武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
しゃるる | | う゛ぁろわ |
諸王 |
阿波 |
1561 |
(1546-1604)フランス国王・シャルル7世のこと。ジャンヌダルクの活躍で百年戦争に勝利する。戦後は財政の再建と中央集権化を進め、フランスの復興に努めた。 |
シャルル | | ヴァロワ |
切支丹 | 槍 |
[商業] [外交] [逃亡] 0 |
70 | 41 | 65 |
94 | 45 |
41 |
かこう | | とん |
諸王 |
越前若狭 |
1549 |
(1534-1594)魏の武将。曹操の縁者。呂布との戦いで曹性の矢を受け、左目を失う。しかし、その後も軍を率いて各地を転戦。曹操の死後、後を追うかのように病死した。 |
夏侯 | | 惇 |
武将 | 騎馬 |
[訓練] [回復] [槍衾] [突撃] |
62 | 89 | 65 |
72 | 90 |
1 |
あしや | | どうまん |
諸王 |
下総 |
1555 |
(1540-1620)平安時代の陰陽師。安倍晴明の宿敵として語られることが多い。伝説によれば、藤原道長を呪詛しようとしたが、晴明の活躍で失敗し、都を追放されたという。 |
蘆屋 | | 道満 |
忍者 | 槍 |
[引抜] [回復] [逃亡] [混乱] |
43 | 66 | 88 |
82 | 60 |
15 |
やりつ | | きゅうか |
諸王 |
武蔵 |
1565 |
(1550-1600)遼の将軍。用兵の迅速さから「電帥」とあだ名される。二度に渡り北宋の大軍を撃破し活躍したが、自身は和平論者で、民政にも非常に意を用いた。 |
耶律 | | 休哥 |
武将 | 騎馬 |
[回復] [奉仕] [守戦] [突撃] |
93 | 100 | 94 |
58 | 95 |
71 |
ばど | | ざっばい |
諸王 |
近江 |
1561 |
(1550-1590)3世紀に中東に栄えたパルミラの女王・ゼノビアのこと。クレオパトラに勝るといわれた美貌を持ち、ローマ帝国と互角に戦うほど武勇・知略にも秀でていた。 |
バド | | ザッバイ |
武将 | 槍 |
[商業] [登用] [引抜] [収拾] |
68 | 76 | 80 |
97 | 60 |
12 |
このえ | | ひさみち |
諸勢力 |
山城 |
1580 |
(1565-1614)近衛家の当主。近衛家は五摂家の1つで摂政・関白に進む家柄。尚通・稙家・前久・信尹と代を伝えた。前久は全国各地を流浪し、地方文化の興隆に貢献した。 |
近衛 | | 尚通 |
朝廷 | 騎馬 |
[外交] |
49 | 54 | 63 |
53 | 45 |
10 |
いまでがわ | | きみひこ |
諸勢力 |
山城 |
1554 |
(1539-1617)今出川家の当主。今出川家は精華の1つで大臣大将を兼ね太政大臣に進む家柄。公彦・晴季と代を伝えた。晴季は菊亭姓も称し豊臣秀吉の関白叙任に尽力した。 |
今出川 | | 公彦 |
朝廷 | 騎馬 |
[外交] |
44 | 43 | 50 |
46 | 95 |
1 |
おとべ | | しんざえもん |
諸勢力 |
陸前 |
1599 |
(1584-1657)塩釜の商人。塩釜は奥州一の宮・塩竈神社の門前町、および塩釜港を擁する港町として栄えた。塩釜港は陸奥国府・多賀城への荷揚げ港として古くから栄えた。 |
乙部 | | 新左衛門 |
都市 | 弓 |
[商業] [茶湯] |
50 | 51 | 49 |
45 | 95 |
15 |
ももおか | | さんえもん |
諸勢力 |
陸前 |
1573 |
(1558-1616)塩釜の商人。塩釜は奥州一の宮・塩竈神社の門前町、および塩釜港を擁する港町として栄えた。塩釜港は陸奥国府・多賀城への荷揚げ港として古くから栄えた。 |
百岡 | | 三右衛門 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
54 | 53 | 57 |
41 | 50 |
1 |
ほんま | | さくえもん |
諸勢力 |
羽後 |
1565 |
(1550-1630)秋田の商人。秋田は秋田港を擁する港町として栄えた。秋田港は日本最古の船法度「廻船式目」に「三津七湊」の1つとして挙げられ、安東家が代々支配した。 |
本間 | | 作右衛門 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
51 | 53 | 43 |
49 | 85 |
41 |
あじき | | とうざえもん |
諸勢力 |
羽後 |
1580 |
(1565-1617)秋田の商人。秋田は秋田港を擁する港町として栄えた。秋田港は日本最古の船法度「廻船式目」に「三津七湊」の1つとして挙げられ、安東家が代々支配した。 |
安食 | | 藤左衛門 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
44 | 53 | 46 |
46 | 65 |
21 |
すがわら | | きゅうえもん |
諸勢力 |
羽後 |
1563 |
(1548-1630)秋田の商人。秋田は秋田港を擁する港町として栄えた。秋田港は日本最古の船法度「廻船式目」に「三津七湊」の1つとして挙げられ、安東家が代々支配した。 |
菅原 | | 久右衛門 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
53 | 41 | 55 |
49 | 70 |
51 |
ふかや | | げきのすけ |
諸勢力 |
武蔵 |
1537 |
(1522-1619)品川の商人。深谷家は実際は常陸佐竹家に仕えた御用商人。領内の商業発展のために尽力し、主家の転封に伴って秋田に移住した。品川は港町としても栄えた。 |
深谷 | | 外記助 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
51 | 54 | 60 |
40 | 80 |
51 |
いしどうばら | | はちべえ |
諸勢力 |
武蔵 |
1535 |
(1520-1617)品川の商人。品川は品川港を擁する港町として発展した。江戸時代には東海道五十三次の一番目の宿場町となり、宿内の家々1千6百軒、人口7千人という。 |
石堂原 | | 八兵衛 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
52 | 62 | 55 |
49 | 95 |
61 |
かすや | | げんざぶろう |
諸勢力 |
武蔵 |
1571 |
(1556-1618)品川の商人。品川は品川港を擁する港町として発展した。江戸時代には東海道五十三次の一番目の宿場町となり、宿内の家々1千6百軒、人口7千人という。 |
糟屋 | | 源三郎 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
39 | 39 | 52 |
42 | 60 |
51 |
ながい | | さえもん |
諸勢力 |
伊勢志摩 |
1593 |
(1578-1640)桑名の商人。左衛門は実際は伊勢丹生の豪商で、娘は三井高俊に嫁ぐ。高俊は伊勢松坂で質屋などを経営、四男・高利が呉服屋・越後屋(のち三越)を開いた。 |
永井 | | 左衛門 |
都市 | 弓 |
[商業] [茶湯] |
40 | 44 | 48 |
44 | 70 |
16 |
のりたけ | | ろくろう |
諸勢力 |
南信濃 |
1550 |
(1535-1628)諏訪の商人。諏訪は諏訪大社の門前町として発展した。甲州街道の上諏訪宿を経て中山道の下諏訪宿に至る。上諏訪・下諏訪ともに、温泉宿場町として栄えた。 |
則武 | | 六郎 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
48 | 47 | 55 |
49 | 60 |
41 |
たちばなや | | さぶろうざ |
諸勢力 |
南越後 |
1555 |
(1540-1619)直江津の商人。三郎左は実際は越前木田の商人で、薬品をおもに商い、絹座などを支配した。一時能登に住むが、のちに織田信長の許しを得て越前に戻った。 |
橘屋 | | 三郎左 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
52 | 48 | 52 |
57 | 55 |
19 |
さくらい | | しんざえもん |
諸勢力 |
南越後 |
1576 |
(1561-1620)直江津の商人。直江津は直江津港を擁する港町。直江津港は日本最古の船法度である「廻船式目」で「三津七湊」の1つに数えられた。上杉家などが支配した。 |
桜井 | | 新左衛門 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
38 | 40 | 51 |
58 | 75 |
18 |
かんばやし | | ひさしげ |
諸勢力 |
山城 |
1571 |
(1556-1622)京都の商人。上林家は実際は宇治代官・茶師で、山城宇治で茶園を営み、幕府や諸大名に茶を提供した。久茂は本能寺の変の際、徳川家康の畿内脱出を助けた。 |
上林 | | 久重 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
44 | 46 | 51 |
50 | 95 |
1 |