地で病没。
堀江 頼忠 武将
[商業]  492238 4280 30
はが やすただ 通常版 相模伊豆 1557 (1542-1590)北条家臣。評定衆を務める。越相同盟締結の際に使者を務め、厩橋城代として東上野を支配するなど、内政・外交面で活躍した。主家滅亡後は伊豆に隠棲した。
垪和又太郎康忠 武将荷駄
[攻城]  441548 2570 90
あさひな のぶおき 通常版 駿河遠江 1543 (1528-1582)今川家臣。小豆坂合戦などで戦功を立てる。主家滅亡後は武田信玄に仕え、駿河先方衆となった。武田家滅亡の際に、居城・庵原館を攻められ敗北、自害した。
朝比奈藤三郎信置 武将騎馬
[攻城]  175241 5890 50
いい なおまさ 通常版 駿河遠江 1562 (1561-1602)徳川四天王の1人。直親の子。軍装を赤で統一した軍兵は「赤鬼」と恐れられ、常に先鋒を争った。関ヶ原合戦では島津軍を追撃し、島津豊久を討ち取った。
井伊虎松直政 武将騎馬
[訓練] [外交] [激励] [突撃]  748165 7585 90
まつだいら もとやす 通常版 三河 1549 (1542-1616)江戸幕府の創始者。広忠の子。桶狭間の合戦後に自立。織田家との同盟、豊臣家への従属を経て勢力を拡大する。関ヶ原合戦で勝利を収め征夷大将軍となった。
松平次郎三郎元康 武将
[貿易] [奉仕] [影] [槍衾]  898785 9995 90
まつだいら のぶやす 通常版 三河 1567 (1559-1579)徳川家康の長男。織田信長の娘・五徳を娶る。その人となりは剛勇英邁で、将来を嘱望されるが、のちに信長に武田家への内通を疑われ、父の命で自害した。
松平三郎信康 武将
[開墾] [収拾] [槍衾]  507556 6280 90
ほんだ ただかつ 通常版 三河 1563 (1548-1610)徳川四天王の1人。「家康に過ぎたるもの」と謳われた家中随一の猛将。名槍・「蜻蛉切」を手に五十七回の合戦に参陣し、かすり傷一つ負わなかったという。
本多平八郎忠勝 武将騎馬
[改修] [収拾] [鉄壁] [突撃]  568363 7095 90
ほんだ まさのぶ 通常版 三河 1553 (1538-1616)徳川家臣。三河一向一揆に身を投じて主家を離反、諸国を放浪したのちに帰参。行政と謀略に優れた手腕を発揮した。主君・家康には「友」と呼ばれたという。
本多弥八郎正信 一向宗荷駄
[引抜] [外交] [混乱] [説得]  831886 6555 90
さかきばら やすまさ 通常版 三河 1563 (1548-1606)徳川四天王の1人。「無」の旗を掲げて戦場を疾駆し、各地で抜群の戦功を立てた。晩年、老中に推されるが「老臣権を争うは亡国の兆し」とこれを辞退した。
榊原小平太康政 武将騎馬
[訓練] [収拾] [槍衾]  537851 5390 90

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