武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
ごとう | | かたとよ |
通常版 |
近江 |
1531 |
(1516-1563)六角家臣。進藤家とともに「六角家の両藤」と称された。主君・義賢親子上洛の際は警護役を務めた。いわゆる「観音寺騒動」において主君・義治に殺された。 |
後藤 | 重左衛門 | 賢豊 |
武将 | 弓 |
[登用] [外交] [連射] |
67 | 50 | 55 |
67 | 75 |
29 |
ごとう | | たかはる |
通常版 |
近江 |
1555 |
(1540-1589)六角家臣。賢豊の次男。「観音寺騒動」で父が死亡したのち家督を継ぐ。進藤家と並ぶ「両藤」として義治の重臣となるが、織田信長の上洛軍に敗れ降伏した。 |
後藤 | 喜三郎 | 高治 |
武将 | 騎馬 |
[開墾] |
28 | 10 | 35 |
39 | 50 |
29 |
みくも | | しげもち |
通常版 |
近江 |
1555 |
(1540-1603)六角家臣。兄・賢持の死後、家督を継いだ。「六角氏式目」には父・定持とともに署名している。主家滅亡後は浪人生活を経て、織田信雄・蒲生氏郷に仕えた。 |
三雲 | 新左衛門 | 成持 |
武将 | 槍 |
[守戦] |
40 | 35 | 42 |
34 | 90 |
29 |
よしだ | | しげまさ |
通常版 |
近江 |
1537 |
(1522-1581)六角家臣。吉田流弓術の祖・重賢の子。主君・義賢から弓術の伝授を求められるが拒否して出奔、一時朝倉家に仕える。数年後に帰参し、義賢に弓術を授けた。 |
吉田 | 助左衛門 | 重政 |
武将 | 弓 |
[連射] |
7 | 41 | 39 |
44 | 45 |
29 |
けや | | たけひさ |
通常版 |
近江 |
1569 |
(1554-1628)黒田家臣。近江の出身。柴田勝家など数家を経て、黒田家に仕官。物見にすぐれ関ヶ原合戦では徳川家康に「敵は寡勢」と報告し、饅頭を与えられたという。 |
毛屋 | | 武久 |
武将 | 槍 |
[捕縛] |
16 | 47 | 40 |
19 | 70 |
9 |
なんこうぼう | | てんかい |
通常版 |
山城 |
1551 |
(1536-1643)徳川家臣。比叡山で教学を究めた天台宗の僧。主君・家康の側近となり国政に辣腕を振るい「黒衣の宰相」と呼ばれた。明智光秀と同一人物との異説がある。 |
南光坊 | | 天海 |
旧仏教 | 槍 |
[登用] [引抜] [外交] [説得] |
82 | 1 | 84 |
88 | 50 |
89 |
いっしき | | よしみち |
通常版 |
丹波丹後 |
1548 |
(1533-1579)丹後の戦国大名。義幸の子。京を追われた将軍・足利義昭を庇護したため、織田軍に攻められる。善戦するが、家臣・沼田勘解由の内通により敗れ、自害した。 |
一色 | | 義道 |
武将 | 槍 |
[改修] [雨撃] |
32 | 60 | 34 |
56 | 65 |
69 |
なかがわ | | きよひで |
通常版 |
摂津河内 |
1557 |
(1542-1583)池田家臣。摂津茨木城主。和田惟政を討つなど活躍した。のち荒木村重に属す。村重逃亡後は羽柴秀吉に属し、山崎合戦で功を立てた。賤ヶ岳合戦で戦死した。 |
中川 | 瀬兵衛 | 清秀 |
国人衆 | 槍 |
[雨撃] |
10 | 37 | 14 |
67 | 60 |
49 |
まつなが | | ひさひで |
通常版 |
大和 |
1525 |
(1510-1577)三好家臣。主家を簒奪し、将軍・足利義輝を殺し、東大寺大仏殿を焼いた稀代の梟雄。織田信長に属すが、謀叛を起こして敗れ、「平蜘蛛」とともに爆死した。 |
松永 | | 久秀 |
武将 | 槍 |
[改修] [引抜] [茶湯] [混乱] |
91 | 68 | 93 |
98 | 30 |
93 |
まつなが | | ひさみち |
通常版 |
大和 |
1553 |
(1538-1577)三好家臣。大和多聞山城主。久秀の子。父に従い、将軍・足利義輝の謀殺などに加担した。のちに織田信長に属すが、父とともに信長に背いて敗れ、自害した。 |
松永 | 彦六 | 久通 |
武将 | 槍 |
[引抜] [混乱] |
49 | 28 | 70 |
86 | 30 |
93 |
まつなが | | ながより |
通常版 |
大和 |
1531 |
(1516-1565)三好家臣。久秀の弟。軍事的才幹をもって主君・長慶に仕え、のちに山科七郷の代官となる。しかし、丹波黒井城主・赤井直正の攻撃を受けて敗れ、戦死した。 |
松永 | | 長頼 |
武将 | 弓 |
[連射] |
13 | 53 | 22 |
59 | 70 |
93 |
じみょうじ | | さだつぐ |
通常版 |
大和 |
1577 |
(1562-1615)豊臣家臣。慈明寺順国の子。叔父・順慶の養子となり、家督を継ぐが、素行不良のため改易された。大坂冬の陣の際、大坂方に内通した罪で自害させられた。 |
慈明寺 | 藤四郎 | 定次 |
旧仏教 | 槍 |
[逃亡] |
36 | 14 | 22 |
22 | 40 |
9 |
たかやま | | しげとも |
通常版 |
大和 |
1567 |
(1552-1615)織田家臣。摂津高槻城主。友照の子。父とともに入信する。各地の合戦で活躍するが、改宗を拒否し改易された。流浪の後、江戸幕府の命で呂宋へ追放された。 |
高山 | 彦五郎 | 重友 |
武将切支丹 | 槍 |
[改修] [茶湯] [三段] [説得] |
65 | 49 | 58 |
58 | 75 |
91 |
やぎゅう | | むねよし |
通常版 |
大和 |
1542 |
(1527-1606)大和の豪族。上泉信綱に師事して奥義を会得、柳生新陰流を開く。のちに徳川家康に招かれて柳生新陰流を伝授した。以後、柳生家は徳川家兵法師範となった。 |
柳生 | 新介 | 宗厳 |
国人衆 | 槍 |
[開墾] [剣豪] |
9 | 83 | 56 |
3 | 85 |
91 |
やまな | | とよくに |
通常版 |
因幡但馬 |
1560 |
(1548-1626)因幡守護。鳥取城主。豊定の三男。武田高信を討ち居城を奪回する。羽柴秀吉に属すが、毛利家に通じた家臣たちに追放された。のち、秀吉の御咄衆を務めた。 |
山名 | | 豊国 |
武将 | 弓 |
[茶湯] |
28 | 20 | 8 |
33 | 50 |
79 |
かきや | | つぐなり |
通常版 |
因幡但馬 |
1497 |
(1482-1570)山名家臣。楽々前城主。主君・致豊の但馬守護就任に伴い守護代となり、領国経営の実権を握った。のちに田結庄是義と対立し、是義に奇襲されて自害した。 |
垣屋 | 新九郎 | 続成 |
武将 | 騎馬 |
[商業] [引抜] [攻城] |
59 | 55 | 70 |
76 | 55 |
79 |
かきや | | みつなり |
通常版 |
因幡但馬 |
1535 |
(1520-1592)山名家臣。続成の子。父を殺した田結庄是義と戦い、是義を討った。のちに羽柴秀吉の中国征伐軍に降り、因幡鳥取城攻撃などに参加、因幡で1万石を領した。 |
垣屋 | 平右衛門 | 光成 |
武将 | 騎馬 |
[引抜] [槍衾] |
33 | 44 | 48 |
32 | 45 |
79 |
かきや | | つねふさ |
通常版 |
因幡但馬 |
1587 |
(1572-1600)豊臣家臣。光成の子。小田原征伐、朝鮮派兵などに従軍し、因幡浦住木山1万石を領す。関ヶ原合戦では西軍に属し近江大津城攻撃などに参加、戦後自害した。 |
垣屋 | 小治郎 | 恒総 |
武将 | 槍 |
[雨撃] |
35 | 40 | 29 |
53 | 45 |
79 |
たいのしょう | | これよし |
通常版 |
因幡但馬 |
1533 |
(1518-1575)山名家臣。但馬鶴城主。山名四天王の1人に数えられる。織田家への従属を主張し、親毛利家の垣屋続成と対立。続成を討つが、続成の子・光成に討たれた。 |
田結庄 | | 是義 |
国人衆 | 荷駄 |
[引抜] [逃亡] |
23 | 28 | 30 |
43 | 55 |
89 |
もりした | | みちよ |
通常版 |
因幡但馬 |
1552 |
(1537-1581)山名家臣。中村春続とともに主君・豊国を追い、吉川経家に属して因幡鳥取城を守る。しかし秀吉の「渇え殺し」戦法に敗れ、経家・春続らとともに自害した。 |
森下 | | 通与 |
武将 | 騎馬 |
[改修] [守戦] |
18 | 46 | 40 |
54 | 65 |
91 |