武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
いっきゅう | | そうじゅん |
諸王 |
大和 |
1569 |
(1554-1641)室町時代の禅僧。全国を行脚し、ひろく民衆に慕われる。その人気から江戸時代以降には、小僧時代の一休の頓知咄が多く作られた。 |
一休 | | 宗純 |
旧仏教 | 槍 |
[開墾] [引抜] [逃亡] [混乱] |
57 | 11 | 125 |
1 | 90 |
55 |
にながわ | | ちうん |
諸王 |
大和 |
1560 |
(1545-1600)室町中期の武将、連歌師。蜷川新右衛門と称す。幕府では政所公役をつとめる。一休宗純や梵灯に連歌を学び、『親当句集』などの作品を残した。 |
蜷川 | | 智蘊 |
武将 | 槍 |
[訓練] [回復] [剣豪] [槍衾] |
58 | 62 | 48 |
5 | 95 |
56 |
あしかが | | たかうじ |
諸王 |
大和 |
1544 |
(1529-1580)足利幕府初代将軍。六波羅探題を攻略して鎌倉北条氏を滅ぼす。のち建武の新政を行った後醍醐天皇と対立。京都に幕府を開いて北朝を成立させた。 |
足利 | 又太郎 | 尊氏 |
武将 | 騎馬 |
[登用] [引抜] [外交] [説得] |
76 | 77 | 81 |
93 | 45 |
50 |
やだ | | しちろうざ |
諸勢力 |
因幡但馬 |
1537 |
(1522-1615)米子の商人。七郎左は実際は因幡荒神山城主。毛利家などに属した。のちに羽柴秀吉軍と戦うが居城を落とされ、下野して倉吉で交易に従事したという。 |
矢田 | | 七郎左 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
49 | 48 | 56 |
59 | 30 |
87 |
いとう | | もくのすけ |
諸勢力 |
因幡但馬 |
1589 |
(1574-1637)米子の商人。米子は米子港を擁する港町として発展した。米子港は尼子家や毛利家などが支配した。山陰地方では他に美保関、安来などが港町として発展した。 |
伊藤 | | 杢之助 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
49 | 64 | 52 |
52 | 70 |
4 |
おがわ | | とうえもん |
諸勢力 |
因幡但馬 |
1606 |
(1591-1658)米子の商人。米子は米子港を擁する港町として発展した。米子港は尼子家や毛利家などが支配した。山陰地方では他に美保関、安来などが港町として発展した。 |
小川 | | 東右衛門 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
40 | 50 | 45 |
54 | 50 |
11 |
くもうで | | ひこえもん |
諸勢力 |
因幡但馬 |
1574 |
(1559-1638)米子の商人。米子は米子港を擁する港町として発展した。米子港は尼子家や毛利家などが支配した。山陰地方では他に美保関、安来などが港町として発展した。 |
口分田 | | 彦右衛門 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
50 | 48 | 44 |
48 | 95 |
20 |
しばた | | とうしろう |
諸勢力 |
因幡但馬 |
1554 |
(1539-1628)米子の商人。米子は米子港を擁する港町として発展した。米子港は尼子家や毛利家などが支配した。山陰地方では他に美保関、安来などが港町として発展した。 |
芝田 | | 藤四郎 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
54 | 43 | 59 |
59 | 85 |
72 |
にしやま | | たんざえもん |
諸勢力 |
因幡但馬 |
1580 |
(1565-1614)米子の商人。米子は米子港を擁する港町として発展した。米子港は尼子家や毛利家などが支配した。山陰地方では他に美保関、安来などが港町として発展した。 |
西山 | | 旦左衛門 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
43 | 48 | 57 |
43 | 40 |
23 |
はやみ | | きしろう |
諸勢力 |
因幡但馬 |
1555 |
(1540-1629)米子の商人。米子は米子港を擁する港町として発展した。米子港は尼子家や毛利家などが支配した。山陰地方では他に美保関、安来などが港町として発展した。 |
速水 | | 喜四郎 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
52 | 44 | 56 |
49 | 70 |
87 |
ひなつ | | さぶろうべえ |
諸勢力 |
因幡但馬 |
1596 |
(1581-1656)米子の商人。米子は米子港を擁する港町として発展した。米子港は尼子家や毛利家などが支配した。山陰地方では他に美保関、安来などが港町として発展した。 |
日夏 | | 三郎兵衛 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
52 | 54 | 51 |
46 | 50 |
5 |
わかみや | | とうざぶろう |
諸勢力 |
因幡但馬 |
1566 |
(1551-1638)米子の商人。米子は米子港を擁する港町として発展した。米子港は尼子家や毛利家などが支配した。山陰地方では他に美保関、安来などが港町として発展した。 |
若宮 | | 藤三郎 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
50 | 44 | 58 |
58 | 95 |
0 |
あんどう | | へいざえもん |
諸勢力 |
因幡但馬 |
1591 |
(1576-1649)米子の商人。米子は米子港を擁する港町として発展した。米子港は尼子家や毛利家などが支配した。山陰地方では他に美保関、安来などが港町として発展した。 |
安東 | | 平左衛門 |
都市 | 弓 |
[商業] [茶湯] |
43 | 52 | 41 |
56 | 85 |
74 |
こうふくじ | | じんそん |
諸勢力 |
大和 |
1595 |
(1580-1658)大和の僧侶。興福寺は藤原鎌足の夫人が山科に創建した山階寺が前身で、藤原不比等が奈良に移した。多数の僧兵を抱え大和一国を治める実力を持つに至った。 |
興福寺 | | 尋尊 |
旧仏教 | 槍 |
[外交] |
50 | 49 | 62 |
52 | 75 |
61 |
おち | | いえます |
諸勢力 |
大和 |
1598 |
(1583-1652)大和の国人。家増は大和の国衆で、家栄の三男。家広の弟という。はじめ楢原姓を名乗った。市尾深介に命じて甥・家高を謀殺し、越智家の惣領となった。 |
越智 | | 家増 |
国人衆 | 荷駄 |
[開墾] [外交] |
48 | 48 | 48 |
55 | 70 |
20 |
たけだ | | たかのぶ |
諸勢力 |
因幡但馬 |
1607 |
(1592-1638)因幡但馬の国人。高信は実際は因幡山名家臣。因幡鳥取城代を務めたが、のちに城主・山名豊数を追って城主となる。しかし、のちに山名豊国に殺された。 |
武田 | | 高信 |
国人衆 | 槍 |
[開墾] [外交] |
47 | 37 | 35 |
43 | 35 |
96 |