『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
もうり たかまさ PK追加 尾張 1574 (1559-1628)豊臣家臣。備中高松城攻めの際に毛利家の人質となり、以後、森姓を毛利姓に改めた。関ヶ原合戦では西軍に属したが、戦後、豊後佐伯2万石を与えられた。
毛利勘八高政 武将
[捕縛]  404842 4955 89
もうり もとやす PK追加 安芸備後 1571 (1560-1601)毛利元就の八男。出雲末次城を居城として末次姓を名乗る。のちに備後神辺1万5千石を領した。関ヶ原合戦では西軍に属し、近江大津城への攻撃を指揮した。
毛利少輔太郎元康 武将
[商業] [攻城]  525647 5365 37
やぎゅう よしかつ PK追加 大和 1567 (1552-1616)大和の豪族。宗厳の長男。合戦の時に受けた鉄砲傷がもとで半身不随となり、生涯を柳生の里で過ごした。子・兵庫助利厳がのちに柳生新陰流の印可を受けた。
柳生新次郎厳勝 国人衆
[訓練] [剣豪] [槍衾]  357853 1485 88
やぎゅう としよし PK追加 大和 1594 (1579-1650)剣豪。厳勝の次男。祖父・宗厳より印可状を受け、柳生新陰流の継承者となる。一時加藤清正に仕えるが人を斬り浪人。のち尾張徳川家の剣法指南役となった。
柳生忠次郎利厳 国人衆
[登用] [剣豪] [説得]  308658 3675 87
やまぐち まさひろ PK追加 尾張 1578 (1563-1600)豊臣家臣。地方支配にすぐれたという。一時小早川秀秋の補佐役を務めるが、不和になり出奔した。関ヶ原合戦では西軍に属し、前田利長との戦いで戦死した。
山口 正弘 国人衆騎馬
[奉仕] [説得]  644440 5770 59
やまざき さだかつ PK追加 近江 1576 (1561-1604)豊臣家臣。馬廻を務め、伊勢竹原1万石を領す。関ヶ原合戦では西軍に属し、伊勢安濃津城攻撃などに参加したが、敗戦後に逃亡した。のち豊臣秀頼に仕えた。
山崎 定勝 武将荷駄
[訓練]  413635 4160 74
やまのうち ただよし PK追加 尾張 1607 (1592-1664)豊臣家臣。康豊の子。伯父・一豊に子がなかったため、養子となって土佐24万石を継いだ。大坂夏の陣の際は、暴風雨に遭遇したために参戦できなかった。
山内 忠義 国人衆
[外交]  535243 4250 86
ゆい しょうせつ PK追加 駿河遠江 1620 (1605-1651)慶安事件の首謀者。江戸で軍学の講義を生業とし、門弟4千人という。徳川頼宣の名を利用して浪人を集め、幕府転覆を企むが未然に発覚し、駿府で自害した。
由比弥五郎正雪 武将
[引抜] [激励] [混乱]  276562 7890 40
よこはま しげかつ PK追加 大和 1579 (1564-1600)豊臣家臣。播磨で1万7千石を領した。伏見城の普請工事などを担当した。関ヶ原合戦では西軍に属し、近江大津城攻撃などに参加。戦後、所領を没収された。
横浜 茂勝 武将
[三段]  374129 5165 71
わきざか やすもと PK追加 近江 1599 (1584-1653)徳川家臣。安治の子。父の死後、伊予大洲5万3千石を継ぐ。のち信濃飯田5万5千石に転封された。子孫の代に播磨竜野5万3千石となり明治維新を迎えた。
脇坂甚太郎安元 武将
[登用]  404932 5345 16
ほうじょう まさこ 諸王 武蔵 1531 (1520-1588)源頼朝の妻。頼朝の死後、子の頼家が北条家の勢力を排除しようとすると、父・時政と協力してこれを幽閉。その後、幕府の実権を握り、尼将軍と呼ばれた。
北条 政子 武将
[開墾] [登用] [外交] 0 72669 8580 35
ほうじょう ときまさ 諸王 武蔵 1520 (1505-1582)源頼朝の妻である北条政子の父。源氏の挙兵以来、常に頼朝の傍らにいて平家討伐を支援する。頼朝が死亡すると跡継ぎを失脚させ、執権となり権力を握った。
北条 時政 武将騎馬
[改修] [訓練] [収拾] [逃亡]  654159 8365 45
ほうじょう よしとき 諸王 武蔵 1536 (1521-1585)北条時政の子。奥州藤原氏との戦いで功を挙げる。頼朝の死後、頼朝の子・頼家を伊豆に幽閉して政権を奪い、父の跡を継いで第2代執権となった。
北条 義時 武将
[開墾] [商業] [引抜] [外交]  734772 9050 40
ほうじょう やすとき 諸王 武蔵 1552 (1537-1596)北条義時の子。後鳥羽上皇率いる反抗勢力を鎮圧し、義時の死後、第3代執権となる。武家最初の法典「御成敗式目」を制定するなど、政治手腕に優れていた。
北条 泰時 武将
[商業] [改修] [激励] [説得]  854967 5490 38
ほうじょう ときより 諸王 武蔵 1567 (1552-1588)鎌倉幕府の第5代執権。北条時氏の子。政敵の三浦一族を滅ぼし、独裁体制を確立した。仁政で知られ、民情視察のため諸国を巡回したという伝説も残る。
北条 時頼 武将
[登用] [奉仕] [収拾] [混乱]  765476 8570 37
あしかが よしみつ 諸王 大和 1555 (1540-1595)室町幕府第3代将軍。南北朝を統一し、明との国交を開いて勘合貿易を始める。公家文化を好み、北山文化の興隆に貢献した。
足利 義満 武将
[改修] [外交] [貿易] [説得]  986395 10060 52
いっきゅう そうじゅん 諸王 大和 1569 (1554-1641)室町時代の禅僧。全国を行脚し、ひろく民衆に慕われる。その人気から江戸時代以降には、小僧時代の一休の頓知咄が多く作られた。
一休 宗純 旧仏教
[開墾] [引抜] [逃亡] [混乱]  5711125 190 55
にながわ ちうん 諸王 大和 1560 (1545-1600)室町中期の武将、連歌師。蜷川新右衛門と称す。幕府では政所公役をつとめる。一休宗純や梵灯に連歌を学び、『親当句集』などの作品を残した。
蜷川 智蘊 武将
[訓練] [回復] [剣豪] [槍衾]  586248 595 56
ちんぎす はーん 諸王 北越後 1545 (1530-1596)モンゴル帝国初代ハーン。モンゴル統一後、西夏・金・ホラズムに遠征し、大帝国を築く。広大な領土を征服する一方で東西交路の整備にもつとめた。
チンギス ハーン 武将騎馬
[訓練] [登用] [軍神] [突撃]  77130104 10070 20
ふびらい はーん 諸王 北越後 1563 (1548-1627)チンギスハーンの孫。モンゴル帝国の第5代ハーン。南宋を滅ぼして中国を統一し、国号を元とする。東南あじあや朝鮮を属国とし、日本にも兵を送った。
フビライ ハーン 武将騎馬
[商業] [登用] [貿易] [突撃]  1167695 9570 25

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