『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
きただて としなが 通常版 羽前 1563 (1548-1625)最上家臣。大学と称す。治水工事を行って庄内平野の水不足を解消させた。この堰は「大学堰」と呼ばれ、主君・義光が「庄内末世の重宝」と絶賛したという。
北楯 利長 武将
[開墾] [治水]  691653 3755 96
しむら みつやす 通常版 羽前 1575 (1560-1609)最上家臣。主君・義光の腹心として活躍し「いかなる強敵も彼には降った」といわれた。関ヶ原合戦の際は長谷堂城を守り、直江兼続の大軍を見事に撃退した。
志村 光安 武将騎馬
[改修] [回復] [突撃]  195561 5085 97
たておか みつしげ 通常版 羽前 1562 (1547-1623)最上家臣。湯沢城主。関ヶ原合戦の際には小野寺家の攻撃を受けたが、孤軍奮闘して城を守り抜いた。知行は最上家臣団の中で最高の4万8千石を領した。
楯岡 満茂 武将騎馬
[引抜]  324146 5360 97
にいぜき ひさまさ 通常版 羽前 1583 (1568-1623)最上家臣。因幡守を称す。赤川の水を引く用水堰工事を行うが、主家改易で中断され、土井利勝に預けられた。後年、用水堰は完成し、「因幡堰」と呼ばれた。
新関 久正 武将
[開墾] [治水]  493737 2275 95
のべさわ みつのぶ 通常版 羽前 1559 (1544-1591)最上家臣。はじめ天童家に仕えたが、嫡男・康満に最上義光の娘・松尾姫を迎える条件で和睦した。大力剛勇の武将で、義光は内心脅威を感じていたという。
延沢 満延 武将騎馬
[訓練] [捕縛] [突撃]  107431 7965 93
やがしわ なおいえ 通常版 羽前 1566 (1551-1610)最上家臣。伊達晴宗・輝宗親子が対立した際、和解を促す使者として伊達家に赴いた。最上・伊達両家の和解対面の際には、主君・義光の名代を務めた。
谷柏 直家 武将騎馬
[回復]  513335 3455 95
だて たねむね 通常版 陸前 1503 (1488-1565)伊達家14代当主。奥州探題を獲得し、婚姻外交を駆使して版図を拡大。三男・実元の上杉家入嗣問題で嫡男・晴宗と対立し、天文の大乱を引き起こした。
伊達次郎稙宗 武将
[商業] [外交] [収拾] [逃亡]  946191 9665 74
だて はるむね 通常版 羽前 1534 (1519-1577)伊達家15代当主。稙宗の嫡男。父と対立し天文の大乱を引き起こすが、終息後に家督を相続。父と同様、婚姻外交を駆使して伊達家の地位を不動にした。
伊達次郎晴宗 武将騎馬
[開墾] [捕縛]  735768 8355 66
だて てるむね 通常版 羽前 1559 (1544-1585)伊達家16代当主。晴宗の次男。相馬家とたびたび争う。嫡男・政宗に家督を譲った翌年、二本松義継に拉致され、救援に来た伊達軍の銃撃に巻き込まれ死去。
伊達総次郎輝宗 武将騎馬
[登用] [収拾] [説得]  645547 6985 74
だて まさむね 通常版 羽前 1582 (1567-1636)伊達家17代当主。輝宗の嫡男。瞬く間に周辺諸国を切り従えて24歳で奥州に覇を唱え「独眼竜」と畏怖された。権謀術数で豊臣・徳川両政権を生き抜いた。
伊達藤次郎政宗 武将鉄砲
[外交] [奉仕] [三段] [混乱]  858684 9940 69
だて さねもと 通常版 陸前 1542 (1527-1587)稙宗の三男。越後上杉家に入嗣するはずだったが、兄・晴宗がこれを阻止したため天文の大乱が起こった。乱中は稙宗側に属すが、終息後は晴宗に仕えた。
伊達藤五郎実元 武将騎馬
[収拾] [攻城]  474844 5860 66
だて しげざね 通常版 陸前 1583 (1568-1646)実元の子。「武」の面で主君・政宗を補佐した、伊達家中随一の猛将。「英毅大略あり」と評された。晩年には徳川三代将軍・家光に奥州の軍談を語っている。
伊達藤五郎成実 武将騎馬
[訓練] [登用] [激励] [突撃]  498149 5775 66
だて まさかげ 通常版 羽前 1564 (1549-1607)伊達晴宗の三男。留守顕宗の娘を娶り、留守家を継いだ。兄・輝宗や甥・政宗に従い、相馬家や最上家との戦いで活躍した。朝鮮出兵後、伊達姓を与えられた。
伊達六郎政景 武将
[商業] [収拾]  495445 2770 69
かたくら かげつな 通常版 羽前 1572 (1557-1615)伊達家臣。19歳で主君・政宗の傅役となり「智」の面で政宗を補佐した智将。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣するよう政宗を説得し、伊達家の存続に貢献した。
片倉小十郎景綱 武将騎馬
[開墾] [外交] [攻城] [説得]  807679 5695 69
かたくら しげなが 通常版 羽前 1600 (1585-1659)伊達家臣。景綱の子。大坂夏の陣で後藤又兵衛らを討ち取るなど活躍、徳川家康から「鬼」と評された。美形で知られ小早川秀秋が追い回したという話が残る。
片倉小十郎重長 武将鉄砲
[激励] [捕縛] [雨撃]  526542 4880 69
おににわ よしなお 通常版 羽前 1528 (1513-1585)伊達家臣。稙宗の五男・盛重が国分家に入嗣する際、国分家に赴いて仕置を行った。のち評定役となる。人取橋合戦で老齢の身ながら殿軍を務め、戦死した。
鬼庭 良直 武将騎馬
[激励] [突撃]  276329 3880 70
おににわ つなもと 通常版 羽前 1564 (1549-1640)伊達家臣。主君・政宗の腹心となる。朝鮮出兵の際に、豊臣秀吉の愛妾・香の前を賜り、政宗の怒りを買って出奔。のちに帰参し、国老として国政に携わった。
鬼庭 綱元 武将鉄砲
[開墾] [外交] [槍衾]  555463 3575 70
えんどう もとのぶ 通常版 羽前 1547 (1532-1585)伊達家臣。中野宗時の失脚後、輝宗の信任を受けて宿老となる。政事を担当し、織田信長らとも書簡をやりとりした。輝宗の死後、その墓前で殉死した。
遠藤文七郎基信 武将
[外交] [検地]  70550 10100 74
かけだ としむね 通常版 陸前 1524 (1509-1553)伊達家臣。天文の大乱に際しては舅・稙宗に属して活躍。乱の終息後、居城・懸田城を廃城とする講和条件に不満を持ち謀叛を起こすが、捕らえられ斬られた。
懸田 俊宗 武将
[混乱]  451535 4760 74
こやながわ むねとも 通常版 陸前 1484 (1469-1565)伊達家臣。天文の大乱に際しては稙宗側に属し、西山城に幽閉されていた稙宗を救出するなど活躍した。乱の終息後も稙宗に近侍し、稙宗の死後、殉死した。
小梁川 宗朝 武将荷駄
[回復] [逃亡]  746384 68100 74

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