『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
なんぶ やすのぶ 通常版 陸奥 1507 (1493-1541)南部家23代当主。政康の嫡男。弟(次男)・石川高信を津軽石川城主、弟(四男)・石亀信房を不来方城主とするなど一門を中心とする家臣団を作り上げた。
南部 安信 武将騎馬
[登用] [収拾]  746867 7355 66
なんぶ はるまさ 通常版 陸奥 1532 (1517-1582)南部家24代当主。安信の子。将軍・足利義晴の偏諱を賜り、晴政と名乗る。三戸城を本拠に「三日月の丸くなるまで南部領」といわれる広大な版図を築いた。
南部彦三郎晴政 武将騎馬
[訓練] [捕縛] [突撃]  408147 9455 66
いしかわ たかのぶ 通常版 陸奥 1510 (1495-1571)南部家22代当主・政康の次男。津軽郡代として甥の晴政を補佐、南部家の勢力拡大に大きく貢献した。のちに家臣・大浦(津軽)為信に奇襲され、自害した。
石川 高信 武将騎馬
[開墾] [登用] [捕縛] [突撃]  547851 7790 67
いしかわ のぶなお 通常版 陸奥 1561 (1546-1599)南部家26代当主。高信の子。晴継(晴政の子)死後の御家騒動に勝ち、家督を継ぐ。九戸政実の反乱などに苦しむが、豊臣秀吉に接近して領内を統一した。
石川九郎信直 武将騎馬
[商業] [外交] [守戦]  645061 7580 67
いしかわ としなお 通常版 陸奥 1591 (1576-1632)南部家27代当主。信直の子。父の死後に家督を継ぐ。関ヶ原合戦では東軍に属し、最上家を救援した。領内の一揆を平定するなど、南部藩の基礎を築いた。
石川彦九郎利直 武将鉄砲
[改修] [登用] [混乱]  644470 4870 67
いがめ のぶふさ 通常版 陸奥 1514 (1499-1583)南部家22代当主・政康の四男。兄・安信から知行若干を与えられたという。石亀村に住み、石亀姓を名乗った。不来方城主を務め、南方の斯波家に備えた。
石亀 信房 武将
[回復] [守戦]  435440 2970 66
いがめ ふるやす 通常版 陸奥 1551 (1536-1585)南部家臣。政昭(石亀信房の子)の子。叔父・泉山康朝の養子として三戸郷泉山村を領し、泉山姓を名乗る。娘・慈照院はのちに主君・南部信直の室となった。
石亀 古康 武将荷駄
[説得]  562543 6365 67
いがめ まさよし 通常版 陸奥 1575 (1560-1629)南部家臣。古康の嫡男。姉は主君・信直の後室・慈照院。のちに石亀家が絶えたので、石亀姓を名乗った。信直の義弟として南部藩重臣20名のうちに列した。
石亀権三郎政義 武将鉄砲
[商業] [引抜]  323937 3775 67
きた しんあい 通常版 陸奥 1538 (1523-1613)南部家臣。剣吉城主。晴政死後の御家騒動では信直を支持、信直の筆頭家老として活躍した。合戦に臨む際は、必ず小さな観音像を髻の中に収めていたという。
彦太郎信愛 武将騎馬
[登用] [奉仕] [守戦] [説得]  756658 6695 67
はちのへ まさよし 通常版 陸奥 1559 (1544-1610)南部家臣。八戸根城主。北信愛とともに主家を支えた重臣。信直が豊臣秀吉の小田原征伐に参陣した際には、留守居役を務めている。眼疾で盲目だったという。
八戸彦次郎政栄 武将騎馬
[開墾] [外交] [収拾]  655256 4780 67
くのへ のぶなか 通常版 陸奥 1529 (1514-1568)信実の長男。右京。南部家に仕え、九戸城主を務める。九戸家は南部家庶族で、南部行連(南部光行の六男)を祖とするという。八戸信長の娘を妻とした。
九戸五郎信仲 武将
[回復] [収拾]  375257 7140 60
くのへ まさざね 通常版 陸奥 1551 (1536-1591)南部家臣。信仲の子。南部晴政の死後、弟・実親を後継者に推すが敗れ、反乱を起こす。南部信直の要請で出陣した豊臣軍相手に善戦するが敗れ、斬首された。
九戸 政実 武将騎馬
[訓練] [守戦] [突撃]  336841 9140 60
くのへ さねちか 通常版 陸奥 1557 (1542-1591)南部家臣。信仲の子。南部晴政の次女と結婚し、後継者候補となる。主家に反旗を翻した兄・政実とともに九戸城に籠城し、豊臣軍と戦うが敗れ、斬首された。
九戸彦九郎実親 武将騎馬
[開墾] [突撃]  283625 8140 60
くのへ やすざね 通常版 陸奥 1568 (1553-1594)南部家臣。九戸信仲の四男。はじめ高水寺城主・斯波詮直の娘婿となるが、義父と対立して出奔、斯波家討伐軍の先鋒を務めた。のちに従兄弟に斬られて死亡。
九戸 康真 武将
[混乱]  301859 5630 60
もりおか のぶもと 通常版 陸奥 1561 (1546-1600)津軽家臣。主君・為信の創業期を支えた大浦三老の1人。石川高信との戦いに参加して和徳城を攻略、城主となる。のちに為信から叛意を疑われ謀殺された。
森岡十郎左衛門信元 武将騎馬
[訓練] [突撃]  164817 6850 16
なみおか ともなが 通常版 陸奥 1502 (1487-1541)浪岡北畠家当主。顕具の子。浪岡城を本拠とし、浪岡御所と称された。具永の代に、戦国時代の津軽情勢をまとめた「津軽郡中名字」が編纂されている。
浪岡 具永 武将
[外交] [連射]  773265 6570 16
なみおか ともむね 通常版 陸奥 1524 (1509-1558)浪岡北畠家当主。具永の子。浪岡北畠家は南北朝後期に北畠顕邦(顕家の曾孫)が入部したのが始まりと言われる。顕邦の子・顕義の時に浪岡城が築かれた。
浪岡 具統 武将騎馬
[登用] [茶湯]  582439 2545 16
なみおか ともかず 通常版 陸奥 1547 (1532-1562)浪岡北畠家当主。具統の子。寺社の修築に力を注ぐが、そのために財政を逼迫させて一族の内紛を引き起こし、川原御所を継いでいた叔父・具信に殺害された。
浪岡 具運 武将
[商業]  351549 5960 16
なみおか あきのり 通常版 陸奥 1549 (1534-1578)浪岡北畠家一族。具統の子。兄・具運が謀叛を起こした叔父・浪岡具信に殺された際、具信を討ったという。この事件以来、浪岡北畠家の勢力は急速に衰えた。
浪岡 顕範 武将
[回復] [捕縛]  402339 3375 16
しば あきざね 通常版 陸中 1539 (1524-1573)奥州斯波家当主。経詮の子。隣国の南部家とたびたび争ったが劣勢に追い込まれて和睦。のちに九戸信仲の四男・高田康真を娘婿として迎えた。
斯波孫三郎詮真 武将
[登用] [説得]  552145 6165 96

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