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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
ちく | よりもと |
朝廷 | 保守鷹派 | 南信濃 | 国人 | (1506-1555)信濃の豪族。阿島城主。武田信玄の伊那谷侵攻軍に対し最後まで抵抗するが、敗れて降伏し、信州先方衆の一員となる。しかし、のちに信玄により殺された。
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知久 |
頼元 |
42 | 31 | 49 |
A |
39 | 55 |
足軽 | 商業 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
みつぎ | なおより |
朝廷 | 天下布武 | 飛騨 | 武将 | (1497-1554)飛騨の豪族。桜洞城を築いて居城とし、版図を拡大する。飛騨国司・姉小路家や美濃の土岐家、本願寺などと友好関係を結び、飛騨国内に一大勢力を築いた。
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三木 |
直頼 |
72 | 66 | 78 |
W |
28 | 92 |
騎馬 | 威圧 |
威圧 | 虚報 |
破壊 |
あねがこうじ | よしより |
朝廷・名声 | 保守鷹派 | 飛騨 | 高家 | (1516-1572)飛騨の豪族。直頼の子。飛騨国司・姉小路家の名跡を継ぎ、姉小路姓を名乗る。上杉謙信に通じ、武田信玄と結んだ江馬家との間で軍事・外交戦を繰り広げた。
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姉小路 |
良頼 |
58 | 54 | 52 |
W |
54 | 71 |
騎馬 | 哀願 |
混乱 | 誘導 |
- |
あねがこうじ | よりつな |
朝廷 | 好戦直情 | 飛騨 | 高家 | (1540-1587)飛騨の豪族。良頼の長男。近隣の豪族を討ち、飛騨の統一を果たす。本能寺の変後、佐々成政と結んで羽柴秀吉に対抗したが敗れ、京都に隠棲。同地で没した。
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姉小路 |
頼綱 |
60 | 58 | 64 |
W |
47 | 79 |
騎馬 | 商業 |
威圧 | 鼓舞 |
迎撃 |
みつぎ | あきつな |
朝廷 | 好戦陰湿 | 飛騨 | 高家 | (1544-1583)姉小路家臣。姉小路良頼の次男。養父・鍋山安室を毒殺して養母を追放し、鍋山城を乗っ取る。のちに兄・頼綱への謀叛を企てたため、妻とともに暗殺された。
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三木 |
顕綱 |
37 | 45 | 62 |
V |
32 | 56 |
騎馬 | 農業 |
密偵 | 破壊 |
誘導 |
うちがしま | うじまさ |
朝廷 | 保守鷹派 | 飛騨 | 国人 | (1541-1585)飛騨の豪族。帰雲城主。豊臣家臣・金森長近の飛騨侵攻軍に降るが、大地震により居城が埋没、山崩れによる洪水が起こり滅亡した。現代に埋蔵金伝説が残る。
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内ヶ島 |
氏理 |
60 | 43 | 32 |
X |
35 | 54 |
騎馬 | 商業 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
えま | ときもり |
朝廷 | 保守鳩派 | 飛騨 | 国人 | (1509-1573)飛騨の豪族。諏訪城主。三木家と争う。武田家と友好を結ぼうとするが、上杉家との関係構築を主張する嫡男・輝盛と対立し、輝盛の刺客によって殺された。
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江馬 |
時盛 |
47 | 31 | 37 |
Q |
37 | 54 |
足軽 | 改修 |
威圧 | 誘導 |
- |
えま | てるもり |
朝廷・名声 | 好戦陰湿 | 飛騨 | 国人 | (1535-1582)飛騨の豪族。時盛の嫡男。意見を異にする父を殺し、弟・信盛を追放して江馬家を掌握した。本能寺の変に乗じて姉小路頼綱の打倒を企むが、逆に討たれた。
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江馬 |
輝盛 |
54 | 49 | 67 |
S |
4 | 75 |
長槍 | 威圧 |
罵声 | 誘導 |
迎撃 |
えま | のぶもり |
朝廷 | 保守鳩派 | 飛騨 | 旧仏教 | (1537-1581)飛騨の豪族。時盛の子。右馬丞と称す。はじめ僧侶であったが、人質として武田家に送られた際に還俗し、以後は武田家に仕える。高天神城攻防戦で戦死した。
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江馬 |
信盛 |
42 | 29 | 16 |
R |
51 | 29 |
騎馬 | 登用 |
鼓舞 | - |
- |
あそや | よしもり |
朝廷・名声 | 保守鷹派 | 飛騨 | 国人 | (1534-1578)飛騨の豪族。洞城主。直盛の子。父の死後、家督を継ぐ。武田家と友好を結ぶ。のちに上杉家と結ぶ従兄弟・江馬輝盛と対立し、攻められて敗北、自害した。
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麻生野 |
慶盛 |
29 | 37 | 56 |
R |
36 | 53 |
足軽 | 弁舌 |
収拾 | 迎撃 |
- |
うえすぎ | かげとら |
朝廷 | 好戦直情 | 相模伊豆 | 旧仏教 | (1554-1579)北条氏康の七男。越相同盟成立の際に越後に赴き、のちに上杉謙信の養子となった。謙信の死後、御館の乱において義弟の上杉景勝と家督を争うが、敗死した。
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上杉 |
景虎 |
48 | 33 | 22 |
M |
31 | 78 |
足軽 | 弁舌 |
罵声 | - |
- |
かきざき | かげいえ |
朝廷 | 好戦直情 | 南越後 | 武将 | (1513-1575)上杉家臣。主君・謙信に「越後七郡で彼にかなう者はなし」と評された家中随一の猛将。上杉軍の主力として活躍したが織田信長への内通疑惑により殺された。
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柿崎 |
景家 |
12 | 85 | 6 |
M |
45 | 52 |
騎馬 | 改修 |
破壊 | 挑発 |
突入 |
きたじょう | たかひろ |
朝廷・名声 | 好戦直情 | 南越後 | 武将 | (1517-1587)上杉家臣。厩橋城主を務め、関東経略を担当するなど活躍した。武田信玄や北条氏康らの誘いに乗り、たびたび謀叛を起こすが、そのたびに許されて帰参した。
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北条 |
高広 |
30 | 72 | 41 |
L |
6 | 68 |
騎馬 | 弁舌 |
密偵 | 修復 |
誘導 |
きたじょう | かげひろ |
朝廷 | 好戦直情 | 南越後 | 武将 | (1548-1579)上杉家臣。高広の子。父とともに厩橋城に在城し、主君・謙信の関東経略を助けた。御館の乱の際は上杉景虎方の中核を担うが、のちに上杉景勝に暗殺された。
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北条 |
景広 |
17 | 64 | 38 |
L |
55 | 69 |
騎馬 | 威圧 |
罵声 | 破壊 |
誘導 |
ほんじょう | しげなが |
朝廷・名声 | 好戦直情 | 北越後 | 国人 | (1539-1613)上杉家臣。村上城主。叔父・小川長資を討って居城を奪回、家督を継ぐ。武田信玄と結んで謀叛を起こすが、許されて帰参する。以後は各地の合戦で活躍した。
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本庄 |
繁長 |
22 | 80 | 36 |
M |
48 | 58 |
騎馬 | 威圧 |
威圧 | 鼓舞 |
迎撃 |
やすだ | かげもと |
朝廷 | 好戦人情 | 北越後 | 武将 | (1514-1563)上杉家臣。安田城主。上条定憲の乱の際は長尾為景に従い活躍した。北条高広が主家に背いた際は、これを直江景綱に報じ、主君・謙信に従って高広と戦った。
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安田 |
景元 |
35 | 53 | 42 |
H |
63 | 51 |
騎馬 | 改修 |
密偵 | 誘導 |
- |
やすだ | あきもと |
朝廷 | 好戦人情 | 北越後 | 武将 | (1538-1580)上杉家臣。安田城主。景元の子。武田家への備えとして飯山城主を務めた。御館の乱では上杉景勝を支持して活躍したがのちに恩賞問題のこじれから自害した。
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安田 |
顕元 |
57 | 51 | 47 |
H |
73 | 33 |
騎馬 | 農業 |
混乱 | 誘導 |
- |
やすだ | よしもと |
朝廷 | 保守鷹派 | 北越後 | 武将 | (1557-1622)上杉家臣。安田城主。恩賞問題のこじれにより自害した兄・顕元の跡を継ぐ。主家の会津移封に従い、二本松城代となった。会津三奉行の1人に数えられた。
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安田 |
能元 |
60 | 44 | 55 |
H |
67 | 55 |
騎馬 | 商業 |
治療 | 誘導 |
- |
やすだ | ながひで |
朝廷 | 好戦直情 | 北越後 | 国人 | (1516-1583)上杉家臣。主君・謙信の側近を務めた。川中島合戦で活躍し「血染めの感状」を受けた。御館の乱では上杉景勝を支持した。新発田重家との交戦中に病死した。
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安田 |
長秀 |
43 | 55 | 48 |
I |
78 | 38 |
騎馬 | 登用 |
威圧 | 修復 |
- |
しいな | ながつね |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 越中 | 武将 | (1480-1548)越中の豪族。兄・慶胤が長尾為景との戦いで敗死したため、家督を継ぐ。のちに為景に降り、新川郡守護代となった為景の又守護代となり、新川郡を支配した。
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椎名 |
長常 |
36 | 45 | 40 |
J |
47 | 29 |
騎馬 | 哀願 |
密偵 | 迎撃 |
- |