武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
だて | | ちかたか |
通常版 |
羽前 |
1557 |
(1542-1594)奥州大館城主。伊達晴宗の長男。岩城重隆の養子となって家督を継ぎ、養父が築いた領国を継承する。しかし、佐竹家の侵攻を受け、従属を余儀なくされた。 |
伊達 | 孫次郎 | 親隆 |
武将 | 弓 |
[商業] [収拾] |
44 | 33 | 31 |
47 | 70 |
75 |
だて | | つねたか |
通常版 |
羽前 |
1582 |
(1567-1590)奥州大館城主。親隆の子。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣して戦功を立て、秀吉から所領を安堵されたが、北条家の降伏後間もなく、鎌倉で病没した。 |
伊達 | | 常隆 |
武将 | 鉄砲 |
[改修] [槍衾] |
40 | 28 | 31 |
43 | 80 |
76 |
だいほうじ | | はるとき |
通常版 |
羽前 |
1527 |
(1512-1541)出羽の豪族。澄氏の子。大宝寺家は始祖の武藤氏平が、鎌倉時代に庄内大泉荘の地頭となったことに始まる。大宝寺姓を名乗るのは6代当主・長盛の時である。 |
大宝寺 | | 晴時 |
武将 | 騎馬 |
[開墾] [登用] |
47 | 47 | 59 |
36 | 55 |
48 |
だいほうじ | | よします |
通常版 |
羽前 |
1537 |
(1522-1569)出羽の豪族。九郎(政氏の弟)の子。砂越家(大宝寺家庶流)とたびたび合戦を行ったが、1532年に居城・鶴ヶ岡城を焼かれ、尾浦城に本拠を移した。 |
大宝寺 | | 義増 |
武将 | 騎馬 |
[攻城] |
39 | 41 | 30 |
51 | 75 |
48 |
だいほうじ | | よしうじ |
通常版 |
羽前 |
1566 |
(1551-1583)出羽の豪族。尾浦城主。合戦に明け暮れて領政を軽んじたため、領民から「悪屋形」と憎悪された。最上義光に通じた家臣・前森蔵人に謀叛され、自害した。 |
大宝寺 | 四郎次郎 | 義氏 |
武将 | 騎馬 |
[突撃] |
13 | 32 | 4 |
89 | 50 |
48 |
だいほうじ | | よしおき |
通常版 |
羽前 |
1569 |
(1554-1587)出羽の豪族。尾浦城主。兄・義氏の死後家督を継ぐ。上杉家臣・本庄繁長の次男を養子に迎え、上杉家との関係強化をはかるが、最上義光に攻められ自害した。 |
大宝寺 | | 義興 |
武将 | 弓 |
[訓練] [連射] |
33 | 34 | 40 |
46 | 55 |
48 |
とうぜんじ | | よしなが |
通常版 |
羽前 |
1559 |
(1544-1588)大宝寺家臣。はじめ前森蔵人と名乗る。最上義光と結んで謀叛を起こし、主君・義氏を討った。義光の命で庄内の仕置を行うが、本庄繁長と戦って敗死した。 |
東禅寺 | | 義長 |
武将 | 弓 |
[引抜] [連射] |
40 | 27 | 33 |
45 | 65 |
78 |
とうぜんじ | | かつまさ |
通常版 |
羽前 |
1564 |
(1549-1588)大宝寺家臣。義長の弟。主君・義氏の死後、兄から尾浦城代に任じられる。のちに十五里ヶ原で本庄繁長に敗れ、戦後、繁長の暗殺をはかるが失敗、討たれた。 |
東禅寺 | | 勝正 |
武将 | 荷駄 |
[攻城] |
48 | 40 | 22 |
24 | 60 |
78 |
とさばやし | | ぜんとう |
通常版 |
羽前 |
1519 |
(1504-1571)大宝寺家臣。土佐林家は羽黒山別当職を務めたが、のちに大宝寺家に別当職を奪われたという。禅棟は上杉家との関係を深めたため主家と対立、滅ぼされた。 |
土佐林 | | 禅棟 |
武将 | 騎馬 |
[商業] |
40 | 26 | 48 |
62 | 70 |
47 |
にがほ | | たかはる |
通常版 |
羽前 |
1538 |
(1523-1591)由利十二党の一。仁賀保家は、大井友光の子・友挙が信濃国から出羽国仁賀保に移ったのが始まりという。戦国時代には由利十二党の中心的存在となっていた。 |
仁賀保 | | 挙晴 |
国人衆 | 弓 |
[登用] |
44 | 36 | 29 |
47 | 65 |
45 |
にがほ | | たかまさ |
通常版 |
羽前 |
1575 |
(1560-1625)由利十二党の筆頭。文禄の役では肥前名護屋城に駐屯。会津征伐で功を上げ、徳川家康から感状を授かった。関ヶ原でも東軍に属し、所領5千石を安堵された。 |
仁賀保 | | 挙誠 |
国人衆 | 槍 |
[外交] [雨撃] |
56 | 39 | 52 |
71 | 45 |
45 |
もがみ | | よしもり |
通常版 |
羽前 |
1522 |
(1521-1590)最上家10代当主。2歳で家督を相続する。次男・義時を偏愛して家督を譲ろうとするが、伊達家の騒動に乗じた長男・義光が決起、強制的に隠居させられた。 |
最上 | | 義守 |
武将 | 弓 |
[混乱] |
31 | 25 | 10 |
18 | 40 |
97 |
もがみ | | よしあき |
通常版 |
羽前 |
1561 |
(1546-1614)最上家11代当主。義守の嫡男。父を隠居させ、弟を殺して当主となる。密約外交や敵重臣の暗殺など、権謀術数の限りを尽くし、最上家最大の版図を築いた。 |
最上 | 二郎太 | 義光 |
武将 | 騎馬 |
[開墾] [引抜] [捕縛] [混乱] |
80 | 70 | 83 |
93 | 40 |
99 |
もがみ | | いえちか |
通常版 |
羽前 |
1597 |
(1582-1617)最上家12代当主。義光の次男。父の死後、跡を継ぐ。対立していた弟・義親を討ち領内統一を進めるが間もなく変死。叔父・楯岡光直が毒を盛ったという。 |
最上 | 太郎四郎 | 家親 |
武将 | 鉄砲 |
[商業] [雨撃] |
39 | 39 | 20 |
73 | 60 |
96 |
しみず | | よしうじ |
通常版 |
羽前 |
1562 |
(1547-1586)最上家臣。清水城主。主君・義光の三男である義親を養子に迎えた。大宝寺軍の攻撃をたびたび受けたが、義光の援護でこれを撃退。娘は義光の側室となった。 |
清水 | | 義氏 |
武将 | 騎馬 |
[守戦] |
34 | 40 | 30 |
25 | 75 |
99 |
もがみ | | よしちか |
通常版 |
羽前 |
1597 |
(1582-1614)最上義光の三男。兄・家親と同年生まれという。清水城主・清水義氏の養子となった。のちに兄と対立し、家親の家臣・日野将監らの攻撃を受け、自害した。 |
最上 | | 義親 |
武将 | 騎馬 |
[改修] [槍衾] |
36 | 31 | 41 |
41 | 50 |
99 |
もがみ | | よしただ |
通常版 |
羽前 |
1603 |
(1588-1664)最上義光の四男。兄・家親の死後、甥・義俊に代わる当主候補に推されるが、御家騒動を引き起こし、最上家は改易された。のちに水戸徳川家で家老を務めた。 |
最上 | | 義忠 |
武将 | 槍 |
[訓練] |
42 | 37 | 40 |
75 | 70 |
99 |
うじいえ | | さだなお |
通常版 |
羽前 |
1519 |
(1504-1570)最上家臣。天文の大乱の際には主君・義守の名代として出陣した。主家の御家騒動の際は、重病の身ながら義守を説得し義光への家督譲り渡しを実現させた。 |
氏家 | | 定直 |
武将 | 弓 |
[外交] [連射] [説得] |
58 | 48 | 68 |
60 | 80 |
98 |
うじいえ | | もりむね |
通常版 |
羽前 |
1549 |
(1534-1591)最上家臣。定直の子。知略に長け、天童家や白鳥家討伐に大きく貢献した。ほかに使者として伊達家に赴いたり、真室城を攻略するなど、各方面で活躍した。 |
氏家 | | 守棟 |
武将 | 騎馬 |
[商業] [守戦] [混乱] |
52 | 43 | 70 |
57 | 85 |
97 |
なりさわ | | みつうじ |
通常版 |
羽前 |
1580 |
(1565-1623)最上家臣。成沢家の出身で、守棟の跡を継いだ。関ヶ原合戦では、侵攻してきた上杉景勝軍を相手に奮戦する。家親が当主になると、領国の治政を担当した。 |
成沢 | | 光氏 |
武将 | 騎馬 |
[訓練] [攻城] [突撃] |
15 | 59 | 37 |
54 | 75 |
97 |