『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
かたぎり かつもと 通常版 近江 1571 (1556-1615)豊臣家臣。賤ヶ岳七本槍の1人。主君・秀頼の傅役として主家存続のため奔走するが、徳川家康への内通疑惑により大坂城を退去した。以後は徳川家に属した。
片桐助作且元 武将鉄砲
[外交] [三段]  463540 5380 2
いしだ みつなり 通常版 近江 1575 (1560-1600)豊臣家臣。五奉行の1人として国政に参画。主君・秀吉の死後、西軍総大将として徳川家康と関ヶ原で戦うが、諸将の統制をとれずに敗れ、京都で斬首された。
石田佐吉三成 武将
[商業] [登用] [検地] [逃亡]  894581 70100 20
おおたに よしつぐ 通常版 近江 1574 (1559-1600)豊臣家臣。関ヶ原合戦で西軍に属す。親友・石田三成のために病をおして奮戦、藤堂高虎の軍を撃退するが、寝返った小早川秀秋軍に攻められ敗北、自害した。
大谷紀之介吉継 武将騎馬
[開墾] [訓練] [奉仕] [槍衾]  817980 43100 20
おおの はるなが 通常版 近江 1585 (1570-1615)豊臣家臣。片桐且元が大坂城を退去した後、大坂城内を取りまとめる。大坂の陣では豊臣方の指導者的役割を果たした。大坂城落城の際、主君・秀頼に殉じた。
大野 治長 武将鉄砲
[茶湯]  421040 2275 21
きむら さだみつ 通常版 近江 1574 (1559-1595)豊臣家臣。常陸介を称す。賤ヶ岳合戦などに従軍し、越前府中10万石を領す。出羽国の検地奉行を務めた。のちに豊臣秀次事件に連座し、自害させられた。
木村 定光 武将
[検地] [茶湯]  674964 6175 20
きむら しげなり 通常版 近江 1595 (1593-1615)豊臣家臣。定光の子という。主君・秀頼の乳兄弟で、小姓を務めた。徳川家との和睦の際は豊臣家の使者を務めた。大坂夏の陣で井伊直孝軍と戦い、戦死した。
木村 重成 武将
[訓練] [外交] [捕縛]  175228 695 20
なつか まさいえ 通常版 近江 1572 (1557-1600)丹羽家臣。主家没落後は豊臣家に仕え、五奉行の1人となる。算術に通じ、主家の賦課収納の財政処理を担当した。関ヶ原合戦では西軍に属し、戦後自害した。
長束新三郎正家 武将荷駄
[商業] [治水]  83106 4150 23
ごとう かたとよ 通常版 近江 1531 (1516-1563)六角家臣。進藤家とともに「六角家の両藤」と称された。主君・義賢親子上洛の際は警護役を務めた。いわゆる「観音寺騒動」において主君・義治に殺された。
後藤重左衛門賢豊 武将
[登用] [外交] [連射]  675055 6775 29
ごとう たかはる 通常版 近江 1555 (1540-1589)六角家臣。賢豊の次男。「観音寺騒動」で父が死亡したのち家督を継ぐ。進藤家と並ぶ「両藤」として義治の重臣となるが、織田信長の上洛軍に敗れ降伏した。
後藤喜三郎高治 武将騎馬
[開墾]  281035 3950 29
しんどう さだはる 通常版 近江 1512 (1497-1551)六角家臣。木浜城主。後藤賢豊とともに「両藤」と呼ばれた。幕府や細川家、本願寺との折衝や延暦寺と法華宗の紛争の調停など、おもに外交面で活躍した。
進藤新介貞治 武将
[開墾] [登用] [外交]  624454 6260 26
みくも しげもち 通常版 近江 1555 (1540-1603)六角家臣。兄・賢持の死後、家督を継いだ。「六角氏式目」には父・定持とともに署名している。主家滅亡後は浪人生活を経て、織田信雄・蒲生氏郷に仕えた。
三雲新左衛門成持 武将
[守戦]  403542 3490 29
よしだ しげまさ 通常版 近江 1537 (1522-1581)六角家臣。吉田流弓術の祖・重賢の子。主君・義賢から弓術の伝授を求められるが拒否して出奔、一時朝倉家に仕える。数年後に帰参し、義賢に弓術を授けた。
吉田助左衛門重政 武将
[連射]  74139 4445 29
おがわ すけただ 通常版 近江 1564 (1549-1601)近江の豪族。明智光秀に属す。光秀の死後は柴田勝豊の家老を経て豊臣秀吉に仕え、伊予府中7万石を領した。関ヶ原合戦で東軍に寝返るが、戦後改易された。
小川孫一郎祐忠 国人衆
[攻城]  202948 6530 27
やまざき かたいえ 通常版 近江 1562 (1547-1591)六角家臣。山崎城主。主君・義治と不和になり、織田信長に仕える。本能寺の変後は一時明智光秀に属すが、のち豊臣秀吉に仕え摂津三田2万3千石を領した。
山崎源太左衛門片家 国人衆
[改修]  323336 4870 32
やまざき いえもり 通常版 近江 1582 (1567-1614)豊臣家臣。片家の嫡男。伏見城の普請工事などを担当した。関ヶ原合戦では西軍に属すが、縁戚・池田輝政の尽力により改易を免れ、因幡若桜3万石を領した。
山崎与市家盛 国人衆
[雨撃]  382224 3060 32
あしかが よしてる 通常版 山城 1546 (1536-1565)室町幕府13代将軍。上泉信綱より新陰流の奥義を伝授される。失われた幕府権力の回復に奔走するが、のちに松永久秀らに奇襲され、孤軍奮闘の末自害した。
足利 義輝 武将
[訓練] [登用] [剣豪]  567225 8480 62
すすきだ かねすけ 通常版 山城 1593 (1578-1615)豊臣家臣。大坂冬の陣で博労ヶ淵砦の守備に失敗し、「橙武者」と嘲られた。大坂夏の陣で勇戦し、戦死した。ひひ退治の豪傑・岩見重太郎と同一人物という。
薄田 兼相 武将
[訓練]  3571 5880 27
はたの たねみち 通常版 丹波丹後 1511 (1496-1545)管領細川家臣。将軍・足利義稙の偏諱を受け、稙通と名乗る。主君・高国に与力して丹波一帯に一大勢力を築き上げた。のちに細川晴元に属し、高国と戦った。
波多野与兵衛稙通 武将騎馬
[改修] [収拾] [守戦] [混乱]  716981 8560 27
はたの はるみち 通常版 丹波丹後 1535 (1520-1560)管領細川家臣。稙通の子。三好軍の度重なる攻撃を受ける。撃退に努めるがのちに松永久秀に降り、城を追われた。居城の八上城には久秀の甥・彦六が入った。
波多野与兵衛晴通 武将
[逃亡]  343435 5070 27
はたの ひではる 通常版 丹波丹後 1556 (1541-1579)丹波の豪族。八上城主。晴通の子。居城を三好家から奪還し、勢力を拡大した。明智光秀の攻撃を受け、籠城して戦うが降伏、安土に送られ磔刑に処せられた。
波多野 秀治 武将
[訓練] [守戦] [連射]  245745 5975 23

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