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『信長の野望 革新』武将総覧

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武将姓武将名 統率武勇知略政治 義理相性寿命 出自信仰列伝
   足軽騎馬鉄砲計略 兵器水軍築城内政 
誕生年没年 熟練熟練熟練熟練熟練 固有戦法登場年 
かきざきすえひろ 66497079 52 3588 武士仏教 蠣崎家4代当主。義広の子。先祖より対立の続いていたアイヌと和睦し、蝦夷商船往来の制を定める。この政策により、蝦夷地の領主としての地位を確立した。
蠣崎 季広 CCD DBD BDA
1507年1595年 100 100 0 0 100 - 1522年通常
まつまえよしひろ 70507284 31 3567 武士仏教 蠣崎家5代当主。季広の子。豊臣秀吉に接近して蝦夷地における交易権を獲得、独立領主となった。1599年に徳川家康に家系図を献上し、松前姓に改めた。
松前 慶広 CDB CCD BCA
1549年1616年 100 0 100 0 100 - 1564年通常
まつまえもりひろ 52342870 72 3437 武士仏教 蠣崎松前家6代当主。慶広の子。徳川家康が内大臣となった際、父とともに家康に拝謁した。1600年に松前藩2代藩主となるが、父に先立ち病死した。
松前 盛広 DDD CDD CDB
1571年1608年 0 0 0 0 0 - 1586年通常
かきざきもりひろ 41355062 55 3271 武士仏教 松前藩家老。季広の十一男。一家を興して家臣となる。4代藩主・氏広を自宅で饗応した際、偶然火災が起こったため、その罪を負って火中に入り死去した。
蠣崎 守広 DDD DDC CDC
1564年1635年 0 0 0 0 0 - 1579年通常
こんどうよしたけ 61416360 68 3369 武士仏教 松前藩士。袮保田館主・近藤季常の末裔という。公卿・花山院忠長が蝦夷に配流された際は、接待役を務めた。大坂夏の陣では主君・慶広に従って出陣した。
近藤 義武 DDD CDC DDC
1569年1638年 0 0 0 100 0 - 1584年通常
なんじょうひろつぐ 57526738 20 3334 武士仏教 蠣崎家臣。勝山館主。蠣崎季広の長女を娶った。のちに妻が弟の舜広、元広(季広の長男、次男)を毒殺した罪に連座して自害。「逆さ水松」の伝説を残した。
南条 広継 DDC DDD DCD
1528年1562年 0 0 100 0 0 - 1543年通常
なんぶはるまさ 88754139 29 6665 武士仏教 南部家24代当主。安信の子。将軍・足利義晴の偏諱を賜り、晴政と名乗る。三戸城を本拠に「三日月の丸くなるまで南部領」といわれる広大な版図を築いた。
南部 晴政 CSD DDC DDD
1517年1582年 100 400 0 0 0 - 1532年通常
いしかわたかのぶ 80675353 80 6775 武士仏教 南部家臣。南部政康の次男。津軽郡代として甥・晴政を補佐し、南部家の勢力拡大に大きく貢献した。のちに家臣・大浦(津軽)為信の謀叛により、自害した。
石川 高信 CAD DDD CDD
1496年1571年 100 400 0 0 0 - 1511年通常
なんぶのぶなお 66427881 75 6753 武士仏教 南部家26代当主。石川高信の子。晴継(晴政の子)死後の御家騒動に勝ち、家督を継ぐ。九戸政実の乱などに苦しむが豊臣秀吉に接近して領内を統一した。
南部 信直 DCD DAD DBB
1546年1599年 0 100 0 0 200 - 1561年通常
なんぶとしなお 69548276 40 6756 武士仏教 南部家27代当主。信直の子。父の死後に家督を継ぐ。関ヶ原合戦では東軍に属し、最上家を救援した。領内の一揆を平定するなど、南部藩の基礎を築いた。
南部 利直 DCD CBB CBC
1576年1632年 0 100 0 100 100 - 1591年通常
いずみやまふるやす 41294970 67 6754 武士仏教 南部家臣。政昭(石亀信房の子)の子。叔父・泉山康朝の養子として三戸郷泉山村を領し、泉山姓を名乗る。娘・慈照院はのちに主君・信直の後室となった。
泉山 古康 DDD DDD DDC
1536年1590年 0 0 0 0 0 - 1551年通常
いずみやままさよし 31214865 57 6769 武士仏教 南部家臣。古康の嫡男。姉は主君・信直の後室・慈照院。のちに石亀家が絶えたため、石亀姓を名乗った。信直の義弟として南部藩重臣20名のうちに列した。
泉山 政義 DDD CDD DDC
1560年1629年 0 0 0 100 0 - 1575年通常
きたのぶちか 76556982 88 6790 武士仏教 南部家臣。剣吉城主。晴政死後の御家騒動では信直を支持、信直の筆頭家老として活躍した。合戦に臨む際は、必ず小さな観音像を髻の中に収めていたという。
信愛 BCB DBB CDB
1523年1613年 400 100 0 0 0 - 1538年通常
はちのへまさよし 47496375 84 6766 武士仏教 南部家臣。八戸根城主。北信愛とともに主家を支えた重臣。信直が豊臣秀吉の小田原征伐に参陣した際には、留守居役を務めている。眼疾で盲目だったという。
八戸 政栄 CDD DDD DDC
1544年1610年 100 0 0 0 0 - 1559年通常
くのへのぶなか 59546643 22 6054 武士仏教 南部家臣。信実の長男。九戸城主。右京と称す。九戸家は南部家の庶流で、南部行連(南部家の始祖・光行の六男)を祖とするという。八戸信長の娘を娶った。
九戸 信仲 DDC DCC DDD
1514年1568年 0 0 100 0 100 - 1529年通常
くのへまさざね 72784236 5 6055 武士仏教 南部家臣。信仲の子。南部晴政の死後、弟・実親を後継者に推すが敗れ、叛乱を起こす。南部信直の要請で出陣した豊臣軍相手に善戦するが敗れ、斬首された。
九戸 政実 CAD DDD CCD
1536年1591年 100 400 0 0 0 - 1551年通常
くのへさねちか 75733033 20 6049 武士仏教 南部家臣。信仲の子。南部晴政の次女と結婚し、後継者候補となる。主家に反旗を翻した兄・政実とともに九戸城に籠城し、豊臣軍と戦うが敗れ、斬首された。
九戸 実親 DBD DDD CDD
1542年1591年 0 100 0 0 0 - 1557年通常
たかだやすざね 54397034 16 6041 武士仏教 南部家臣。九戸信仲の子。はじめ高水寺城主・斯波詮真の娘婿となるが、のちに斯波家を出奔、斯波家討伐軍の先鋒を務めた。従兄弟・連尹に斬られ死去した。
高田 康真 DDD CCD DDD
1553年1594年 0 0 0 100 0 - 1568年通常
おおうらためのり 39285967 60 5047 武士仏教 南部家臣。政信の嫡男。大浦城主。父の死後、家督を継ぐ。生来病弱であったという。のちに娘・戌の婿に大浦(津軽)為信を迎えて後継者とした。
大浦 為則 DDD DDD DDC
1520年1567年 0 0 0 0 0 - 1535年通常
つがるためのぶ 82729594 3 1357 武士仏教 弘前藩初代藩主。大浦為則の娘を娶る。主家・南部家から独立し、17年かけて津軽を統一した。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、正式に津軽の領主となった。
津軽 為信 ACD BSS CBA
1550年1607年 400 100 0 0 400 - 1565年通常
つがるのぶひら 68617383 44 1345 武士仏教 弘前藩2代藩主。為信の三男。幼い頃に父の勧めで受洗した。2人の兄が幼くして世を去ったため父の死後家督を継ぐ。弘前城を築くなど、藩の基礎を固めた。
津軽 信枚 CDD BDB DBC
1586年1631年 100 0 0 100 0 - 1601年通常
ぬまたすけみつ 69478378 81 1273 武士仏教 津軽家臣。上野国沼田の出身。武者修業のため全国を行脚していた際に、為信の器量を見込んで仕官、その軍師となる。為信の津軽統一に多大な功績を残した。
沼田 祐光 BCB CAA DBB
1539年1612年 100 0 100 100 300 - 1554年通常
おがさわらのぶきよ 55606441 72 765 武士仏教 津軽家臣。主君・為信の創業期を支えた大浦三老の1人。信濃国の出身で津軽に移住し、大浦家に仕える。大光寺城、石川城攻めに従軍するなど、活躍した。
小笠原 信浄 DDD CCB DCD
1532年1597年 0 0 100 0 200 - 1547年通常
かねひらつなのり 63576959 55 1281 武士仏教 津軽家臣。主君・為信の創業期を支えた大浦三老の1人。兼平家は大浦一族で、種里盛純(大浦盛信の弟)が兼平村を領した際に、地名を姓としたという。
兼平 綱則 CDD DCB DCC
1544年1625年 100 0 0 0 200 - 1559年通常
もりおかのぶもと 64682117 36 1650 武士仏教 津軽家臣。主君・為信の創業期を支えた大浦三老の1人。石川高信との戦いに参加して和徳城を攻略、城主となる。のちに為信から叛意を疑われ謀殺された。
森岡 信元 DBD DDC DDC
1556年1606年 0 100 0 0 0 - 1571年通常
なみおかあきむら 28263563 75 1147 高家仏教 浪岡北畠家当主。具運の子。安東愛季の娘を娶る。津軽為信に居城・浪岡城を落とされたため安東家を頼り、北畠弾正と改名した。落城時に自害したともいう。
浪岡 顕村 DDD DDD DDC
1555年1602年 0 0 0 0 0 - 1570年通常
しばつねあき 47286765 33 9464 高家仏教 奥州斯波家当主。詮高の嫡男。奥州斯波家は、足利尊氏の家臣・斯波家長が奥州管領として斯波郡に派遣され、高水寺城を築いて本拠としたことに始まる。
斯波 経詮 DCC DCC DCC
1495年1559年 0 100 0 0 100 - 1510年通常
しばあきざね 35275155 63 9654 高家仏教 奥州斯波家当主。経詮の子。隣国の南部家とたびたび争ったが、劣勢に追い込まれたため和睦。のちに九戸信仲の四男・高田康真を娘婿として迎えた。
斯波 詮真 DCC DDC DDD
1524年1578年 0 0 100 0 0 - 1539年通常
しばあきなお 914531 14 9569 高家仏教 奥州斯波家当主。詮真の子。南部信直の軍に敗れて逃走、各地に潜伏した。のちに南部家に仕えたが、大坂冬の陣の際、浪人となって京都に住んだという。
斯波 詮直 DDD DDD DDD
1550年1619年 0 0 0 0 0 - 1565年通常
いさりあきよし 46414561 49 9664 高家仏教 奥州斯波家臣。詮高の三男。父が雫石地方を攻略した際に、猪去館主となり、猪去御所を称した。猪去館は、斯波家滅亡の際に南部信直によって攻略された。
猪去 詮義 DDD DDD DCD
1500年1564年 0 0 0 0 0 - 1515年通常
いわしみずよしなが 58415835 84 9544 武士仏教 斯波家臣。肥後と称す。政務を省みず遊興に耽る主君・詮直をたびたび諫めるが聞き入れられなかったという。南部家が斯波家を滅ぼした際に、主家に殉じた。
岩清水 義長 DDC DDC DDD
1544年1588年 0 0 100 0 0 - 1559年通常
いわしみずよしのり 45566650 11 9959 武士仏教 斯波家臣。義長の弟。右京を称す。主家の前途に不安を抱き、南部家に内通。居城・石清水館で兵を挙げ、これをきっかけに南部軍が侵攻、斯波家は滅亡した。
岩清水 義教 DCC DCC DDD
1547年1606年 0 100 0 0 200 - 1562年通常
やなだあきやす 39466143 26 9954 武士仏教 斯波家臣。大学と称す。主家の前途に不安を抱き、石清水義教らとともに南部家に内通し、斯波家滅亡のきっかけを作った。のち南部家から千石を与えられた。
簗田 詮泰 DDD DDC DDC
1539年1593年 0 0 0 0 0 - 1554年通常
かさいはるたね 40334947 52 7658 武士仏教 葛西家15代当主。晴重の次男。寺池城主。兄・守信とその養子・晴清(伊達稙宗の子)がともに早世したため、家督を継ぐ。将軍・足利義晴の偏諱を受けた。
葛西 晴胤 CDD DDD DDD
1497年1555年 0 0 0 0 0 - 1512年通常
かさいちかのぶ 20182740 44 7747 武士仏教 葛西家16代当主。晴胤の嫡男。寺池城主。父の死後、葛西家の家督を継ぐ。しかし、病弱のため、さしたる事跡も残せぬまま、治世わずか5年で病没した。
葛西 親信 DCD DDD DDC
1513年1560年 0 0 0 0 0 - 1528年通常
かさいはるのぶ 42324757 36 7863 武士仏教 葛西家17代当主。晴胤の次男。寺池城主。兄・親信の死後、家督を継ぐ。伊達家と結んで大崎家と戦った。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣せず、改易された。
葛西 晴信 DCD DDD DCD
1534年1597年 0 0 0 0 0 - 1549年通常
かさいとしのぶ 5171510 76 7656 武士仏教 伊達家臣。父・重俊は胤重(晴信の弟)の子。兄・重信は宇和島伊達家に仕えて宇和島に赴いた。馬術の名手として知られ、京都で数回、妙技を披露している。
葛西 俊信 DBD DDD DDD
1579年1635年 0 100 0 0 0 - 1594年通常
かしやまあきよし 72636439 53 7665 武士仏教 葛西家臣。大林城主。柏山家は奥州千葉家の一族。胆沢郡の惣領職を務め、家中屈指の軍事力を誇っていた。葛西・大崎一揆で総大将を務めた柏山明宗の父。
柏山 明吉 CDD DCC DCD
1530年1595年 100 0 0 0 0 - 1545年通常
かしやまあきすけ 60732412 57 7946 武士仏教 葛西家臣。明宗の嫡男。主家滅亡後、南部家に仕える。岩崎城代を務め、和賀兵乱の鎮定などに活躍したが、剛勇ぶりを恐れた主君・利直によって毒殺された。
柏山 明助 BBD DDD DDC
1578年1624年 100 100 0 0 0 - 1593年通常
おやまあきなが 5972549 29 7629 武士仏教 葛西家臣。柏山明吉の三男。小山城主。弟・折居明久とともに領内屈指の荒武者といわれる。1581年の柏山家内乱の際には家老・三田将監を殺害した。
小山 明長 DCC DDD DCD
1557年1586年 0 100 100 0 0 - 1572年通常
おりいあきひさ 6075307 23 7634 武士仏教 葛西家臣。柏山明吉の四男。折居館主。領内屈指の荒武者といわれ、柏山家内乱の際には家老・三田将監を殺害。葛西・大崎一揆では叛乱軍の総帥となった。
折居 明久 BBD DDC DDD
1561年1595年 100 100 0 0 0 - 1576年通常
まいやつねひで 40423737 52 7956 武士仏教 葛西家臣。米谷城主。常時の嫡男。米谷家は亀掛川千葉家の流れ。桃生郡深谷において弟(五男)・常忠、弟(七男)・信忠とともに伊達政宗に謀殺された。
米谷 常秀 DDC DDD DDD
1535年1591年 0 0 0 0 0 - 1550年通常
むやりしげのぶ 58595124 63 7665 武士仏教 葛西家臣。武鑓城主。富沢家の叛乱鎮定や、浜田家と熊谷家の兵乱鎮圧などに従軍し、活躍した。桃生郡深谷において弟の儀信とともに伊達政宗に謀殺された。
武鑓 重信 CDD DDC DDD
1526年1591年 100 0 0 0 0 - 1541年通常
やはぎしげつね 47454331 41 7736 武士仏教 葛西家臣。外館城主。浜田兵乱鎮定に功を立て、浜田家に代わって気仙郡の旗頭となった。この際、金の采配を許されたという。のちに伊達政宗に謀殺された。
矢作 重常 DDC DDD DDC
1555年1591年 0 0 0 0 0 - 1570年通常
おおさきよしなお 49343844 43 9571 高家仏教 大崎家12代当主。伊達稙宗の援助によって家臣の謀叛を鎮圧するなど、勢力を次第に失う。天文の大乱では伊達晴宗に与力し稙宗に属した大崎義宣と戦った。
大崎 義直 CDC DDD DCC
1506年1577年 0 0 0 0 0 - 1521年通常
おおさきよしたか 52492548 47 9755 高家仏教 大崎家13代当主。義直の子。伊達政宗の軍を1度は退けるが、のちにその傘下に入る。豊臣秀吉の小田原征伐に遅参したため改易され、上杉景勝に仕えた。
大崎 義隆 CDD DDD DDC
1548年1603年 0 0 0 0 0 - 1563年通常
いちくりほうぎゅう 70537450 60 9691 武士仏教 大崎家臣。一栗城主。一栗高春の祖父という。1591年の葛西・大崎一揆の際は、92歳の高齢であるにも関わらず居城に籠城して戦うが敗れ、戦死した。
一栗 放牛 CDA DAB DDD
1500年1591年 100 0 400 0 300 - 1515年通常
いちくりたかはる 63715215 21 9757 武士仏教 大崎家臣。一栗城主。葛西・大崎一揆の際は居城に籠城し、最後まで奮戦する。一揆鎮定後は最上家に仕え、鶴岡城番を務めたが、謀叛を起こして誅せられた。
一栗 高春 CCD DDD DCD
1557年1614年 0 100 0 0 0 - 1572年通常
いちはさまたかざね 31197354 33 9544 武士仏教 大崎家臣。真坂城主。伊豆守と称す。狩野姓も称した。一迫・狩野家は大崎一族の参謀を務めたという。天正末期の主家内乱に際しては、氏家吉継に味方した。
一迫 隆真 DDD DCD DDC
1549年1593年 0 0 0 0 300 - 1564年通常
うじいえよしつぐ 50476571 8 9754 武士仏教 大崎家臣。岩出山城主。大崎内乱の際には伊場野惣八郎と結び、反主流派の中心人物として活動した。主家の没落後は伊達政宗に仕えたが、間もなく病没した。
氏家 吉継 DDD DCC DDC
1537年1591年 0 0 0 0 200 - 1552年通常
くろかわはるうじ 77726636 47 8876 武士仏教 大崎家臣。鶴楯城主。黒川家は大崎家の庶流で、応永年間から伊達家に属す。1588年、伊達家の大崎領侵入の際は大崎家に味方し、伊達軍を撃破した。
黒川 晴氏 BAC DCD DCD
1523年1599年 100 100 100 0 100 - 1538年通常
しかまたかひで 60776352 20 9649 武士仏教 大崎家臣。四釜城主。剛勇にして智力ありと謳われた。大崎家内乱の際には、主君・義隆の命で中新田城を守り、侵攻してきた伊達軍と抗戦、これを撃退した。
四釜 隆秀 DBB DBC DCD
1547年1596年 0 100 100 0 200 - 1562年通常
なんじょうたかのぶ 78716419 92 9534 武士仏教 大崎家臣。中新田城主。大崎家内乱の際には居城を守備し、神技に等しい作戦と指揮で、見事に伊達政宗の軍勢を撃退。大崎家侍大将中の名将とたたえられた。
南条 隆信 ACD DCD DDC
1559年1593年 100 100 0 0 100 - 1574年通常
にいだたかかげ 31175850 29 9620 武士仏教 大崎家臣。新井田城主。義隆の小姓を務めた。家中屈指の美少年で、同じく小姓の伊場野惣八郎と寵を争い、これがきっかけで大崎家の内乱が引き起こされた。
新井田 隆景 DDD DDD DDD
1573年1593年 0 0 0 0 0 - 1588年通常
みやざきたかちか 64614622 86 9554 武士仏教 大崎家臣。宮崎城主。侍大将を務めた。葛西・大崎一揆の際は総大将を務め、居城に籠城して伊達軍と戦ったが敗れた。落城後は秋田仙北に隠れ住んだという。
宮崎 隆親 CDC DDD DCD
1542年1596年 0 0 100 0 0 - 1557年通常
るすあきむね 27302268 72 6767 武士仏教 留守家17代当主。景宗の嫡男。国分家らと戦いを繰り返した。のちに伊達晴宗の三男・政景を娘婿として隠居。この際嫡男・宗綱は高城家の養子となった。
留守 顕宗 DDD DDD DCC
1519年1586年 0 0 0 0 0 - 1534年通常
るすまさかげ 69655560 57 6858 武士仏教 留守家18代当主。伊達晴宗の三男。留守顕宗の娘を娶り家督を継ぐ。兄・輝宗や甥・政宗に従い、相馬家や最上家などと戦った。のちに伊達姓に復した。
留守 政景 DCC DDD DDC
1549年1607年 0 100 100 0 0 - 1564年通常
こくぶんもりうじ 42362851 38 6769 武士仏教 陸奥の豪族。能登守と称した。1189年、源頼朝が陸奥平泉の藤原家を滅ぼした際に、焼け落ちて名前だけが残っていた国分尼寺を、1570年に再建した。
国分 盛氏 CDD DDD DCD
1506年1575年 100 0 0 0 0 - 1521年通常
こくぶんもりあき 15313625 52 6754 武士仏教 陸奥の豪族。盛氏の子。国分家は源頼朝の奥州征伐に従った千葉常胤の五男・胤通を祖とする。子がなかったため、伊達晴宗の十男・盛重を養子として迎えた。
国分 盛顕 DDD DDC DDD
1528年1582年 0 0 0 0 0 - 1543年通常
こくぶんもりしげ 19211432 14 6862 武士仏教 伊達家臣。伊達晴宗の十男。国分家を継ぐ。1599年、病と称して岩出山城に出仕せず、叛意を疑われたため出奔。姉の嫁ぎ先である佐竹家に身を寄せた。
国分 盛重 DCD DDD DDD
1553年1615年 0 0 0 0 0 - 1568年通常
そうまもりたね 84756056 75 772 武士仏教 相馬家15代当主。顕胤の嫡男。小高城主。天文の大乱後は伊達家と敵対し、各地で死闘を展開する。一方、近隣の田村清顕とは和睦し、所領の基盤を固めた。
相馬 盛胤 DAD DDD DDC
1529年1601年 0 400 0 0 0 - 1544年通常
そうまよしたね 76705450 78 787 武士仏教 相馬家16代当主。盛胤の嫡男。伊達家と各地で抗争を展開した。関ヶ原合戦で西軍に属していったん改易されるが、伊達政宗の取りなしで本領を安堵された。
相馬 義胤 DAD DDC DCD
1548年1635年 0 400 0 0 0 - 1563年通常
いずみだたねきよ 64372728 60 839 武士仏教 相馬家臣。泉田城主。1588年、守備していた大越城に攻め寄せてきた伊達政宗の軍を撃退するなど、主君・義胤に従って伊達家と攻防を繰り返した。
泉田 胤清 CDC DDD DDD
1563年1602年 0 0 100 0 0 - 1578年通常
えねいたねはる 23211668 67 884 武士仏教 相馬家臣。顕胤・盛胤・義胤に仕え、内政や外交で活躍した。義胤に従って田村家を訪れた際、伊達家に通じた田村家臣の田村月斎に狙撃され、死去した。
江井 胤治 DDD DDC DCC
1504年1588年 0 0 0 0 0 - 1519年通常
さとうよしのぶ 42343872 53 3849 武士仏教 相馬家臣。佐藤家はもと岩城家臣であったが、好信の代に相馬家に属す。軍奉行を務めたが、郡左馬助の讒言により領地を没収され、失意のうちに病死した。
佐藤 好信 DDC DDD DDA
1514年1563年 0 0 0 0 0 - 1529年通常
さとうためのぶ 66536345 27 3848 武士仏教 相馬家臣。好信の子。小斎城主。伊達家との合戦の際、援軍に来た郡左馬助を討ち、父の敵をとる。直後に伊達家に属した。のちに佐沼の戦いで戦死した。
佐藤 為信 DCD DCD DCD
1543年1591年 0 100 0 0 100 - 1558年通常
みずたにたねしげ 66584171 86 768 武士仏教 相馬家臣。関ヶ原合戦後、領内の通過を願う伊達政宗の殺害を唱える声が多い中で唯一反対し、政宗は無事領内を通過。この一件により、主家は改易を免れた。
水谷 胤重 DCB DDC DCD
1538年1606年 0 100 100 0 0 - 1553年通常
いわきしげたか 69576870 44 4069 武士仏教 陸奥大館城主。伊達家の内紛(天文の大乱)の際は、娘・久保が晴宗の妻であった関係から、晴宗方に属した。佐竹義篤ともたびたび争った。和歌をよくした。
岩城 重隆 CCD DCD DDB
1500年1569年 100 100 0 0 200 - 1515年通常
さたけさだたか 41334655 52 2337 武士仏教 陸奥大館城主。佐竹義重の三男。岩城常隆の養子となる。関ヶ原合戦に出陣せず改易された。のちに大坂の陣に参加し、信濃川中島1万石を与えられた。
佐竹 貞隆 DDC DDD DDC
1583年1620年 0 0 0 0 0 - 1598年通常
ふなおあきなお 60676647 30 4469 武士仏教 佐竹家臣。船尾家は岩城由隆の弟・隆輔を祖とする。佐竹家に属し義昭・義重・義宣の3代に渡って仕え、陸奥方面における佐竹家の先鋒として活躍した。
船尾 昭直 CDD DCC DDC
1538年1607年 100 0 0 0 100 - 1553年通常
たむらたかあき 70765344 24 5485 高家仏教 陸奥の豪族。三春城主。伊達稙宗の娘を娶る。伊達家の内紛(天文の大乱)の際は舅・稙宗に与力した。佐竹義重・石川昭光の連合軍を破ったのちに急逝した。
田村 隆顕 CAD DDD DCC
1489年1574年 100 400 0 0 0 - 1504年通常
しらかわよしちか 56416748 16 1985 高家仏教 白河結城家臣。結城顕頼の子。結城義綱の子ともいう。宗家の義顕を追放して宗家を乗っ取る。のちに佐竹義重に敗れ、義重の子・義広を養子に迎え隠居した。
白河 義親 DCD DCC DDC
1541年1626年 0 0 0 0 300 - 1556年通常
かとうだきよしげ 63755068 76 1564 武士仏教 白河結城家臣。上総守と称した。武勇に優れ、善政を敷いたので民衆はよく服したという。佐竹家との戦いなどで活躍した。主家の滅亡後は伊達家に仕えた。
河東田 清重 CDB DDD DDC
1542年1606年 100 0 100 0 0 - 1557年通常
あしなもりうじ 87718586 43 4559 武士仏教 蘆名家16代当主。蘆名家を伊達家と並ぶ奥州屈指の大名に育て上げた、蘆名家中興の祖。同盟をうまく利用し、会津一円から北越後に及ぶ所領を獲得した。
蘆名 盛氏 ABD DAB DBA
1521年1580年 100 400 0 0 400 - 1536年通常
あしなもりおき 64473553 41 4528 武士仏教 蘆名家17代当主。盛氏の嫡男。父の隠居により家督を継ぐが、佐竹家との抗争中に夭逝した。盛興の病を治すために、父が領内での造酒を禁じたこともある。
蘆名 盛興 DCD DDD DCC
1547年1575年 0 100 0 0 0 - 1562年通常
にかいどうもりよし 43385070 75 4549 武士仏教 二階堂家18代当主。はじめ蘆名盛氏と争うが、子・盛隆を人質に出して降伏。のちに盛隆が蘆名家を継いだため、援助を受けて二階堂家の勢力を回復した。
二階堂 盛義 DCD DDD DDB
1532年1581年 0 0 0 0 0 - 1547年通常
あしなもりたか 65625156 35 4523 武士仏教 蘆名家18代当主。二階堂盛義の子。蘆名盛興の未亡人を娶った。上杉・北条家らと結んで佐竹家と争った。寵の衰えを逆恨みした側近に黒川城内で殺された。
蘆名 盛隆 CCD DDD DCD
1561年1584年 0 100 0 0 0 - 1576年通常
あしなよしひろ 53512653 47 1955 武士仏教 蘆名家20代当主。佐竹義重の次男。白河結城家の養子となるが、のち蘆名盛隆の娘を娶り蘆名家を継ぐ。摺上原で伊達政宗の軍に敗れ、故郷の常陸に逃れた。
蘆名 義広 DDD DDD DDC
1576年1631年 0 0 0 0 0 - 1591年通常
はりゅうもりのぶ 26193848 26 4772 武士仏教 蘆名家臣。盛幸(蘆名盛滋の子)の孫。1576年、金上盛実と席次の上下を争ったという。関ヶ原合戦で西軍に属したため所領を失い、伊達家に仕えた。
針生 盛信 DDC DDD DDD
1553年1625年 0 0 0 0 0 - 1568年通常
いなわしろもりくに 67366447 9 6558 武士仏教 蘆名家臣。後妻の讒言により子・盛胤の廃嫡を企むが発覚し、盛胤と争った。のちに主家に背いて伊達家に属し、摺上原合戦では先鋒を務めて蘆名軍と戦った。
猪苗代 盛国 DCB DCB DDC
1536年1594年 0 0 100 0 100 - 1551年通常
いなわしろもりたね 60733729 89 4676 武士仏教 蘆名家臣。盛国の子。摺上原合戦で主家が敗れたあと、主君・盛重に従い常陸に逃れる。のちに盛重のもとを去って故郷の猪苗代に戻り、同地で余生を送った。
猪苗代 盛胤 CBD DDD DDC
1565年1641年 100 100 0 0 0 - 1580年通常
かながみもりはる 55575867 84 4562 武士仏教 蘆名家臣。主君・盛隆の死後、伊達政宗の弟・小次郎を跡継ぎに推す一派を抑え佐竹義重の次男・義広を当主に迎えることに成功した。摺上原合戦で戦死した。
金上 盛備 CCD DDD DBD
1527年1589年 100 0 0 0 0 - 1542年通常
まつもとうじすけ 47464354 36 4750 武士仏教 蘆名家臣。舜輔の子。松本家は蘆名四天の宿老の一。図書助と称し、船岡城主を務めた。1575年、田村清顕の軍と安積郡福原で戦った際に戦死した。
松本 氏輔 DDD DDB DDC
1525年1575年 0 0 0 0 0 - 1540年通常
とみたうじざね 22204074 17 4650 武士仏教 蘆名家臣。四天の宿老の1人。主君・盛隆の死後、伊達政宗の弟・小次郎を後継に推すが敗れた。摺上原合戦では留守居を務め、主力の敗北後、伊達家に降る。
富田 氏実 DDD DDD DDB
1541年1591年 0 0 0 0 0 - 1556年通常
とみたたかざね 63812112 92 4525 武士仏教 蘆名家臣。氏実の子。摺上原合戦では先鋒を務め、伊達軍の本陣に迫るなど奮戦した。敗北後は主君・盛重に従い常陸に逃れるが、間もなく盛重の元を去った。
富田 隆実 CBD DDD DCD
1569年1594年 100 100 0 0 0 - 1584年通常
させたねつね 44454969 57 4474 武士仏教 蘆名家臣。佐瀬家は、蘆名四天の宿老の一。耶麻郡中田付で六斎市を開いていたが、中田付では不便だとして、小田付村に六斎市を移した。摺上原合戦で戦死。
佐瀬 種常 DDC DDD DDB
1515年1589年 0 0 0 0 0 - 1530年通常
ひらたきよのり 41324646 36 4664 武士仏教 蘆名家臣。輔範の子。平田家は蘆名四天の宿老の一。是亦斎と称す。大槻城主の大槻政通が謀叛を起こした際、主君・盛氏に従って出陣し、鎮定した。
平田 舜範 DDC DDD DDD
1519年1583年 0 0 0 0 0 - 1534年通常
けいとくのりしげ 65703318 68 4539 武士仏教 蘆名家臣。平田舜範の子。松本行輔(氏輔の子)の謀叛鎮定などに活躍した。伊達軍が蘆名領に侵攻した際は、中目盛光とともに奮戦し、これを破った。
慶徳 範重 CDD DDD DCD
1555年1594年 100 0 0 0 0 - 1570年通常
おおうちさだつな 55736327 21 2664 武士仏教 陸奥の豪族。塩松城主。伊達政宗が伊達家当主となると、これに帰属するが、間もなく敵対。政宗の攻撃を受けて敗北し以後は伊達家に仕えた。槍術に秀でた。
大内 定綱 BCD DDD DCD
1546年1610年 100 100 0 0 0 - 1561年通常
あんとうちかすえ 78698487 53 3548 武士仏教 檜山安東家8代当主。舜季の嫡男。湊・檜山の両安東家を統一し、巧みな戦略で安東家最大の版図を築き上げ「斗星の北天に在るにさも似たり」と恐れられた。
安東 愛季 BDB CAB ABB
1539年1587年 100 0 100 0 300 - 1554年通常
あきたさねすえ 71496050 41 3583 武士仏教 檜山安東家9代当主。愛季の嫡男。父の死後、家督を継ぐ。南部家や戸沢家と抗争し、所領を守り抜くが、関ヶ原合戦での不手際により、秋田領を追われた。
秋田 実季 CDD BDB ADB
1576年1659年 100 0 0 0 0 - 1591年通常
あんとうしげすえ 46555145 46 4039 武士仏教 湊安東家9代当主。舜季の三男。安東堯季の養子となっていた兄・友季の死後、堯季の養子となり、湊安東家の家督を継いだ。蠣崎季広の六女を妻とした。
安東 茂季 CDD DDD BDC
1540年1579年 0 0 0 0 0 - 1555年通常
あんとうみちすえ 32302534 14 4030 武士仏教 湊安東家10代当主。茂季の嫡男。父の死後、伯父・愛季に湊城を追われ、豊島城に移される。愛季の死後、戸沢家と結んで謀叛を起こすが、失敗に終わった。
安東 通季 DDD DDD BCD
1564年1594年 0 0 0 0 0 - 1579年通常
としましげむら 18313532 12 3454 武士仏教 安東家臣。畠山重忠の末裔という。1570年、湊安東家臣の下刈右京らと結んで謀叛を起こすが、安東愛季の軍勢に敗れ、妻の実家・仁賀保家を頼った。
豊島 重村 DDD DDC DCD
1521年1575年 0 0 0 0 0 - 1536年通常
なんぶまさなお 19216072 68 4054 武士仏教 安東家臣。宮内少輔と称した。安東家の外交官としてたびたび京都へ赴き、山科言継や織田信長と会見した。愛季が信長に馬と鷹を贈った際も使者を務めた。
南部 政直 DDC DDD DDC
1540年1594年 0 0 0 0 0 - 1555年通常
あさりのりすけ 44464735 75 4039 武士仏教 出羽の豪族。十狐(独鈷)城主。則頼の嫡男。安東家への従属を画策する弟・勝頼と対立する。のちに勝頼の手引きを受けた安東軍の攻撃を受け、自害した。
浅利 則祐 DCD DDD CDC
1523年1562年 0 0 0 0 0 - 1538年通常
あさりかつより 36325748 52 3354 武士仏教 出羽の豪族。則頼の次男。安東家と結んで兄・則祐を自害させ、当主となる。のちに津軽家と結び謀叛を企んだため、安東愛季に酒宴へ誘い出され、殺された。
浅利 勝頼 DCD DDC CDC
1529年1583年 0 0 0 0 0 - 1544年通常
あさりよりひら 31401654 27 3344 武士仏教 出羽の豪族。勝頼の子。父が謀殺された後、津軽に身を隠す。のちに安東家の代官として比内を治めるが、軍役金未納の問題が起き、訴訟中に大坂で急死した。
浅利 頼平 DDD DDD DCD
1554年1598年 0 0 0 0 0 - 1569年通常
とざわみちもり 63495242 53 3980 武士仏教 戸沢家16代当主。角館城主。秀盛の嫡男。父の死により、幼少の身で家督を継ぐ。その後、若くして隠居し、孫・政盛の移封先である常陸小河城で死去した。
戸沢 道盛 DCC DDD DDD
1524年1604年 0 100 0 0 0 - 1529年通常
とざわもりしげ 2286841 31 3941 武士仏教 戸沢家17代当主。角館城主。道盛の嫡男。病弱のため、早くに家督を弟・盛安に譲って出家する。のちに還俗し戸沢政重(祖父・秀盛の弟)の養子となった。
戸沢 盛重 DDD DCD DDD
1551年1592年 0 0 0 0 200 - 1566年通常
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