武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
あわや | | かつひさ |
通常版 |
越前若狭 |
1538 |
(1523-1585)若狭武田家臣。国吉城主。のち織田信長に属して各地を転戦する。旧主・元明が蟄居させられた際は、赦免を信長に嘆願した。本能寺の変後は豊臣秀吉に属す。 |
粟屋 | | 勝久 |
武将 | 弓 |
[改修] [収拾] [連射] |
33 | 40 | 45 |
26 | 60 |
61 |
へんみ | | まさつね |
通常版 |
越前若狭 |
1537 |
(1522-1581)若狭武田家臣。高浜城主。逸見家は若狭武田家の庶流。織田信長の越前侵攻軍に降り、各地を転戦した。その功により、旧領を安堵され、3千石を加増された。 |
逸見 | | 昌経 |
武将 | 弓 |
[槍衾] |
38 | 34 | 39 |
49 | 35 |
11 |
あおき | | かずしげ |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1566 |
(1551-1628)徳川家臣。姉川合戦で朝倉家臣・真柄直隆を討ち武名を上げた。一時丹羽家・豊臣家に仕えるが、大坂夏の陣直前に徳川家に戻り、摂津麻田1万石を領した。 |
青木 | 所右衛門 | 一重 |
武将 | 騎馬 |
[槍衾] |
46 | 56 | 53 |
53 | 40 |
95 |
あかざ | | よしいえ |
PK追加 |
越前若狭 |
1578 |
(1563-1606)豊臣家臣。関ヶ原合戦では西軍に属すが朽木元綱らとともに東軍に寝返った。戦後改易されたため、加賀前田家に仕えたが、増水した越中国大門川で溺死した。 |
赤座 | 久兵衛 | 吉家 |
武将 | 騎馬 |
[捕縛] |
36 | 40 | 31 |
53 | 40 |
30 |
あだち | | しげのぶ |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1578 |
(1563-1625)加藤家臣。関ヶ原合戦では主君・嘉明の居城・伊予松前城の留守居役を務めて毛利軍を撃退し、家老となる。河川工事にすぐれ、領内の灌漑と水防を行った。 |
足立 | 半右衛門 | 重信 |
武将 | 騎馬 |
[改修] [治水] [守戦] |
57 | 58 | 45 |
35 | 70 |
11 |
いき | | とおかつ |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1582 |
(1567-1615)豊臣家臣。各地で活躍し、近習から黄母衣衆となる。関ヶ原合戦後は浪人し、大坂城に入城。夏の陣の際、落城寸前に脱出し、真野頼包と刺し違えて死んだ。 |
伊木 | 半七 | 遠雄 |
武将 | 槍 |
[登用] |
42 | 53 | 46 |
28 | 85 |
32 |
いこま | | かずまさ |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1570 |
(1555-1610)織田家臣。親正の子。雑賀攻めなどで活躍した。朝鮮派兵の際は渡海し、蔚山城の戦いなどに参加。関ヶ原合戦では東軍に属し、戦後、讃岐高松城主となった。 |
生駒 | 三吉 | 一正 |
武将 | 槍 |
[開墾] [回復] |
57 | 55 | 57 |
54 | 55 |
3 |
いこま | | まさとし |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1601 |
(1586-1621)徳川家臣。一正の子。父の死後、讃岐高松藩2代藩主となり、17万1千石を領す。大坂の陣には遊軍として参加した。正室には藤堂高虎の娘を迎えている。 |
生駒 | | 正俊 |
武将 | 荷駄 |
[商業] |
48 | 47 | 40 |
40 | 75 |
6 |
いしかわ | | さだまさ |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1590 |
(1575-1657)豊臣家臣。関ヶ原合戦の際は東軍として一番首を得るなど奮戦した。その後は秀頼に仕えたが、大坂冬の陣直前に高野山に入る。主家滅亡後は徳川家に仕えた。 |
石川 | 土用之助 | 貞政 |
武将 | 騎馬 |
[捕縛] |
49 | 55 | 44 |
57 | 50 |
85 |
いちはし | | ながかつ |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1572 |
(1557-1620)豊臣家臣。美濃今尾城主。九州征伐、小田原征伐などに従軍。関ヶ原合戦では東軍に属し、丸毛兼利が守る美濃福束城を落とすなど活躍、1万石を加増された。 |
市橋 | 九郎左衛門 | 長勝 |
国人衆 | 騎馬 |
[商業] [外交] |
44 | 52 | 36 |
56 | 45 |
89 |
いとう | | もりまさ |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1582 |
(1567-1623)豊臣家臣。父・盛景の死後、家督を相続し、美濃大垣3万4千石を領す。関ヶ原合戦では西軍に属し、戦後、所領没収の上追放された。のち前田利常に仕えた。 |
伊藤 | 彦兵衛 | 盛正 |
武将 | 槍 |
[改修] [逃亡] |
49 | 45 | 39 |
50 | 40 |
17 |
いなば | | しげみち |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1559 |
(1544-1598)織田家臣。一鉄の庶長子。本能寺の変後は豊臣秀吉に仕え、馬廻を務める。小牧長久手合戦や九州征伐などに従軍し、父の死後、美濃清水1万2千石を領した。 |
稲葉 | 勘右衛門 | 重通 |
武将 | 弓 |
[連射] |
48 | 52 | 50 |
49 | 80 |
96 |
いなば | | みちとお |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1585 |
(1570-1607)豊臣家臣。重通の五男。兄・牧村利貞の死後、その遺子が幼少であったため、伊勢岩手2万石余を相続した。関ヶ原合戦では東軍に属し、九鬼嘉隆と戦った。 |
稲葉 | 勘右衛門 | 道通 |
武将 | 騎馬 |
[開墾] |
45 | 49 | 45 |
64 | 65 |
94 |
いなば | | さだみち |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1561 |
(1546-1603)織田家臣。一鉄の長男。本能寺の変後は豊臣秀吉に仕えた。関ヶ原合戦では織田秀信に従い西軍に属すが、のち東軍に降伏。戦後、豊後臼杵5万石を領した。 |
稲葉 | 彦六 | 貞通 |
武将 | 弓 |
[改修] [連射] |
49 | 53 | 38 |
48 | 55 |
96 |
いなば | | のりみち |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1581 |
(1566-1626)豊臣家臣。貞通の長男。九州征伐の際、主君・秀吉の勘気を蒙り蟄居するが、のちに復帰し、各地の合戦に従軍。父の死後家督を継ぎ、大坂冬の陣に出陣した。 |
稲葉 | 彦六 | 典通 |
武将 | 槍 |
[三段] |
49 | 43 | 40 |
55 | 75 |
95 |
かとう | | さだやす |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1595 |
(1580-1623)豊臣家臣。関ヶ原合戦では東軍に味方して島津勢と戦い、また近江水口城を攻略するなど活躍した。八条流馬術の秘伝を受け、また詩・和歌・連歌をよくした。 |
加藤 | 作十郎 | 貞泰 |
国人衆 | 槍 |
[登用] |
51 | 54 | 43 |
51 | 70 |
94 |
かなもり | | よししげ |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1573 |
(1558-1615)織田家臣。長屋景重の子で、長近の養子となる。養父の死後、家督を相続。大坂の陣に従軍し、功を立てた。養父と同じく茶の湯を好み、茶会記に名を残した。 |
金森 | 喜蔵 | 可重 |
国人衆 | 弓 |
[茶湯] [連射] |
52 | 43 | 49 |
26 | 55 |
92 |
くまがい | | なおもり |
PK追加 |
越前若狭 |
1588 |
(1573-1600)豊臣家臣。勇猛をもって知られた。朝鮮派兵で功を立て、豊後安岐1万5千石を領す。関ヶ原合戦では西軍に属して大垣城を守ったが、相良頼房らに殺された。 |
熊谷 | 半次郎 | 直盛 |
武将 | 槍 |
[攻城] |
34 | 59 | 20 |
63 | 80 |
28 |
すわ | | よりみず |
PK追加 |
南信濃 |
1585 |
(1570-1641)信濃高島藩主。頼忠の嫡男。父の死後家督を継ぎ、2万7千石を領した。内政に励み領国の安定に尽力。改易され蟄居処分を受けた松平忠輝の身元を預かった。 |
諏訪 | | 頼水 |
旧仏教 | 騎馬 |
[改修] [突撃] |
58 | 36 | 46 |
51 | 60 |
24 |
せんごく | | ひでのり |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1591 |
(1576-1615)豊臣家臣。秀久の子。関ヶ原合戦では西軍に属して所領を失った。廃嫡処分を受け、大坂城に入城。冬の陣では城方として戦うが、のち丹波に逃亡したという。 |
仙石 | 権兵衛 | 秀範 |
武将 | 槍 |
[逃亡] |
29 | 49 | 24 |
66 | 70 |
14 |