『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
あまご はるひさ 通常版 出雲石見 1518 (1514-1560)出雲の戦国大名。月山富田城主。中国8か国の守護を務めた。毛利元就の謀略により一門の新宮党を滅ぼし、勢力の弱体化を招く。毛利軍と交戦中に急死した。
尼子三郎四郎晴久 武将騎馬
[改修]  525417 5555 11
あまご よしひさ 通常版 出雲石見 1555 (1540-1610)出雲の戦国大名。月山富田城主。晴久の嫡男。居城に籠城して毛利元就の出雲遠征軍と戦うが、筆頭家老・宇山久兼を殺すなど、元就の離間策の前に敗れた。
尼子三郎四郎義久 武将
[守戦]  282019 3045 11
あまご かつひさ 通常版 出雲石見 1554 (1553-1578)誠久の子。山中鹿之介らに擁立され、尼子家の再興を目指す。織田信長を頼り、出雲入国を試みるが失敗し、のち播磨上月城の戦いで毛利軍に敗れ、自害した。
尼子孫四郎勝久 武将荷駄
[登用]  264422 8285 1
やまなか しかのすけ 通常版 出雲石見 1560 (1545-1578)尼子家臣。三日月に対し「我に七難八苦を…」と願ったという。尼子勝久を擁して主家再興を企むが、播磨上月城で毛利軍に敗れ、安芸への護送中に殺された。
山中幸盛鹿之介 武将
[訓練] [回復] [逃亡]  147352 90100 1
ごとう またべえ 通常版 播磨 1575 (1560-1615)黒田家臣。侍大将を務めるが、謀叛の嫌疑により浪人。のち豊臣秀頼に招かれ、大坂城に入る。人望を集め、徳川軍相手に奮戦するが、大坂夏の陣で戦死した。
後藤基次又兵衛 武将
[回復] [雨撃] [槍衾]  177758 5195 12
あかし かげちか 通常版 備前備中 1528 (1513-1584)浦上家臣。備前坂根城主。明禅寺合戦などに従軍。宇喜多直家が主家の居城・天神山城を攻めた際、直家に通じて主家滅亡の原因を作る。以後は直家に仕えた。
明石源三郎景親 武将
[引抜]  653862 6040 19
あかし てるずみ 通常版 備前備中 1581 (1566-1615)宇喜多家臣。景親の子。主家内乱の後は国政を執る。関ヶ原合戦では宇喜多軍の先鋒を務めた。のち大坂城に入り、大坂の陣では切支丹武士を率いて奮戦した。
明石 全登 武将切支丹
[商業] [訓練] [三段]  377046 7295 19
うきた よしいえ 通常版 備前備中 1490 (1475-1534)浦上家臣。則宗・則助・村宗三代に仕え主家の危難を何度も救い、知勇兼備の勇将と讃えられた。のちに家中の勢力独占を図った島村盛実に襲われ、自害した。
宇喜多 能家 武将騎馬
[登用] [奉仕] [激励] [突撃]  857891 7875 10
うきた おきいえ 通常版 備前備中 1512 (1497-1536)浦上家臣。能家の子。父が島村盛実に襲われ自害した後、備前福岡の豪商・阿部善定のもとに逃げ込むが、間もなく病死した。「愚なる上に臆病」と評された。
宇喜多 興家 武将
[逃亡]  641619 2365 10
うきた なおいえ 通常版 備前備中 1536 (1529-1581)浦上家臣。乙子城主。権謀術数の限りを尽くして敵を葬り去り、家中最大の勢力を築き上げる。最後は主君・宗景を追放して備前一国を掌握した、稀代の謀将。
宇喜多八郎直家 武将
[開墾] [収拾] [攻城] [混乱]  847089 9830 10
うきた ひでいえ 通常版 備前備中 1581 (1572-1655)豊臣家臣。直家の嫡男。主君・秀吉に寵愛され、五大老の1人となるが、内乱により重臣の大半を失う。関ヶ原合戦では西軍に属し、戦後八丈島へ配流された。
宇喜多八郎秀家 武将
[登用] [激励] [槍衾]  446231 5995 10
うきた あきいえ 通常版 備前備中 1578 (1563-1616)宇喜多家臣。忠家の子。主家の内乱により出奔、徳川家康に属す。関ヶ原合戦の軍功により石見浜田2万石を領した。大坂の陣では家康の孫・千姫を救出した。
宇喜多 詮家 旧仏教鉄砲
[収拾] [捕縛]  183211 5445 15
おか としかつ 通常版 備前備中 1547 (1532-1592)宇喜多家臣。宇喜多三老の1人。刀槍の術に長じ、40余回の合戦に出陣した勇将。備前岡山城の修築や城下町の建設にも携わる。朝鮮派兵の陣中で病死した。
平内利勝 武将
[商業] [改修] [守戦] [雨撃]  576059 4085 10
おか いえとし 通常版 備前備中 1571 (1556-1615)宇喜多家臣。利勝の子。主家の内乱により出奔、徳川家康に仕える。しかし、大坂の陣において子・平内が大坂方に属したため、家康の勘気を蒙り、自害した。
九郎右衛門家利 旧仏教荷駄
[攻城]  374934 3650 10
もうり てるもと 通常版 安芸備後 1563 (1553-1625)安芸の戦国大名。隆元の嫡男。祖父・元就の死後、家督を継ぐ。豊臣家に属し五大老の1人となる。関ヶ原合戦では西軍に属し、戦後、防長2国に減封された。
毛利少輔太郎輝元 武将
[改修] [守戦]  495020 4780 31
きっかわ もとはる 通常版 安芸備後 1545 (1530-1586)毛利元就の次男。安芸の豪族・吉川家を継ぎ、山陰地方の攻略にあたる。不敗を誇った家中随一の猛将である一方、陣中で「太平記」40巻を写本したという。
吉川少輔次郎元春 武将騎馬
[開墾] [訓練] [捕縛] [突撃]  568372 8085 41
きっかわ もとなが 通常版 安芸備後 1563 (1548-1587)元春の長男。父に劣らぬ武勇を誇り、豊臣秀吉の九州征伐に従軍した際も、常に勝利を収めたという。父の隠居後、家督を継ぐが、父の死後間もなく病死した。
吉川少輔次郎元長 武将騎馬
[回復] [捕縛] [突撃]  436449 4670 41
きっかわ ひろいえ 通常版 安芸備後 1576 (1561-1625)元春の三男。関ヶ原合戦で西軍の敗北を予想し、外交工作によって毛利宗家の存続を図る。しかし宗家は防長2国に減封され、家中から裏切り者と非難された。
吉川又次郎広家 武将
[商業] [外交] [説得]  715368 5970 41
こばやかわ たかかげ 通常版 安芸備後 1548 (1533-1597)毛利元就の三男。安芸の豪族・小早川家を継ぎ、山陽地方の攻略にあたる。本能寺の変後は毛利宗家の存続を図って豊臣秀吉に接近し、五大老の1人となった。
小早川又四郎隆景 武将
[商業] [外交] [奉仕] [説得]  837582 7095 31
もうり ひでもと 通常版 安芸備後 1594 (1579-1650)穂井田元清の子。従兄弟・輝元の養子となる。豊臣秀吉の朝鮮派兵の際は毛利軍を指揮した。関ヶ原合戦の際は主戦場に赴き「宰相殿の空弁当」の逸話を生む。
毛利 秀元 武将鉄砲
[回復] [茶湯]  445422 4280 31

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