『信長の野望 嵐世記』武将総覧

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
とざわ まさしげ 通常版 羽後 1508 (1493-1578)戸沢家臣。戸沢家14代当主・征盛の三男。安房守を称し、小館に住んだ。のちに仏門に入っていた盛重(甥・道盛の嫡男)を養子とした。
戸沢 政重 武将
[引抜]  695564 5670 45
とざわ まさふさ 通常版 羽後 1575 (1560-1633)戸沢家臣。南部家出身という。九戸の乱で主君・光盛に従って出陣し奮戦。豊臣秀吉の目に留まり、大坂へ赴くが豊臣秀次事件により帰国し戸沢家に帰参した。
戸沢 政房 武将騎馬
[回復] [槍衾]  224039 6080 47
とまき よしひろ 通常版 羽後 1571 (1556-1600)戸沢家臣。出羽戸蒔城主を務めた。関ヶ原合戦の際は東軍の最上義光に従って出陣し、西軍の小野寺義道軍と戦うが、角間川で戦死した。
戸蒔 義広 武将
[連射]  283738 4265 34
おのでら たねみち 通常版 羽後 1495 (1487-1546)小野寺家12代当主。泰道の嫡男。はじめ上洛して将軍家に仕えたが、父の死により帰国、家督を継ぐ。のちに権力闘争に巻き込まれ、家臣らに殺害された。
小野寺 稙道 武将
[外交] [連射]  444261 5280 47
おのでら てるみち 通常版 羽後 1546 (1534-1597)小野寺家13代当主。惟道の嫡男。父の死後、一時大宝寺家に匿われるが、のちに仇敵・横手光盛らを討ち、横手城に復帰。小野寺家の全盛時代を築き上げた。
小野寺 輝道 武将騎馬
[商業] [引抜] [収拾] [攻城]  495859 7355 49
おのでら よしみち 通常版 羽後 1581 (1566-1645)小野寺家14代当主。景道の次男。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣して、所領安堵を受ける。関ヶ原合戦では徳川家の出陣要請を無視したため、戦後改易された。
小野寺孫十郎義道 武将騎馬
[突撃]  14344 4965 49
さけのべ さだつな 通常版 羽後 1551 (1536-1565)小野寺家臣。本姓は佐々木。近江より出羽雄勝郡に移り住み、小野寺家に仕えて鮭延の地を与えられた。大宝寺家との合戦に敗北し、まもなく死去した。
鮭延 貞綱 武将荷駄
[激励] [混乱]  72548 5360 49
さけのべ ひでつな 通常版 羽後 1565 (1562-1646)小野寺家臣。鮭延城主。貞綱の子。最上義光との合戦に敗れ、従属。仙北地方で起こった一揆の鎮圧や、最上領に侵入した上杉軍との戦いで戦功を立てた。
鮭延 秀綱 武将騎馬
[開墾] [攻城] [突撃]  344159 4470 48
よこて みつもり 通常版 羽後 1525 (1510-1549)小野寺家臣。横手城主。1546年、金沢金乗坊とともに挙兵し、主君・惟道を討った。しかし、のちに小野寺輝道(惟道の嫡男)によって討たれた。
横手 光盛 武将騎馬
[引抜]  312343 2950 65
ほんどう ただちか 通常版 羽後 1570 (1555-1599)出羽の豪族。本堂城主。朝親の子。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、所領を安堵された。秀吉の朝鮮派兵の際は、前田利長軍に属して肥前名護屋城に在城した。
本堂 忠親 国人衆騎馬
[回復]  362844 3075 64
ろくごう まさのり 通常版 羽後 1582 (1567-1634)出羽の豪族。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、所領安堵。朝鮮出兵の際は肥前名護屋城を守る。のち関ヶ原合戦、大坂の陣に参加し、出羽本庄2万石を領した。
六郷長五郎政乗 国人衆鉄砲
[開墾] [引抜]  383540 5045 40
だいほうじ はるとき 通常版 羽前 1527 (1512-1541)出羽の豪族。澄氏の子。大宝寺家は始祖の武藤氏平が、鎌倉時代に庄内大泉荘の地頭となったことに始まる。大宝寺姓を名乗るのは6代当主・長盛の時である。
大宝寺 晴時 武将騎馬
[開墾] [登用]  474759 3655 48
だいほうじ よします 通常版 羽前 1537 (1522-1569)出羽の豪族。九郎(政氏の弟)の子。砂越家(大宝寺家庶流)とたびたび合戦を行ったが、1532年に居城・鶴ヶ岡城を焼かれ、尾浦城に本拠を移した。
大宝寺 義増 武将騎馬
[攻城]  394130 5175 48
だいほうじ よしうじ 通常版 羽前 1566 (1551-1583)出羽の豪族。尾浦城主。合戦に明け暮れて領政を軽んじたため、領民から「悪屋形」と憎悪された。最上義光に通じた家臣・前森蔵人に謀叛され、自害した。
大宝寺四郎次郎義氏 武将騎馬
[突撃]  13324 8950 48
だいほうじ よしおき 通常版 羽前 1569 (1554-1587)出羽の豪族。尾浦城主。兄・義氏の死後家督を継ぐ。上杉家臣・本庄繁長の次男を養子に迎え、上杉家との関係強化をはかるが、最上義光に攻められ自害した。
大宝寺 義興 武将
[訓練] [連射]  333440 4655 48
とうぜんじ よしなが 通常版 羽前 1559 (1544-1588)大宝寺家臣。はじめ前森蔵人と名乗る。最上義光と結んで謀叛を起こし、主君・義氏を討った。義光の命で庄内の仕置を行うが、本庄繁長と戦って敗死した。
東禅寺 義長 武将
[引抜] [連射]  402733 4565 78
とうぜんじ かつまさ 通常版 羽前 1564 (1549-1588)大宝寺家臣。義長の弟。主君・義氏の死後、兄から尾浦城代に任じられる。のちに十五里ヶ原で本庄繁長に敗れ、戦後、繁長の暗殺をはかるが失敗、討たれた。
東禅寺 勝正 武将荷駄
[攻城]  484022 2460 78
とさばやし ぜんとう 通常版 羽前 1519 (1504-1571)大宝寺家臣。土佐林家は羽黒山別当職を務めたが、のちに大宝寺家に別当職を奪われたという。禅棟は上杉家との関係を深めたため主家と対立、滅ぼされた。
土佐林 禅棟 武将騎馬
[商業]  402648 6270 47
にがほ たかはる 通常版 羽前 1538 (1523-1591)由利十二党の一。仁賀保家は、大井友光の子・友挙が信濃国から出羽国仁賀保に移ったのが始まりという。戦国時代には由利十二党の中心的存在となっていた。
仁賀保 挙晴 国人衆
[登用]  443629 4765 45
にがほ たかまさ 通常版 羽前 1575 (1560-1625)由利十二党の筆頭。文禄の役では肥前名護屋城に駐屯。会津征伐で功を上げ、徳川家康から感状を授かった。関ヶ原でも東軍に属し、所領5千石を安堵された。
仁賀保 挙誠 国人衆
[外交] [雨撃]  563952 7145 45

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