武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
はせがわ | | そうじん |
諸勢力 |
山城 |
1584 |
(1569-1656)京都の商人。宗仁は実際は京都の町衆出身の武将・絵師。織田信長に仕え、但馬代官などを務めた。本能寺の変後は豊臣秀吉・徳川家康に仕え1万石を領した。 |
長谷川 | | 宗仁 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
44 | 39 | 34 |
45 | 30 |
11 |
まんじゅうや | | そうじ |
諸勢力 |
山城 |
1563 |
(1548-1631)京都の商人。宗二は実際は奈良の商人・経学者・和学者。学を好み、経書・和歌や連歌など多くの学問を学んだ。「源氏物語林逸抄」など多くの著書がある。 |
饅頭屋 | | 宗二 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
46 | 54 | 40 |
52 | 80 |
51 |
のむら | | やはちろう |
諸勢力 |
山城 |
1562 |
(1547-1616)京都の商人。弥八郎は実際は近江長浜の船問屋で、豊臣秀吉から近江日野村郷の地を与えられた。京都は律令時代以後、幕末まで日本の首都として発展した。 |
野村 | | 弥八郎 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
45 | 53 | 47 |
41 | 70 |
41 |
ぜにや | | そうとつ |
諸勢力 |
摂津河内 |
1577 |
(1562-1640)堺の商人。銭屋家は宗訥・宗徳と代を伝えた。宗訥は千利休に茶の湯を学び、しばしば茶会を催したという。宗徳は一釜斎と号し、千宗旦に茶の湯を学んだ。 |
銭屋 | | 宗訥 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
41 | 37 | 41 |
50 | 30 |
15 |
すえよし | | ながます |
諸勢力 |
摂津河内 |
1591 |
(1576-1657)堺の商人。末吉家は長増・利方・吉安と代を伝えた。利方は国内通用銀の統一を提唱し、銀座頭役となる。吉安は江戸幕府より朱印状を得て海外貿易を行った。 |
末吉 | 藤右衛門 | 長増 |
都市 | 弓 |
[商業] [茶湯] |
46 | 43 | 46 |
47 | 95 |
21 |
たかさぶ | | りゅうき |
諸勢力 |
摂津河内 |
1592 |
(1577-1661)堺の商人。高三家は隆喜・隆達と代を伝え、薬種商を営んだ。隆達は小歌に巧みで「閑吟集」などの流行歌に独特の節回しをつけて歌い、隆達節を創始した。 |
高三 | 三郎左衛門 | 隆喜 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
49 | 44 | 44 |
42 | 60 |
61 |
たけの | | じょうおう |
諸勢力 |
摂津河内 |
1555 |
(1550-1614)堺の商人。武野家は紹鴎・宗瓦と代を伝えた町衆。紹鴎は茶の湯に傾倒し「わび茶」の大成に多大な影響を及ぼした。宗瓦は茶人としては不遇に暮らした。 |
武野 | 新五郎 | 紹鴎 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
49 | 45 | 45 |
60 | 75 |
1 |
おがわ | | とうえもん |
諸勢力 |
因幡但馬 |
1606 |
(1591-1658)米子の商人。米子は米子港を擁する港町として発展した。米子港は尼子家や毛利家などが支配した。山陰地方では他に美保関、安来などが港町として発展した。 |
小川 | | 東右衛門 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
40 | 50 | 45 |
54 | 50 |
11 |
うえだ | | まんざぶろう |
諸勢力 |
備前備中 |
1574 |
(1559-1619)福岡の商人。福岡は吉井川沿いにあった中世以来の市場町。近くには備前守護所があり、刀鍛冶が多く住んだ。黒田官兵衛の祖父・重隆が一時期住んでいた。 |
植田 | | 万三郎 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
39 | 48 | 47 |
55 | 50 |
13 |
やまかわ | | でんえもん |
諸勢力 |
備前備中 |
1577 |
(1562-1635)福岡の商人。福岡は吉井川沿いにあった中世以来の市場町。近くには備前守護所があり、刀鍛冶が多く住んだ。黒田官兵衛の祖父・重隆が一時期住んでいた。 |
山川 | | 伝右衛門 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
45 | 39 | 45 |
51 | 65 |
18 |
あくざわ | | ひこじろう |
諸勢力 |
土佐 |
1591 |
(1576-1652)須崎の商人。須崎は須崎港を擁する港町として発展した。はじめは「洲崎」といった。須崎港は天然の良港として漁港および避難港として利用されていた。 |
阿久沢 | | 彦二郎 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
41 | 48 | 46 |
45 | 80 |
21 |
かつた | | はちえもん |
諸勢力 |
土佐 |
1583 |
(1568-1645)須崎の商人。須崎は須崎港を擁する港町として発展した。はじめは「洲崎」といった。須崎港は天然の良港として漁港および避難港として利用されていた。 |
勝田 | | 八右衛門 |
都市 | 弓 |
[商業] [茶湯] |
49 | 48 | 42 |
59 | 65 |
11 |
たなか | | じんごろう |
諸勢力 |
土佐 |
1553 |
(1538-1618)須崎の商人。須崎は須崎港を擁する港町として発展した。はじめは「洲崎」といった。須崎港は天然の良港として漁港および避難港として利用されていた。 |
田中 | | 甚五郎 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
54 | 55 | 52 |
48 | 55 |
91 |
せんしょうじ | | しゅうい |
諸勢力 |
羽前 |
1557 |
(1542-1616)羽前の僧侶。専称寺は本願寺8世法主・蓮如の高弟・願生坊が高擶(山形県天童市)に開いた寺で、村山地方に多数建立された真宗寺院の中心的存在となった。 |
専称寺 | | 秀意 |
一向宗 | 弓 |
[外交] |
57 | 59 | 60 |
60 | 35 |
61 |
みょうほんじ | | にっしん |
諸勢力 |
下総 |
1572 |
(1557-1638)下総の僧侶。妙本寺は日蓮宗の寺院で、中山法華経寺などとともに下総・上総・安房周辺に大きな影響力を持つ。14世の日我は「いろは字書」を著した。 |
妙本寺 | | 日親 |
旧仏教 | 騎馬 |
[外交] |
48 | 54 | 41 |
60 | 65 |
1 |
がんせんじ | | しょうえ |
諸勢力 |
摂津河内 |
1593 |
(1578-1659)摂津河内の僧侶。願泉寺は一向宗の寺院で、貝塚御坊とも呼ばれた。本願寺11世・顕如は石山退去後、鷺森御坊に4年住んだ後、願泉寺に移り、3年住んだ。 |
願泉寺 | | 勝慧 |
一向宗 | 荷駄 |
[外交] |
63 | 63 | 50 |
60 | 55 |
1 |
こうふくじ | | じんそん |
諸勢力 |
大和 |
1595 |
(1580-1658)大和の僧侶。興福寺は藤原鎌足の夫人が山科に創建した山階寺が前身で、藤原不比等が奈良に移した。多数の僧兵を抱え大和一国を治める実力を持つに至った。 |
興福寺 | | 尋尊 |
旧仏教 | 槍 |
[外交] |
50 | 49 | 62 |
52 | 75 |
61 |
こうの | | まさみち |
諸勢力 |
他 |
1554 |
(1539-1632)箱館水軍の武将。政通は実際は蝦夷の豪族で1454年に渡道し、館を築いて居館とした。「箱館」の地名の由来は、築かれた館が箱形だったことに由来する。 |
河野 | | 政通 |
水軍衆 | 荷駄 |
[貿易] |
56 | 45 | 58 |
52 | 80 |
51 |
りゅうざき | | やしちろう |
諸勢力 |
他 |
1606 |
(1591-1656)百首水軍の武将。弥七郎は実際は里見家臣。足軽小頭を務めた。1606年に、北郡大津村および丸郡小向村のうちで、100石の知行地を与えられた。 |
竜崎 | | 弥七郎 |
水軍衆 | 弓 |
[貿易] |
39 | 37 | 40 |
48 | 55 |
17 |
くつな | | みちあき |
諸勢力 |
他 |
1602 |
(1587-1654)塩飽水軍の武将。通著は実際は河野家に仕えた海賊の棟梁で、伊予吉田城主を務めた。式部少輔を称し忽那島を領した。1579年に伊予花瀬合戦で戦死した。 |
忽那 | | 通著 |
水軍衆 | 槍 |
[貿易] |
46 | 39 | 40 |
46 | 75 |
17 |