武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
いじち | | しげおき |
通常版 |
薩摩大隅 |
1543 |
(1528-1580)大隅の豪族。小浜城主。肝付家と結んで島津家に対抗するが、島津軍に居城を落とされたため、降伏した。その後は島津家に属し、大友家攻めなどに従軍した。 |
伊地知 | 又九郎 | 重興 |
国人衆 | 槍 |
[開墾] [雨撃] |
28 | 32 | 54 |
60 | 50 |
17 |
ねじめ | | きよとし |
通常版 |
薩摩大隅 |
1525 |
(1510-1559)大隅の豪族。根占領主。肝付家に従う。主君・兼続らと島津勝久と島津忠良の間を仲裁するが失敗。のち兼続から大隅高隈城を譲られるが、再び奪回された。 |
禰寝 | | 清年 |
国人衆 | 弓 |
[連射] |
62 | 45 | 58 |
76 | 60 |
11 |
しまづ | | としひさ |
通常版 |
薩摩大隅 |
1552 |
(1537-1592)島津家臣。貴久の三男。日置島津家の祖となる。豊臣秀吉の九州征伐軍に最後まで抵抗した。多くの家臣が梅北国兼の乱に加担したため、責任をとり自害した。 |
島津 | 又六郎 | 歳久 |
武将 | 荷駄 |
[改修] [回復] |
49 | 63 | 62 |
32 | 75 |
18 |
いじゅういん | | ただむね |
通常版 |
薩摩大隅 |
1568 |
(1553-1599)島津家臣。忠倉の子。老中を務めた。豊臣秀吉の九州征伐軍に敗れ、人質となった。秀吉から主家と同格の扱いを受けたため、主君・忠恒と対立して殺された。 |
伊集院 | 源太 | 忠棟 |
武将 | 鉄砲 |
[茶湯] [雨撃] |
65 | 56 | 62 |
88 | 45 |
13 |
かまた | | まさとし |
通常版 |
日向 |
1529 |
(1514-1587)島津家臣。肥後矢崎城攻めなどで活躍した。薩摩馬越城攻めで大活躍し、主君・忠良から功を賞され、島津家の看経所に名を残した4人のうちの1人となった。 |
鎌田 | | 政年 |
武将 | 荷駄 |
[開墾] [攻城] |
27 | 34 | 39 |
54 | 75 |
31 |
たねがしま | | さととき |
通常版 |
薩摩大隅 |
1518 |
(1503-1567)島津家臣。種子島の領主。薩摩市来城攻めなどで活躍。大隅の豪族・禰寝家と争い、一時屋久島に逃れた。種子島に漂着したぽるとがる船から鉄砲を入手した。 |
種子島 | | 恵時 |
国人衆 | 鉄砲 |
[貿易] |
69 | 34 | 66 |
20 | 70 |
18 |
たねがしま | | ときたか |
通常版 |
薩摩大隅 |
1543 |
(1528-1579)島津家臣。種子島の領主。恵時の嫡男。大隅の豪族・禰寝家と抗争した。種子島に漂着したぽるとがる船から鉄砲を入手し、分析・改良して国産化に成功した。 |
種子島 | | 時尭 |
国人衆 | 鉄砲 |
[貿易] [雨撃] |
65 | 47 | 53 |
57 | 55 |
18 |
たねがしま | | ひさとき |
通常版 |
薩摩大隅 |
1579 |
(1568-1611)島津家臣。種子島の領主。時堯の次男。兄・時次の早世により、主君・義久の加冠で元服し、家督を継いだ。鉄砲隊を率いて各地で活躍し、武名を轟かせた。 |
種子島 | 三郎次郎 | 久時 |
国人衆 | 鉄砲 |
[貿易] [三段] |
55 | 42 | 48 |
6 | 80 |
18 |
しまづ | | さねひさ |
通常版 |
薩摩大隅 |
1525 |
(1510-1553)薩州島津家5代当主。宗家当主の地位を望むが拒否されたため、宗家に背く。一時は勢力を拡大するが、島津忠良との戦いに敗れて降伏、薩摩出水に逼塞した。 |
島津 | 八郎左衛門 | 実久 |
武将 | 騎馬 |
[引抜] |
62 | 36 | 69 |
86 | 35 |
81 |
あおき | | かずのり |
PK追加 |
尾張 |
1556 |
(1541-1600)豊臣家臣。賤ヶ岳の合戦などに従軍し、その功で越前北の庄20万石を領す。関ヶ原合戦の際は西軍に属すが、病床にあり、戦後間もなく病死、改易された。 |
青木 | 勘兵衛 | 一矩 |
武将 | 槍 |
[改修] [収拾] |
46 | 50 | 44 |
50 | 80 |
13 |
あおき | | としのり |
PK追加 |
尾張 |
1579 |
(1564-1608)豊臣家臣。一矩の子。馬廻を務めた。主君・秀吉の死後は秀頼に仕え、越前金剛院城2万石を領す。関ヶ原合戦で西軍に属したため、戦後没落した。 |
青木 | 善右衛門 | 俊矩 |
武将 | 荷駄 |
[商業] |
43 | 40 | 40 |
45 | 65 |
18 |
あおやま | | むねかつ |
PK追加 |
尾張 |
1554 |
(1539-1600)丹羽家臣。主君・長秀の死後は豊臣秀吉に仕えた。九州征伐などに従軍し、のちに越前丸岡4万6千石を領す。関ヶ原合戦で西軍に属したため、戦後没落した。 |
青山 | 助兵衛 | 宗勝 |
武将 | 弓 |
[登用] [説得] |
42 | 44 | 45 |
48 | 75 |
13 |
あだち | | しげのぶ |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1578 |
(1563-1625)加藤家臣。関ヶ原合戦では主君・嘉明の居城・伊予松前城の留守居役を務めて毛利軍を撃退し、家老となる。河川工事にすぐれ、領内の灌漑と水防を行った。 |
足立 | 半右衛門 | 重信 |
武将 | 騎馬 |
[改修] [治水] [守戦] |
57 | 58 | 45 |
35 | 70 |
11 |
いしだ | | まさずみ |
PK追加 |
近江 |
1571 |
(1556-1600)豊臣家臣。関ヶ原合戦では父・正継とともに弟・三成の居城・佐和山城を守備する。西軍の敗北後、小早川秀秋らの攻撃を受け落城、一族とともに自害した。 |
石田 | 弥三 | 正澄 |
武将 | 荷駄 |
[商業] |
60 | 28 | 41 |
22 | 65 |
19 |
いたくら | | しげまさ |
PK追加 |
三河 |
1603 |
(1588-1638)徳川家臣。勝重の三男。三河深溝藩主。島原の乱の鎮圧に努める。しかし老中・松平信綱の派遣が決まると、突然、原城に総攻撃を掛けて敗北、戦死した。 |
板倉 | 宇右衛門 | 重昌 |
旧仏教 | 弓 |
[激励] [連射] |
54 | 48 | 51 |
61 | 70 |
91 |
いとう | | もりまさ |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1582 |
(1567-1623)豊臣家臣。父・盛景の死後、家督を相続し、美濃大垣3万4千石を領す。関ヶ原合戦では西軍に属し、戦後、所領没収の上追放された。のち前田利常に仕えた。 |
伊藤 | 彦兵衛 | 盛正 |
武将 | 槍 |
[改修] [逃亡] |
49 | 45 | 39 |
50 | 40 |
17 |
おおた | | かずよし |
PK追加 |
尾張 |
1581 |
(1566-1617)丹羽家臣。主家没落後は豊臣秀吉に仕える。関ヶ原合戦では西軍に属し居城・豊後臼杵城に籠城して戦うが、主力の敗北により開城。その後は京都に隠棲した。 |
太田 | 小源五 | 一吉 |
武将 | 騎馬 |
[突撃] |
40 | 42 | 33 |
46 | 55 |
17 |
おおたに | | よしはる |
PK追加 |
近江 |
1595 |
(1580-1615)豊臣家臣。吉継の長男。関ヶ原合戦では父とともに西軍に属して戦った。戦後、浪人となるが、豊臣秀頼に招かれ大坂城に入る。天王寺口の戦いで戦死した。 |
大谷 | | 義治 |
武将 | 槍 |
[逃亡] [三段] |
49 | 56 | 40 |
46 | 85 |
21 |
おおの | | はるふさ |
PK追加 |
近江 |
1587 |
(1572-1615)豊臣家臣。治長の弟。大坂の陣の際は、主戦派の中心人物の一人となる。大坂落城後、国松丸(主君・秀頼の子)を擁して脱出するが、捕らわれて斬首された。 |
大野 | | 治房 |
武将 | 弓 |
[訓練] [雨撃] |
46 | 50 | 28 |
55 | 75 |
31 |
おだ | | のぶしげ |
PK追加 |
尾張 |
1579 |
(1564-1615)豊臣家臣。信包の長男。伊勢林城主。関ヶ原合戦では西軍に属すが、所領を安堵された。のちに父遺領相続をめぐり弟・信則を訴えるが、かえって改易された。 |
織田 | 三十郎 | 信重 |
武将 | 弓 |
[雨撃] |
36 | 36 | 28 |
59 | 35 |
1 |