武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
いなば | | のりみち |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1581 |
(1566-1626)豊臣家臣。貞通の長男。九州征伐の際、主君・秀吉の勘気を蒙り蟄居するが、のちに復帰し、各地の合戦に従軍。父の死後家督を継ぎ、大坂冬の陣に出陣した。 |
稲葉 | 彦六 | 典通 |
武将 | 槍 |
[三段] |
49 | 43 | 40 |
55 | 75 |
95 |
おかもと | | よしかつ |
PK追加 |
尾張 |
1559 |
(1544-1600)織田家臣。信長の三男・信孝は良勝の屋敷で生まれたという。のち主家を出奔、豊臣家に仕え伊勢亀山城主となる。関ヶ原合戦では西軍に属し、戦後自害した。 |
岡本 | 平吉郎 | 良勝 |
武将 | 騎馬 |
[商業] |
48 | 44 | 34 |
58 | 60 |
29 |
おだ | | ひでお |
PK追加 |
尾張 |
1598 |
(1583-1610)豊臣家臣。信雄の子。越前大野5万石を領す。関ヶ原合戦では東軍に属すが、のちに父とともに西軍に属したため、改易された。その後は武蔵浅草に閑居した。 |
織田 | | 秀雄 |
武将 | 槍 |
[三段] |
36 | 34 | 24 |
17 | 65 |
99 |
かとう | | さだやす |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1595 |
(1580-1623)豊臣家臣。関ヶ原合戦では東軍に味方して島津勢と戦い、また近江水口城を攻略するなど活躍した。八条流馬術の秘伝を受け、また詩・和歌・連歌をよくした。 |
加藤 | 作十郎 | 貞泰 |
国人衆 | 槍 |
[登用] |
51 | 54 | 43 |
51 | 70 |
94 |
かなもり | | よししげ |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1573 |
(1558-1615)織田家臣。長屋景重の子で、長近の養子となる。養父の死後、家督を相続。大坂の陣に従軍し、功を立てた。養父と同じく茶の湯を好み、茶会記に名を残した。 |
金森 | 喜蔵 | 可重 |
国人衆 | 弓 |
[茶湯] [連射] |
52 | 43 | 49 |
26 | 55 |
92 |
さかきばら | | やすかつ |
PK追加 |
三河 |
1605 |
(1590-1615)徳川家臣。康政の三男。長兄・忠政は他家の養子、次兄・忠長は早世のため、父の死後上野館林10万石を継いだ。大坂冬の陣では佐竹軍の窮地を救っている。 |
榊原 | | 康勝 |
武将 | 騎馬 |
[訓練] [槍衾] |
44 | 56 | 37 |
57 | 85 |
90 |
たけなか | | たかしげ |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1577 |
(1562-1615)豊臣家臣。半兵衛重治の従弟。豊後高田1万3千石を領す。関ヶ原合戦でははじめ西軍に属して丹後田辺城攻撃に参加。のちに東軍に転じ、所領を安堵された。 |
竹中 | 源介 | 隆重 |
武将 | 騎馬 |
[攻城] |
44 | 52 | 47 |
50 | 60 |
19 |
まつだいら | | ただなお |
PK追加 |
三河 |
1607 |
(1595-1650)結城秀康の嫡男。父の死後家督を継ぐ。大坂の陣では真田幸村軍の突撃を阻止するなど活躍。のちに幾多の不行跡を起こしたため、改易され配流処分となった。 |
松平 | 長吉 | 忠直 |
武将 | 騎馬 |
[激励] [突撃] |
49 | 68 | 33 |
83 | 70 |
93 |
まつだいら | | よりのぶ |
PK追加 |
三河 |
1616 |
(1602-1671)家康の十男。徳川御三家の一・紀州藩の藩祖で「勇」と評された。性格は血気盛んで、大坂の陣で後方の陣に置かれたことを涙を流して悔しがったという。 |
松平 | 長福丸 | 頼宣 |
武将 | 槍 |
[商業] [改修] [激励] |
58 | 69 | 54 |
70 | 65 |
79 |
とりい | | ただまさ |
PK追加 |
三河 |
1581 |
(1566-1628)徳川家臣。元忠の次男。父が伏見城で戦死したため、家督を相続。関ヶ原合戦・大坂の陣では江戸城留守居番を務めた。のちに出羽山形22万石に封ぜられた。 |
鳥居 | 新太郎 | 忠政 |
武将 | 騎馬 |
[登用] |
41 | 55 | 32 |
45 | 60 |
90 |
ないとう | | じょあん |
PK追加 |
丹波丹後 |
1564 |
(1549-1626)豊臣家臣。フロイスに洗礼を受ける。朝鮮派兵では小西行長とともに講和交渉を行った。徳川家康が禁教令を出した際、高山重友とともにまにらに追放された。 |
内藤 | 忠俊 | 如安 |
国人衆切支丹 | 槍 |
[開墾] [収拾] |
57 | 58 | 50 |
30 | 90 |
91 |
なかがわ | | ひさもり |
PK追加 |
摂津河内 |
1609 |
(1594-1653)豊後岡2代藩主。秀成の嫡男。父の死後家督を継ぐ。大坂冬の陣の際は天満口を守った。以後、子孫は加増・転封ともになく代々岡を領し、明治維新に至った。 |
中川 | | 久盛 |
国人衆 | 弓 |
[守戦] |
44 | 48 | 39 |
44 | 70 |
49 |
なかむら | | うじつぐ |
PK追加 |
尾張 |
1571 |
(1556-1600)豊臣家臣。一氏の弟。駿河沼津3万石を領す。兄が急死したため、代わりに関ヶ原合戦に東軍として参加する。前哨戦・杭瀬川合戦で島清興と戦い、敗れた。 |
中村 | 彦右衛門 | 氏次 |
武将 | 弓 |
[収拾] |
45 | 37 | 33 |
40 | 55 |
9 |
ふくしま | | たかはる |
PK追加 |
尾張 |
1588 |
(1573-1633)豊臣家臣。正則の弟。関ヶ原の戦いでは東軍に属して伊勢桑名城を攻め、戦後、大和松山3万石を領す。大坂の陣の際、豊臣方への内通を疑われて改易された。 |
福島 | 助六郎 | 高晴 |
武将 | 槍 |
[開墾] [訓練] [攻城] |
38 | 62 | 37 |
54 | 80 |
97 |
ほりお | | ただうじ |
PK追加 |
尾張 |
1593 |
(1578-1604)豊臣家臣。吉晴の次男。徳川秀忠の偏諱を受ける。関ヶ原合戦では秀忠軍に従い功を立てた。戦後、出雲・隠岐24万石に加増されるが、父に先立ち早世した。 |
堀尾 | 弥介 | 忠氏 |
武将 | 騎馬 |
[商業] [外交] |
58 | 52 | 64 |
32 | 55 |
97 |
ほりお | | ただはる |
PK追加 |
尾張 |
1604 |
(1599-1633)出雲松江藩主。忠氏の子。父の早世により6歳で家督。祖父・吉晴が藩政を指導した。福島正則改易の際には広島城を受け取る。死後、嗣子がなく断絶した。 |
堀尾 | 三之助 | 忠晴 |
武将 | 荷駄 |
[回復] [攻城] |
50 | 44 | 42 |
37 | 70 |
98 |
まつくら | | かついえ |
PK追加 |
大和 |
1612 |
(1597-1638)肥前島原藩主。重政の子。父と同じくキリシタンを弾圧し、圧政を敷いて島原の乱を引き起こす。鎮圧後に改易され、一揆を発生させた罪により斬罪となった。 |
松倉 | | 勝家 |
武将 | 騎馬 |
[激励] |
30 | 59 | 19 |
76 | 45 |
9 |
まるも | | かねとし |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1573 |
(1558-1647)織田家臣。本能寺の変後は豊臣家に仕え九州征伐後、美濃福束2万石を領す。関ヶ原合戦では西軍に属すが、城を落とされ逃亡。のち前田利常の家臣となった。 |
丸毛 | 三郎兵衛 | 兼利 |
武将 | 弓 |
[槍衾] |
37 | 45 | 32 |
60 | 50 |
69 |
もうり | | たかまさ |
PK追加 |
尾張 |
1574 |
(1559-1628)豊臣家臣。備中高松城攻めの際に毛利家の人質となり、以後、森姓を毛利姓に改めた。関ヶ原合戦では西軍に属したが、戦後、豊後佐伯2万石を与えられた。 |
毛利 | 勘八 | 高政 |
武将 | 弓 |
[捕縛] |
40 | 48 | 42 |
49 | 55 |
89 |
やまぐち | | まさひろ |
PK追加 |
尾張 |
1578 |
(1563-1600)豊臣家臣。地方支配にすぐれたという。一時小早川秀秋の補佐役を務めるが、不和になり出奔した。関ヶ原合戦では西軍に属し、前田利長との戦いで戦死した。 |
山口 | | 正弘 |
国人衆 | 騎馬 |
[奉仕] [説得] |
64 | 44 | 40 |
57 | 70 |
59 |