武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
おおくぼ | | ただとし |
通常版 |
三河 |
1514 |
(1499-1581)徳川家臣。主君・広忠の岡崎帰城に尽力し、また三河一向一揆が勃発した際には主君・家康を助けて一揆勢を撃破するなど、主家の苦難時代を支え続けた忠臣。 |
大久保 | 新八郎 | 忠俊 |
武将 | 騎馬 |
[訓練] [回復] |
20 | 63 | 31 |
7 | 90 |
99 |
おおくぼ | | ただかず |
通常版 |
三河 |
1526 |
(1511-1582)徳川家臣。兄・忠俊とともに主君・広忠の岡崎帰城に尽力。蟹江城攻めでも活躍した。三河一向一揆では一族の者とともに上和田砦に籠城し、一揆勢と戦った。 |
大久保 | 甚四郎 | 忠員 |
武将 | 弓 |
[回復] [連射] |
16 | 50 | 39 |
65 | 85 |
92 |
おおくぼ | | ただよ |
通常版 |
三河 |
1547 |
(1532-1594)徳川家臣。忠員の長男。三方ヶ原合戦、長篠合戦など多くの合戦に従軍し、その豪胆な性格で抜群の功を立て、織田信長や豊臣秀吉にも器量を高く評価された。 |
大久保 | 新十郎 | 忠世 |
武将 | 槍 |
[改修] [登用] [槍衾] |
24 | 62 | 62 |
60 | 90 |
94 |
おおくぼ | | ただすけ |
通常版 |
三河 |
1552 |
(1537-1613)徳川家臣。忠員の次男。兄・忠世とともに各地で戦功を重ねる。その剛勇ぶりは織田信長をも賞嘆させるほどであった。関ヶ原合戦後、駿河沼津2万石を領す。 |
大久保 | 治右衛門 | 忠佐 |
武将 | 槍 |
[訓練] [捕縛] [攻城] |
17 | 65 | 54 |
51 | 90 |
94 |
とりい | | もとただ |
通常版 |
三河 |
1554 |
(1539-1600)徳川家臣。関ヶ原合戦の際に主君・家康の命で伏見城に籠城する。13日間の攻防戦の末、城兵とともに玉砕した。その忠節は「三河武士の鑑」と称賛された。 |
鳥居 | 彦右衛門 | 元忠 |
武将 | 弓 |
[守戦] [槍衾] |
10 | 61 | 35 |
7 | 100 |
90 |
はっとり | | やすなが |
通常版 |
三河 |
1528 |
(1513-1582)徳川家臣。伊賀忍者を率いて隠密頭を務めた。桶狭間合戦の際には大高城への兵糧入れに貢献。天正伊賀の乱の直前には甲賀衆を説得し、徳川家に随身させた。 |
服部 | 半三 | 保長 |
忍者 | 槍 |
[訓練] [捕縛] [混乱] |
4 | 76 | 76 |
15 | 100 |
94 |
はっとり | | はんぞう |
通常版 |
三河 |
1557 |
(1542-1596)徳川家臣。半三保長の子。父の跡を継ぎ隠密頭を務める。主君・家康の伊賀越えの際には、警護を担当し、無事に帰国させた。「鬼の半蔵」の異名をとった。 |
服部 | 正成 | 半蔵 |
忍者 | 槍 |
[訓練] [捕縛] [混乱] |
1 | 84 | 86 |
1 | 100 |
90 |
ひらいわ | | ちかよし |
通常版 |
三河 |
1557 |
(1542-1611)徳川家臣。温好篤実な性格から、主君・家康の絶大な信頼を受け、家康の長男・松平信康の傅役を務める。信康の自害後は家康の九男・義直の傅役となった。 |
平岩 | 七之助 | 親吉 |
武将 | 鉄砲 |
[登用] [雨撃] |
64 | 44 | 52 |
9 | 100 |
90 |
わたなべ | | もりつな |
通常版 |
三河 |
1557 |
(1542-1620)徳川家臣。各地を転戦して戦功を重ね、「槍の半蔵」の異名をとる。関ヶ原合戦には旗本として参陣。晩年は尾張徳川家の家老となり、当主・義直を補佐した。 |
渡辺 | 半蔵 | 守綱 |
一向宗 | 槍 |
[槍衾] |
5 | 61 | 15 |
50 | 65 |
92 |
いたくら | | かつしげ |
通常版 |
三河 |
1560 |
(1545-1624)徳川家臣。はじめ僧侶であったが、父と弟の戦死により還俗、家督を継ぐ。駿府や江戸の町奉行を務めた後、京都所司代となり、西国諸大名らの監視を行った。 |
板倉 | 甚平 | 勝重 |
旧仏教 | 荷駄 |
[改修] [外交] [検地] [奉仕] |
78 | 13 | 64 |
51 | 70 |
92 |
まきの | | やすなり |
通常版 |
三河 |
1570 |
(1555-1609)徳川家臣。牛久保城主。関ヶ原合戦では徳川秀忠軍に属す。上田城攻めで奮戦するが、軍令違反があり、蟄居する。のちに許されるが、健康を害して隠居した。 |
牧野 | 新二郎 | 康成 |
武将 | 荷駄 |
[開墾] [槍衾] |
33 | 44 | 27 |
31 | 70 |
91 |
おだ | | のぶかつ |
通常版 |
尾張 |
1573 |
(1558-1630)信長の次男。伊勢国司・北畠家の養子となり、家督を継ぐ。本能寺の変後は豊臣家に従属した。小田原征伐後、徳川家康の旧領への転封を拒否し、改易された。 |
織田 | 三介 | 信雄 |
武将 | 弓 |
[茶湯] |
22 | 14 | 8 |
61 | 50 |
96 |
おだ | | のぶたか |
通常版 |
尾張 |
1573 |
(1558-1583)信長の三男。伊勢の豪族・神戸具盛の養子となり、家督を継ぐ。本能寺の変後、柴田勝家と結んで羽柴秀吉に対抗するが敗北、秀吉の命により自害させられた。 |
織田 | 三七郎 | 信孝 |
武将 | 槍 |
[雨撃] |
32 | 58 | 13 |
64 | 60 |
92 |
おだ | | のぶゆき |
通常版 |
尾張 |
1551 |
(1536-1557)信秀の次男。うつけと呼ばれた兄・信長に対し、幼少より利発で家中の評判が良かった。次期当主として林秀貞らに擁立されたが、信長に清洲城で謀殺された。 |
織田 | 勘十郎 | 信行 |
武将 | 弓 |
[開墾] [収拾] |
48 | 29 | 15 |
71 | 55 |
79 |
おだ | | のぶずみ |
通常版 |
尾張 |
1557 |
(1555-1582)信行の子。伯父・信長に仕える。明智光秀の娘を娶った。「一段の逸物」と評された器量の持ち主であったが、本能寺の変の際に、従兄弟・信孝に殺された。 |
織田 | 七兵衛 | 信澄 |
武将 | 荷駄 |
[登用] |
39 | 44 | 12 |
17 | 70 |
79 |
いけだ | | てるまさ |
通常版 |
尾張 |
1579 |
(1564-1613)織田家臣。恒興の次男。本能寺の変後は豊臣家に属し、各地で活躍。関ヶ原合戦では東軍に属し、戦後、播磨姫路52万石を領して「姫路宰相」と呼ばれた。 |
池田 | 三左衛門 | 輝政 |
武将 | 槍 |
[茶湯] [激励] [三段] |
64 | 62 | 52 |
59 | 50 |
98 |
きのした | | ひでつぐ |
通常版 |
尾張 |
1583 |
(1568-1595)三好吉房(秀吉の義兄)の子。秀吉の跡を継ぎ関白に就任するが、秀頼の誕生後は「殺生関白」と呼ばれるほどの乱行を振るまい、謀叛の罪で自害させられた。 |
木下 | 孫七郎 | 秀次 |
武将 | 槍 |
[茶湯] |
32 | 35 | 15 |
88 | 45 |
9 |
まえだ | | としなが |
通常版 |
尾張 |
1577 |
(1562-1614)利家の嫡男。家督を相続後、謀叛の兆しありとの噂が流れたが、母・芳春院を人質に出して討伐を免れる。関ヶ原合戦で東軍に属し、加賀100万石を領した。 |
前田 | 孫四郎 | 利長 |
武将 | 槍 |
[商業] [外交] [収拾] |
54 | 49 | 50 |
33 | 70 |
95 |
かなもり | | ながちか |
通常版 |
美濃飛騨 |
1539 |
(1524-1608)織田家臣。赤母衣衆の1人。柴田勝家に従い北陸平定に貢献。勝家の死後は蟄居するが、のち豊臣秀吉に仕えた。茶の湯に秀で、利休七哲の1人に数えられる。 |
金森 | 五郎八 | 長近 |
武将 | 槍 |
[改修] [茶湯] |
55 | 49 | 54 |
27 | 60 |
94 |
もり | | ただまさ |
通常版 |
美濃飛騨 |
1585 |
(1570-1634)豊臣家臣。可成の六男。兄・長可の戦死により家督を継ぐ。関ヶ原合戦では徳川秀忠に従い、上田城攻撃に従軍した。のちに美作津山18万石に転封された。 |
森 | | 忠政 |
武将 | 弓 |
[改修] |
44 | 33 | 41 |
37 | 55 |
98 |