武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
あかし | | てるずみ |
通常版 |
備前備中 |
1581 |
(1566-1615)宇喜多家臣。景親の子。主家内乱の後は国政を執る。関ヶ原合戦では宇喜多軍の先鋒を務めた。のち大坂城に入り、大坂の陣では切支丹武士を率いて奮戦した。 |
明石 | | 全登 |
武将切支丹 | 槍 |
[商業] [訓練] [三段] |
37 | 70 | 46 |
72 | 95 |
19 |
のぶはら | | かげよし |
通常版 |
備前備中 |
1543 |
(1528-1587)浦上家臣。主家滅亡後は宇喜多家に仕える。花房職秀とともに三星城主・後藤勝基や飯岡城主・星賀藤内らの浦上家残党を討伐した。知勇兼備の士と評された。 |
延原 | | 景能 |
武将 | 騎馬 |
[攻城] |
38 | 40 | 56 |
48 | 35 |
55 |
うきた | | よしいえ |
通常版 |
備前備中 |
1490 |
(1475-1534)浦上家臣。則宗・則助・村宗三代に仕え主家の危難を何度も救い、知勇兼備の勇将と讃えられた。のちに家中の勢力独占を図った島村盛実に襲われ、自害した。 |
宇喜多 | | 能家 |
武将 | 騎馬 |
[登用] [奉仕] [激励] [突撃] |
85 | 78 | 91 |
78 | 75 |
10 |
うきた | | おきいえ |
通常版 |
備前備中 |
1512 |
(1497-1536)浦上家臣。能家の子。父が島村盛実に襲われ自害した後、備前福岡の豪商・阿部善定のもとに逃げ込むが、間もなく病死した。「愚なる上に臆病」と評された。 |
宇喜多 | | 興家 |
武将 | 弓 |
[逃亡] |
64 | 16 | 19 |
23 | 65 |
10 |
うきた | | なおいえ |
通常版 |
備前備中 |
1536 |
(1529-1581)浦上家臣。乙子城主。権謀術数の限りを尽くして敵を葬り去り、家中最大の勢力を築き上げる。最後は主君・宗景を追放して備前一国を掌握した、稀代の謀将。 |
宇喜多 | 八郎 | 直家 |
武将 | 弓 |
[開墾] [収拾] [攻城] [混乱] |
84 | 70 | 89 |
98 | 30 |
10 |
うきた | | ひでいえ |
通常版 |
備前備中 |
1581 |
(1572-1655)豊臣家臣。直家の嫡男。主君・秀吉に寵愛され、五大老の1人となるが、内乱により重臣の大半を失う。関ヶ原合戦では西軍に属し、戦後八丈島へ配流された。 |
宇喜多 | 八郎 | 秀家 |
武将 | 槍 |
[登用] [激励] [槍衾] |
44 | 62 | 31 |
59 | 95 |
10 |
うきた | | ただいえ |
通常版 |
備前備中 |
1551 |
(1536-1609)宇喜多家臣。興家の子。兄・直家の創業に大いに貢献した。兄の死後は甥・秀家の後見人となる。朝鮮派兵の際は、豊臣軍総督を務める秀家に従って渡海した。 |
宇喜多 | 七郎兵衛 | 忠家 |
武将 | 騎馬 |
[登用] [攻城] |
49 | 56 | 44 |
53 | 80 |
7 |
うきた | | あきいえ |
通常版 |
備前備中 |
1578 |
(1563-1616)宇喜多家臣。忠家の子。主家の内乱により出奔、徳川家康に属す。関ヶ原合戦の軍功により石見浜田2万石を領した。大坂の陣では家康の孫・千姫を救出した。 |
宇喜多 | | 詮家 |
旧仏教 | 鉄砲 |
[収拾] [捕縛] |
18 | 32 | 11 |
54 | 45 |
15 |
おか | | としかつ |
通常版 |
備前備中 |
1547 |
(1532-1592)宇喜多家臣。宇喜多三老の1人。刀槍の術に長じ、40余回の合戦に出陣した勇将。備前岡山城の修築や城下町の建設にも携わる。朝鮮派兵の陣中で病死した。 |
岡 | 平内 | 利勝 |
武将 | 槍 |
[商業] [改修] [守戦] [雨撃] |
57 | 60 | 59 |
40 | 85 |
10 |
おか | | いえとし |
通常版 |
備前備中 |
1571 |
(1556-1615)宇喜多家臣。利勝の子。主家の内乱により出奔、徳川家康に仕える。しかし、大坂の陣において子・平内が大坂方に属したため、家康の勘気を蒙り、自害した。 |
岡 | 九郎右衛門 | 家利 |
旧仏教 | 荷駄 |
[攻城] |
37 | 49 | 34 |
36 | 50 |
10 |
おさふね | | さだちか |
通常版 |
備前備中 |
1545 |
(1530-1588)宇喜多家臣。宇喜多三老の1人。明禅寺合戦など各地の合戦に従軍し、主君・直家の創業を助けた。戸川秀安の隠退後は国政を担当する。のち妹婿に殺された。 |
長船 | 又三郎 | 貞親 |
武将 | 弓 |
[開墾] [外交] [連射] |
59 | 37 | 62 |
57 | 55 |
5 |
おさふね | | つななお |
通常版 |
備前備中 |
1574 |
(1559-1598)宇喜多家臣。貞親の子。主家の国政を執り、領内の検地や城下町整備などを行った。主君・秀家の寵を得て専権を振るったため、敵対勢力に毒殺されたという。 |
長船 | | 綱直 |
武将切支丹 | 騎馬 |
[商業] [攻城] |
68 | 15 | 46 |
43 | 70 |
9 |
おさふね | | さだゆき |
通常版 |
備前備中 |
1575 |
(1560-1600)宇喜多家臣。貞親の子。兄・綱直の死後家督を継ぐ。2万4千石を知行した家中屈指の大身。主君・秀家に従い関ヶ原合戦に出陣、戦後、行方不明となった。 |
長船 | 吉兵衛 | 定行 |
武将 | 鉄砲 |
[三段] |
46 | 39 | 50 |
32 | 70 |
23 |
とがわ | | ひでやす |
通常版 |
備前備中 |
1548 |
(1533-1592)宇喜多家臣。宇喜多三老の1人。明禅寺合戦、児島八浜合戦など多くの合戦に従軍し、主君・直家の創業を助けた。のちに筆頭家老を務め、国政を執った。 |
戸川 | 平介 | 秀安 |
武将 | 騎馬 |
[訓練] [引抜] [攻城] |
54 | 50 | 43 |
55 | 60 |
99 |
とがわ | | みちやす |
通常版 |
備前備中 |
1582 |
(1567-1627)宇喜多家臣。秀安の嫡男。朝鮮派兵などで活躍した。熱心な日蓮宗徒で、切支丹の長船綱直らと対立。のちに内乱を引き起こして主家を退去、徳川家に仕えた。 |
戸川 | 助七郎 | 達安 |
旧仏教 | 鉄砲 |
[訓練] |
45 | 44 | 52 |
41 | 60 |
99 |
はなぶさ | | まさゆき |
通常版 |
備前備中 |
1539 |
(1524-1605)宇喜多家臣。備前虫明城主。主君・直家の創業を支えた重臣の1人。弓の名手として知られ、各地で活躍した。細川藤孝から古今伝授を受けた文人でもある。 |
花房 | 又右衛門 | 正幸 |
武将 | 弓 |
[訓練] [連射] |
44 | 54 | 59 |
51 | 75 |
98 |
はなぶさ | | まさなり |
通常版 |
備前備中 |
1570 |
(1555-1623)宇喜多家臣。正幸の子。羽柴秀吉の中国征伐軍に従った際、備中高松城を水攻めにすることを進言したという。のちに主家の内乱により出奔、徳川家に仕えた。 |
花房 | 弥左衛門 | 正成 |
旧仏教 | 荷駄 |
[治水] [連射] |
62 | 48 | 65 |
33 | 65 |
98 |
はなぶさ | | もとひで |
通常版 |
備前備中 |
1564 |
(1549-1616)宇喜多家臣。一番槍や一番乗りの功を多数立てた武勇の士。のち主君・秀家に諫言して勘気を蒙り出奔。関ヶ原合戦では東軍に属し、備中高松で8千石を得た。 |
花房 | 助兵衛 | 職秀 |
旧仏教 | 弓 |
[槍衾] |
10 | 52 | 6 |
64 | 45 |
98 |
みむら | | いえちか |
通常版 |
備前備中 |
1532 |
(1517-1566)備中の豪族。鶴首城主。周辺の豪族を切り従え、備中最大の勢力となる。備前・美作への進出を企み、宇喜多直家と抗争を展開するが、直家により暗殺された。 |
三村 | | 家親 |
武将 | 騎馬 |
[改修] [引抜] [回復] |
40 | 51 | 41 |
76 | 60 |
59 |
みむら | | もとちか |
通常版 |
備前備中 |
1561 |
(1546-1575)備中の豪族。家親の子。父の死後家督を継ぐ。毛利家に属して勢力回復を図るが父の敵・宇喜多直家が毛利家と結んだため毛利家から離反、攻められ自害した。 |
三村 | | 元親 |
武将 | 弓 |
[守戦] [連射] |
34 | 49 | 35 |
52 | 80 |
59 |