武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
にほ | | たかやす |
通常版 |
周防長門 |
1538 |
(1523-1572)大内家臣。奉行人を務めた。主君・義隆の死後は陶晴賢が擁立した大内義長に仕える。主家滅亡後は毛利家に属し、豊前門司城番と規矩郡代官職に任ぜられた。 |
仁保 | | 隆慰 |
武将 | 槍 |
[回復] |
44 | 31 | 42 |
32 | 35 |
43 |
ひろなか | | たかかね |
通常版 |
周防長門 |
1526 |
(1511-1555)大内家臣。安芸守護代を務めた。陶晴賢の謀叛後は大内義長に仕える。のちに晴賢の命により江良房栄を謀殺した。晴賢に従って厳島合戦に従軍し、敗死した。 |
弘中 | | 隆兼 |
武将 | 騎馬 |
[改修] [収拾] [守戦] |
45 | 58 | 48 |
44 | 85 |
64 |
れいぜい | | たかとよ |
通常版 |
周防長門 |
1528 |
(1513-1551)大内家臣。安芸銀山城主を務めた。陶晴賢が謀叛すると主君・義隆に従って長門に逃れ、義隆の介錯を行った。義隆の死後は陶軍と戦い、凄絶な死を遂げた。 |
冷泉 | | 隆豊 |
武将 | 弓 |
[外交] [槍衾] |
23 | 32 | 7 |
9 | 100 |
59 |
かわむら | | じゅうきち |
通常版 |
周防長門 |
1590 |
(1575-1648)伊達家臣。算術、水利に精通し、北上川の改修工事をはじめとして数々の土木事業を担当する。実質200万石といわれた仙台藩の経済基盤の礎を作り上げた。 |
川村 | 孫兵衛 | 重吉 |
武将 | 鉄砲 |
[開墾] [検地] [治水] |
75 | 2 | 14 |
4 | 60 |
56 |
そん | | さく |
諸王 |
周防長門 |
1561 |
(1546-1571)孫堅の長男。袁術から三千の兵を借りて挙兵する。短期間に江東一帯を平定して「小覇王」と呼ばれた。狩猟中に襲撃を受け、その傷がもとで若死にした。 |
孫 | | 策 |
武将 | 騎馬 |
[激励] [攻城] [突撃] [説得] |
60 | 96 | 68 |
91 | 70 |
66 |
そん | | けん |
諸王 |
周防長門 |
1568 |
(1553-1622)呉の初代皇帝。孫堅の次男。兄・孫策の急死でその座を継いだ。赤壁の戦いでは曹操の大軍を相手に勝利する。229年帝位について呉を建国した。呉大帝。 |
孫 | | 権 |
武将 | 騎馬 |
[改修] [登用] [外交] [収拾] |
88 | 76 | 85 |
87 | 75 |
67 |
しゅう | | ゆ |
諸王 |
周防長門 |
1561 |
(1546-1581)呉の将。主君・孫策とは義兄弟。孫策の遺言で若き孫権を助け、赤壁の戦いでは都督として水軍を指揮、曹操の大軍を破る。容姿端麗で美周郎とうたわれた。 |
周 | | 瑜 |
水軍衆 | 弓 |
[収拾] [守戦] [連射] [混乱] |
75 | 87 | 116 |
85 | 95 |
66 |
りく | | そん |
諸王 |
周防長門 |
1569 |
(1554-1616)呉の将。孫策の娘婿。呂蒙と策を練って関羽を倒す。夷陵の戦いでは、大都督となり蜀漢の大軍を撃破した。荊州の守りを任され、のちに呉の丞相となった。 |
陸 | | 遜 |
水軍衆 | 槍 |
[改修] [回復] [守戦] [攻城] |
88 | 82 | 117 |
78 | 80 |
68 |
ろ | | しゅく |
諸王 |
周防長門 |
1558 |
(1543-1588)呉の臣。周瑜の推挙で孫権に仕える。赤壁の戦いでは劉備と連合して決戦するように主張する。周瑜亡きあとの都督に任ぜられた。陸戦を得意とする。 |
魯 | | 粛 |
武将 | 槍 |
[商業] [外交] [守戦] [説得] |
84 | 64 | 107 |
52 | 85 |
65 |
かん | | ねい |
諸王 |
周防長門 |
1556 |
(1541-1596)呉の将。錦帆という水賊の出身。黄祖のもとで不遇をかこっていたが、蘇飛の力で孫権に帰順する。黄祖攻め、赤壁、対魏戦で活躍して、孫権の信任を得た。 |
甘 | | 寧 |
水軍衆 | 騎馬 |
[訓練] [回復] [攻城] [突撃] |
45 | 92 | 56 |
71 | 75 |
65 |
ちょう | | しょう |
諸王 |
周防長門 |
1542 |
(1527-1607)孫権配下の臣。「二張」と呼ばれた策士の一人。周瑜の推挙で孫策が幕僚として招いた。孫策は死にぎわに「国内のことはすべて張昭に聞け」と言い残した。 |
張 | | 昭 |
武将 | 槍 |
[開墾] [商業] [改修] [収拾] |
94 | 6 | 77 |
49 | 70 |
62 |
ほんま | | さくえもん |
諸勢力 |
羽後 |
1565 |
(1550-1630)秋田の商人。秋田は秋田港を擁する港町として栄えた。秋田港は日本最古の船法度「廻船式目」に「三津七湊」の1つとして挙げられ、安東家が代々支配した。 |
本間 | | 作右衛門 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
51 | 53 | 43 |
49 | 85 |
41 |
しんどう | | しょうべえ |
諸勢力 |
羽後 |
1588 |
(1573-1652)秋田の商人。秋田は秋田港を擁する港町として栄えた。秋田港は日本最古の船法度「廻船式目」に「三津七湊」の1つとして挙げられ、安東家が代々支配した。 |
進藤 | | 庄兵衛 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
57 | 51 | 56 |
44 | 100 |
84 |
なかやま | | じんえもん |
諸勢力 |
羽後 |
1604 |
(1589-1632)秋田の商人。秋田は秋田港を擁する港町として栄えた。秋田港は日本最古の船法度「廻船式目」に「三津七湊」の1つとして挙げられ、安東家が代々支配した。 |
中山 | | 仁右衛門 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
39 | 43 | 48 |
47 | 75 |
5 |
いしかわ | | ろくべえ |
諸勢力 |
羽後 |
1578 |
(1563-1616)秋田の商人。秋田は秋田港を擁する港町として栄えた。秋田港は日本最古の船法度「廻船式目」に「三津七湊」の1つとして挙げられ、安東家が代々支配した。 |
石川 | | 六兵衛 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
47 | 39 | 48 |
40 | 90 |
86 |
のざき | | いちえもん |
諸勢力 |
羽後 |
1600 |
(1585-1625)秋田の商人。秋田は秋田港を擁する港町として栄えた。秋田港は日本最古の船法度「廻船式目」に「三津七湊」の1つとして挙げられ、安東家が代々支配した。 |
野崎 | | 市右衛門 |
都市 | 弓 |
[商業] [茶湯] |
40 | 40 | 51 |
45 | 30 |
20 |
うめづ | | ぶんぞう |
諸勢力 |
羽後 |
1584 |
(1569-1624)秋田の商人。秋田は秋田港を擁する港町として栄えた。秋田港は日本最古の船法度「廻船式目」に「三津七湊」の1つとして挙げられ、安東家が代々支配した。 |
梅津 | | 文蔵 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
50 | 50 | 51 |
53 | 50 |
84 |
あじき | | とうざえもん |
諸勢力 |
羽後 |
1580 |
(1565-1617)秋田の商人。秋田は秋田港を擁する港町として栄えた。秋田港は日本最古の船法度「廻船式目」に「三津七湊」の1つとして挙げられ、安東家が代々支配した。 |
安食 | | 藤左衛門 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
44 | 53 | 46 |
46 | 65 |
21 |
うちだ | | じゅうべえ |
諸勢力 |
羽後 |
1606 |
(1591-1650)秋田の商人。秋田は秋田港を擁する港町として栄えた。秋田港は日本最古の船法度「廻船式目」に「三津七湊」の1つとして挙げられ、安東家が代々支配した。 |
内田 | | 重兵衛 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
44 | 39 | 38 |
40 | 85 |
87 |
すがわら | | きゅうえもん |
諸勢力 |
羽後 |
1563 |
(1548-1630)秋田の商人。秋田は秋田港を擁する港町として栄えた。秋田港は日本最古の船法度「廻船式目」に「三津七湊」の1つとして挙げられ、安東家が代々支配した。 |
菅原 | | 久右衛門 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
53 | 41 | 55 |
49 | 70 |
51 |