『信長の野望 蒼天録』武将総覧

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   重視思考出身出自  
武将姓武将名 政治統率知略 相性義理野心列伝
兵科特技策戦1 策戦2策戦3 
さたけさだたか 幕府・名声保守鳩派常陸武将(1583-1620)陸奥大館城主。佐竹義重の三男。岩城常隆の養子となる。関ヶ原合戦に出陣せず改易された。のちに大坂の陣に参加し、信濃川中島1万石を与えられた。
佐竹 貞隆 493641 I 5224
鉄砲改修 威圧誘導 -
しらかわよしひろ 幕府保守鷹派常陸武将(1576-1631)蘆名家20代当主。佐竹義重の次男。白河結城家の養子となるが、のち蘆名盛隆の娘を娶り蘆名家を継ぐ。摺上原で伊達政宗の軍に敗れ、故郷の常陸に逃れた。
白河 義広 474623 I 4742
足軽哀願 罵声誘導 -
にほんまつむらくに 幕府・名声保守鳩派岩代武将(1479-1542)二本松畠山家10代当主。政国の嫡男。二本松家は畠山義忠の未亡人を娶った畠山義純を始祖とし、奥州探題となった4代当主・高国以後、二本松と号した。
二本松 村国 544363 U 4159
足軽農業 治療誘導 迎撃
にほんまついえやす 幕府保守鳩派岩代武将(1512-1546)二本松畠山家11代当主。村国の嫡男。居城・二本松城は、7代当主・満泰によって応永年間(1394〜1427)に築かれた。別名を霧ヶ城という。
二本松 家泰 352036 U 3937
足軽商業 混乱- -
にほんまつよしくに 幕府保守鷹派岩代武将(1521-1580)二本松畠山家13代当主。新城村尚の子であるが、二本松義氏の早世により、宗家の家督を継いだ。蘆名家と田村家が争った際には、講和の斡旋を行っている。
二本松 義国 614543 U 6360
長槍登用 収拾誘導 -
にほんまつよしつぐ 幕府好戦陰湿岩代武将(1552-1585)二本松畠山家14代当主。義国の子。伊達政宗に攻められて降伏。その会見の席で政宗の父・輝宗を拉致し逃亡するが、政宗軍に追われ、輝宗と刺し違えた。
二本松 義継 485462 U 2471
騎馬威圧 威圧破壊 迎撃
にほんまつよしつな 幕府保守鷹派岩代武将(1574-1589)二本松畠山家15代当主。義継の子。伊達政宗の猛攻を受けて居城・二本松城を開城し、蘆名家を頼る。蘆名盛重の常陸退去に従うが、のちに盛重に殺された。
二本松 義綱 252723 V 5526
足軽哀願 誘導- -
たかたまつねより 幕府保守鷹派岩代武将(1555-1589)蘆名家臣。二本松義国の次男。高玉家を継ぎ、高玉城主を務めた。摺上原合戦の直前、伊達家臣・片倉景綱の降伏勧告を拒否して戦うが、衆寡敵せず戦死した。
高玉 常頼 465741 V 7818
長槍改修 鼓舞放火 -
あさりのりより 幕府好戦直情甲斐国人(1499-1550)出羽の豪族。朝頼の子。甲斐国浅利郷より出羽比内地方へ移住し、十狐(独鈷)城を築く。また、弟たちを周辺の城に配置し、比内における支配権を確立した。
浅利 則頼 436354 P 3680
騎馬改修 威圧修復 誘導
あさりのりすけ 幕府保守鷹派羽後国人(1523-1562)出羽の豪族。十狐(独鈷)城主。則頼の嫡男。安東家への従属を画策する弟・勝頼と対立する。のちに勝頼の手引きを受けた安東軍の攻撃を受け、自害した。
浅利 則祐 313642 U 7541
長槍農業 挑発迎撃 -
あさりかつより 幕府・名声好戦陰湿羽後国人(1529-1583)出羽の豪族。則頼の次男。安東家と結んで兄・則祐を自害させ、当主となる。のちに津軽家と結び謀叛を企んだため、安東愛季に酒宴へ誘い出され、殺された。
浅利 勝頼 432950 P 5261
騎馬商業 罵声迎撃 -
あさりよりひら 幕府保守鳩派羽後国人(1554-1598)出羽の豪族。勝頼の子。父が謀殺された後、津軽に身を隠す。のちに安東家の代官として比内を治めるが、軍役金未納の問題が起き、訴訟中に大坂で急死した。
浅利 頼平 462714 U 2742
騎馬哀願 混乱- -
だいほうじはるとき 幕府保守鷹派羽前旧仏教(1502-1541)出羽の豪族。澄氏の子。氏説の子ともいう。大宝寺家は、祖・武藤氏平が庄内大泉荘の地頭となったことに始まる。大宝寺姓を名乗るのは武藤長盛の時である。
大宝寺 晴時 494662 Y 5333
騎馬改修 収拾誘導 迎撃
だいほうじよします 幕府保守鷹派羽前旧仏教(1522-1581)出羽の豪族。九郎(政氏の子または弟)の子。庶流の砂越家と合戦を繰り返すが1532年に居城・鶴ヶ岡城を焼かれたため、尾浦城に本拠を移した。
大宝寺 義増 424540 Y 5750
足軽農業 威圧誘導 -
だいほうじよしうじ 幕府好戦直情羽前旧仏教(1551-1583)出羽の豪族。義増の子。合戦に明け暮れて領政を軽んじたため、領民から「悪屋形」と憎悪された。最上義光に通じた家臣・前森蔵人に謀叛され、自害した。
大宝寺 義氏 24596 Y 2681
騎馬威圧 罵声誘導 -
だいほうじよしおき 幕府・名声保守鷹派羽前旧仏教(1553-1587)出羽の豪族。義増の子。兄・義氏の死後家督を継ぐ。上杉家臣・本庄繁長の次男を養子に迎え、上杉家との関係強化をはかるが、最上義光に攻められ自害した。
大宝寺 義興 353640 Y 3556
長槍哀願 鼓舞迎撃 -
もがみよしもり 幕府・名声保守鷹派羽前武将(1521-1590)最上家10代当主。2歳で家督を相続する。次男・義時を偏愛して家督を譲ろうとするが、伊達家の騒動に乗じた長男・義光が決起、強制的に隠居させられた。
最上 義守 302118 D 1553
足軽哀願 混乱- -
もがみよしあき 幕府好戦陰湿羽前武将(1546-1614)最上家11代当主。義守の嫡男。父を隠居させ、弟を殺して当主となる。密約外交や敵重臣の暗殺など、権謀術数の限りを尽くし、最上家最大の版図を築いた。
最上 義光 797084 B 293
騎馬改修 混乱焙烙 迎撃
もがみいえちか 幕府好戦陰湿羽前武将(1582-1617)最上家12代当主。義光の次男。父の死後、家督を継ぐ。対立していた弟・義親を討ち領内統一を進めるが、間もなく死去。叔父・楯岡光直が毒殺したという。
最上 家親 413622 B 3671
足軽威圧 鼓舞- -
もがみよしとし 幕府保守鷹派羽前武将(1606-1631)最上家13代当主。家親の嫡男。父の死後、家督を継ぐ。しかし若年の上、不行跡などで御家騒動を招き、改易された。改易後は近江に1万石を与えられた。
最上 義俊 21155 B 4136
鉄砲茶湯 威圧- -

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