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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
はら | たねきよ |
朝廷 | 好戦陰湿 | 下総 | 武将 | (1488-1562)千葉家臣。筆頭家老を務めた。一貫して親北条家の立場にあり、第一次国府台合戦の際には北条軍に属した。反北条だった主君・親胤の暗殺に関わったという。
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原 |
胤清 |
53 | 40 | 57 |
K |
29 | 57 |
長槍 | 改修 |
治療 | 迎撃 |
- |
はら | たねさだ |
朝廷・名声 | 好戦人情 | 下総 | 武将 | (1512-1571)千葉家臣。胤清の子。生実城主。臼井家が原家に降伏した際には、臼井城に入り臼井家の家政を執行した。一時里見家に居城を奪われるが、のちに奪還した。
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原 |
胤貞 |
49 | 58 | 50 |
K |
55 | 41 |
騎馬 | 農業 |
収拾 | 誘導 |
迎撃 |
はら | たねひで |
朝廷 | 保守鳩派 | 下総 | 武将 | (1537-1590)千葉家臣。胤貞の子。利胤・親胤2代に執権として仕えた。主家と同等の勢力を有していたという。のちに主家とともに北条家に従属、臼井衆の筆頭となった。
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原 |
胤栄 |
51 | 45 | 47 |
K |
36 | 48 |
足軽 | 弁舌 |
威圧 | 迎撃 |
- |
うつのみや | おきつな |
朝廷・名声 | 好戦陰湿 | 下野 | 旧仏教 | (1475-1536)宇都宮家19代当主。芳賀家を継ぐが、宗家の甥・忠綱を討ち、宗家を継いだ。のちに主家乗っ取りの咎で強引に隠居させられ、家臣に強要されて自害した。
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宇都宮 |
興綱 |
59 | 29 | 72 |
O |
27 | 84 |
騎馬 | 改修 |
威圧 | 誘導 |
迎撃 |
うつのみや | ひさつな |
朝廷 | 好戦直情 | 下野 | 旧仏教 | (1512-1549)宇都宮家20代当主。興綱の嫡男。那須政資・高資父子の抗争の際、政資を支持した。のちに高資の支城・喜連川城を攻めるが、那須軍の奇襲に遭い敗死した。
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宇都宮 |
尚綱 |
40 | 54 | 55 |
O |
41 | 53 |
騎馬 | 農業 |
罵声 | 破壊 |
迎撃 |
うつのみや | ひろつな |
朝廷 | 保守鳩派 | 下野 | 旧仏教 | (1543-1580)宇都宮家21代当主。尚綱の嫡男。佐竹義昭の娘を娶り同盟を結ぶ。また、芳賀高定とともに、北条家と結ぶ領内の反宇都宮勢力と戦った。病弱だったという。
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宇都宮 |
広綱 |
59 | 44 | 27 |
O |
57 | 62 |
足軽 | 登用 |
離反 | 迎撃 |
- |
うつのみや | くにつな |
朝廷 | 保守鳩派 | 下野 | 旧仏教 | (1568-1607)宇都宮家22代当主。広綱の嫡男。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、所領を安堵される。しかし、のちに豊臣家内部の権力闘争に巻き込まれ改易処分となった。
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宇都宮 |
国綱 |
57 | 45 | 51 |
O |
44 | 45 |
鉄砲 | 哀願 |
収拾 | 分断 |
- |
みぶ | つなふさ |
朝廷 | 好戦陰湿 | 下野 | 武将 | (1479-1555)宇都宮家臣。壬生城主。筆頭家老を務めた。権謀術数を駆使して主君の忠綱・興綱を死に追いやり、興綱の子・尚綱が戦死したのち、宇都宮城を乗っ取った。
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壬生 |
綱房 |
70 | 45 | 78 |
W |
8 | 90 |
長槍 | 弁舌 |
虚報 | 治療 |
破壊 |
みぶ | つなたけ |
朝廷・名声 | 保守鷹派 | 下野 | 武将 | (1515-1576)宇都宮家臣。壬生・鹿沼城主。綱房の嫡男。北条家に接近し、主家からの自立をはかったため、宇都宮家に通じていた叔父・周良に鹿沼城に招かれて殺された。
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壬生 |
綱雄 |
32 | 36 | 43 |
V |
33 | 66 |
騎馬 | 威圧 |
混乱 | 迎撃 |
- |
みぶ | よしたけ |
朝廷 | 好戦陰湿 | 下野 | 武将 | (1552-1590)宇都宮家臣。壬生城主。綱雄の嫡男。叔父・周良を討ち父の敵を取る。のち北条家に属す。豊臣秀吉の小田原征伐の際は小田原城に籠城、戦後間もなく没した。
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壬生 |
義雄 |
37 | 46 | 49 |
W |
21 | 59 |
足軽 | 改修 |
治療 | 誘導 |
- |
はが | たかつね |
朝廷 | 好戦直情 | 下野 | 武将 | (1497-1541)宇都宮家臣。一族の者が宇都宮家に殺されたのを恨み、壬生綱房と結んで主君・興綱を討った。のちに皆川家と結んで挙兵するが、興綱の子・尚綱に討たれた。
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芳賀 |
高経 |
54 | 61 | 57 |
R |
53 | 80 |
長槍 | 商業 |
罵声 | 誘導 |
迎撃 |
はが | たかつぐ |
朝廷 | 保守鷹派 | 下野 | 武将 | (1526-1592)宇都宮家臣。高経の次男。父の横死により益子領へ逃亡するが、のちに芳賀高定から家督を譲られて帰参。宿老として家中の内政・外交全般を取り仕切った。
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芳賀 |
高継 |
49 | 47 | 54 |
R |
60 | 57 |
騎馬 | 農業 |
密偵 | 誘導 |
- |
はが | たかさだ |
朝廷・名声 | 好戦陰湿 | 下野 | 武将 | (1529-1588)宇都宮家臣。益子勝宗の子。芳賀高経の死後、芳賀家を継ぐ。壬生家に乗っ取られた宇都宮城を奪還し、宿老として国政に参画、主家の勢力回復に尽力した。
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芳賀 |
高定 |
74 | 57 | 76 |
O |
84 | 55 |
長槍 | 登用 |
鼓舞 | 焙烙 |
誘導 |
はが | たかたけ |
朝廷 | 保守鷹派 | 下野 | 旧仏教 | (1572-1612)宇都宮家臣。宇都宮広綱の三男。芳賀高継の跡を継ぐ。兄・国綱の片腕として活躍した。主家改易後は、伊勢内宮にたびたび主家再興の願文を奉納している。
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芳賀 |
高武 |
48 | 55 | 45 |
O |
55 | 52 |
足軽 | 商業 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
おおたわら | すけきよ |
朝廷 | 好戦陰湿 | 下野 | 武将 | (1486-1560)那須七党の一。大田原城主。黒羽城主・大関増次を討って子・高増に大関家を継がせたり、娘を主君・政資の側室とするなど、那須家中で最大の勢力を築いた。
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大田原 |
資清 |
73 | 57 | 74 |
K |
30 | 79 |
長槍 | 改修 |
威圧 | 誘導 |
挑発 |
おおぜき | たかます |
朝廷・名声 | 好戦陰湿 | 下野 | 武将 | (1527-1598)那須七党の一。大田原資清の子。大関・大田原・福原家を率い、伊王野・蘆野家と結び、大伯父として主君・資晴を後見するなど家中最大の勢力を築き上げた。
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大関 |
高増 |
72 | 61 | 81 |
K |
40 | 81 |
長槍 | 農業 |
混乱 | 虚報 |
破壊 |
ふくはら | すけたか |
朝廷 | 保守鷹派 | 下野 | 武将 | (1535-1614)那須七党の一。大田原資清の子。父が強制的に隠居させた福原資安の跡を継ぎ、兄・大関高増を補佐した。豊臣秀吉の小田原征伐に遅参し、所領を削られた。
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福原 |
資孝 |
45 | 37 | 62 |
R |
36 | 68 |
騎馬 | 商業 |
混乱 | 修復 |
- |
ふくはら | すけやす |
朝廷 | 保守鷹派 | 下野 | 武将 | (1571-1633)那須七党の一。資孝の次男。兄・資広の養子となり家督を継ぐ。関ヶ原合戦では東軍に属す。大坂の陣では本多正信に属して戦った。のちに大坂城番を務めた。
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福原 |
資保 |
44 | 38 | 52 |
R |
53 | 44 |
鉄砲 | 哀願 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
おおたわら | つなきよ |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 下野 | 武将 | (1540-1589)那須七党の一。資清の三男。兄の高増・資孝が別家を立てたため、大田原家を継ぐ。豊臣秀吉の小田原征伐に際しては、子・晴清を秀吉の出迎えに遣わした。
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大田原 |
綱清 |
49 | 41 | 67 |
K |
60 | 31 |
足軽 | 弁舌 |
収拾 | 誘導 |
分断 |
おおたわら | はるきよ |
朝廷 | 保守鳩派 | 下野 | 武将 | (1567-1631)那須七党の一。綱清の子。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、所領を安堵された。関ヶ原合戦では東軍に属し、上杉家の様子を探るなど活躍し、戦後加増された。
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大田原 |
晴清 |
60 | 37 | 61 |
K |
45 | 13 |
騎馬 | 農業 |
密偵 | 誘導 |
- |