武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
こやながわ | | むねひで |
通常版 |
陸前 |
1525 |
(1510-1570)伊達家臣。宗朝の子。天文の大乱の際は父とともに稙宗側に属した。中野宗時の謀叛の際は追討軍の先鋒を務め、小松城攻めで戦死した。文武に秀でるという。 |
小梁川 | | 宗秀 |
武将 | 弓 |
[連射] |
48 | 34 | 42 |
59 | 70 |
74 |
こやながわ | | もりむね |
通常版 |
羽前 |
1538 |
(1523-1595)伊達家臣。親宗の子。最上家との合戦で先鋒を務め、大内定綱討伐に従軍するなど活躍、勇武に秀でた謀臣と評された。晩年は政宗に近侍し、献策を行った。 |
小梁川 | | 盛宗 |
武将 | 騎馬 |
[登用] [回復] |
53 | 48 | 52 |
61 | 65 |
75 |
こおり | | さだなが |
通常版 |
羽前 |
1539 |
(1524-1563)伊達家臣。主君・晴宗が奥州探題となった際、牧野久仲とともに奥州守護代となった。天文の大乱の際、晴宗の参謀を務めた桑折景長と同一人物であるという。 |
桑折 | | 貞長 |
武将 | 荷駄 |
[外交] [収拾] |
67 | 44 | 65 |
42 | 75 |
70 |
ごとう | | のぶやす |
通常版 |
羽前 |
1570 |
(1555-1614)伊達家臣。湯目重弘の次男で、後藤家を継ぐ。檜原城を守り、蘆名家に備えた。知勇に秀で、合戦の際は必ず黄色の母衣を用いたため「黄後藤」と畏れられた。 |
後藤 | 孫兵衛 | 信康 |
武将 | 騎馬 |
[訓練] [捕縛] |
8 | 59 | 28 |
66 | 70 |
69 |
しろいし | | むねざね |
通常版 |
陸前 |
1568 |
(1553-1599)伊達家臣。輝宗・政宗の二代に仕え、各地の合戦で功を立てる。摺上原合戦では伊達成実とともに伊達軍の主力を形成した。豊臣秀吉の朝鮮出兵にも従軍した。 |
白石 | | 宗実 |
武将 | 騎馬 |
[捕縛] [突撃] |
36 | 54 | 44 |
43 | 65 |
70 |
なかの | | むねとき |
通常版 |
羽前 |
1516 |
(1501-1570)伊達家臣。天文の大乱では晴宗の参謀を務め、乱の終息後は家中で最大の勢力を誇った。輝宗の代に謀叛を起こすが敗れて逃亡、流浪の末、餓死した。 |
中野 | | 宗時 |
武将 | 弓 |
[開墾] [逃亡] |
81 | 18 | 65 |
87 | 40 |
66 |
まきの | | ひさなか |
通常版 |
羽前 |
1544 |
(1529-1570)伊達家臣。中野宗時の次男。奥州守護代を務め、父とともに伊達家中の政務を取り仕切った。輝宗の代に謀叛を起こすが敗れて逃亡、相馬領に逃れた。 |
牧野 | | 久仲 |
武将 | 槍 |
[外交] [逃亡] |
72 | 9 | 65 |
77 | 50 |
74 |
はらだ | | むねとき |
通常版 |
羽前 |
1580 |
(1565-1593)伊達家臣。18歳で兵馬の権を与えられ各地で戦功を立てた剛勇の士。豊臣秀吉の朝鮮出兵に従軍中、病死した。「伊達騒動」の原田甲斐は宗時の孫である。 |
原田 | | 宗時 |
武将 | 騎馬 |
[回復] [収拾] [突撃] |
17 | 68 | 44 |
52 | 70 |
69 |
はせくら | | つねなが |
通常版 |
羽前 |
1586 |
(1571-1622)伊達家臣。慶長遣欧使節団の一員としてすぺいんとろ−まを訪問した。さしたる成果を得られぬまま帰国し、2年後、失意のうちにこの世を去った。 |
支倉 | 六右衛門 | 常長 |
武将 | 鉄砲 |
[貿易] |
58 | 15 | 35 |
31 | 50 |
70 |
やしろ | | かげより |
通常版 |
羽前 |
1578 |
(1563-1608)伊達家臣。14歳で政宗に近侍。知勇の才群を抜き、政宗不在時の留守居役を任された。しかし傲慢の振る舞いが多かったため改易され、流浪の末に病死した。 |
屋代 | 源三郎 | 景頼 |
武将 | 槍 |
[引抜] |
17 | 31 | 67 |
65 | 55 |
65 |
うどの | | ながもち |
通常版 |
三河 |
1528 |
(1513-1562)三河の豪族。上の郷城主。今川家の三河侵攻軍に降り、今川義元の妹を娶った。桶狭間の合戦後、徳川家康の攻撃を受け家康配下の甲賀衆・伴資定に討たれた。 |
鵜殿 | 三郎 | 長持 |
武将 | 弓 |
[連射] |
43 | 22 | 44 |
50 | 65 |
42 |
うどの | | ながてる |
通常版 |
三河 |
1546 |
(1531-1562)今川家臣。長持の子。桶狭間の合戦後、三河の武将が次々と徳川家に属す中、唯一今川方に残る。そのため、三河平定を目指す徳川軍の攻撃を受け、敗死した。 |
鵜殿 | 蔵太郎 | 長照 |
武将 | 弓 |
[逃亡] |
27 | 36 | 25 |
34 | 60 |
42 |
うどの | | うじなが |
通常版 |
三河 |
1562 |
(1549-1624)今川家臣。長照の子。父が戦死した際に徳川家康に捕らえられ、家康の妻子と引き換えに駿府城に赴く。主家滅亡後は徳川家に属し、長篠合戦などに従軍した。 |
鵜殿 | 三郎 | 氏長 |
武将 | 槍 |
[茶湯] |
32 | 7 | 20 |
22 | 50 |
27 |
おくだいら | | さだよし |
通常版 |
三河 |
1552 |
(1537-1598)徳川家臣。はじめ今川家に仕えるが、桶狭間合戦後に徳川家に仕え、姉川合戦などに従軍。一時武田家に属すが、武田信玄の死後に帰参、長篠合戦で活躍した。 |
奥平 | 九八郎 | 貞能 |
国人衆 | 弓 |
[引抜] |
38 | 40 | 36 |
35 | 60 |
68 |
おくだいら | | のぶまさ |
通常版 |
三河 |
1570 |
(1555-1615)徳川家臣。貞能の子。武田信玄の死後、徳川家康に仕える。長篠合戦では長篠城を死守し、勝利に大きく貢献した。その功により、家康の娘・亀姫を娶った。 |
奥平 | 九八郎 | 信昌 |
国人衆 | 槍 |
[激励] [守戦] [三段] |
25 | 55 | 40 |
57 | 70 |
68 |
くしま | | まさなり |
通常版 |
三河 |
1507 |
(1492-1536)今川家臣。高天神城主。家中随一の猛将といわれ、たびたび甲斐の武田信虎と戦う。主君・氏輝の死後、「花倉の乱」に敗れ、逃亡先の甲斐で信虎に殺された。 |
福島 | | 正成 |
武将 | 騎馬 |
[突撃] |
28 | 84 | 80 |
91 | 45 |
82 |
くしま | | つなしげ |
通常版 |
三河 |
1530 |
(1515-1587)北条家臣。福島正成の子。父の死後、北条氏綱を頼り、氏綱の娘を娶って一門となる。河越合戦などで活躍し、その旗印より「地黄八幡」と呼ばれ畏怖された。 |
福島 | | 綱成 |
武将 | 騎馬 |
[訓練] [回復] [激励] [突撃] |
47 | 84 | 73 |
61 | 90 |
82 |
くしま | | うじしげ |
通常版 |
三河 |
1551 |
(1536-1578)北条家臣。綱成の子。家中随一の猛将と恐れられた父に劣らず、武勇に優れていた。玉縄城主を務め、上杉謙信の関東侵攻軍を撃退するなどの戦功を立てた。 |
福島 | 善九郎 | 氏繁 |
武将 | 荷駄 |
[開墾] [収拾] [槍衾] |
40 | 59 | 56 |
33 | 65 |
82 |
くしま | | うじかつ |
通常版 |
三河 |
1574 |
(1559-1611)北条家臣。氏繁の子。父の死後、玉縄城主となる。豊臣秀吉の小田原征伐の際は山中城を守るが落城、その後は居城に籠城するが降伏、戦後は徳川家に仕えた。 |
福島 | | 氏勝 |
武将 | 騎馬 |
[守戦] |
24 | 32 | 20 |
30 | 45 |
87 |
すがぬま | | さだみつ |
通常版 |
三河 |
1558 |
(1543-1604)徳川家臣。野田城主。はじめ今川家に属す。武田信玄の三河侵攻の際は、一族の多くが信玄に寝返る中、一貫して徳川家に属し、信玄に居城を攻め落とされた。 |
菅沼 | 新八郎 | 定盈 |
国人衆 | 弓 |
[激励] |
47 | 27 | 52 |
37 | 70 |
44 |