『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
むかい まさつな 通常版 1572 (1557-1625)武田家臣。父・正重が徳川軍の攻撃を受けて戦死したため、家督を相続する。主家滅亡後は徳川家に仕えて御船奉行となり、徳川水軍の中核として活躍した。
向井 正綱 水軍衆鉄砲
[回復] [逃亡] [雨撃]  116450 5175 91
おやまだ のぶあり 通常版 甲斐 1534 (1519-1552)武田家臣。越中守信有の子。出羽守を称した。信濃志賀城攻略、上田原合戦などで活躍。信濃戸石城攻撃で重傷を負い死亡。葬儀には1万人が参列したという。
小山田 信有 国人衆騎馬
[開墾] [突撃]  365334 4465 71
おやまだ のぶしげ 通常版 甲斐 1552 (1545-1582)武田家臣。出羽守信有の子。投石を得意とする部隊を率いて各地の合戦で活躍。織田信長の甲斐侵攻軍に降るが、主君・勝頼の死後、裏切り者として斬られた。
小山田弥三郎信茂 国人衆騎馬
[訓練]  635966 6630 71
はじかの まさつぐ 通常版 甲斐 1560 (1545-1624)武田家臣。川中島合戦において戦死した初鹿野源五郎の跡を継ぐ。主家滅亡後は徳川家康に仕え、小牧長久手合戦、小田原征伐、大坂の陣などの戦で活躍した。
初鹿野伝右衛門昌次 武将騎馬
[攻城]  234745 5475 71
あとべ かつすけ 通常版 甲斐 1562 (1547-1582)武田家臣。跡部家は信濃佐久郡の出身で甲斐守護代をも務めた名家。原昌胤とともに主君・勝頼の近侍を務めた。武田家滅亡時に諏訪で戦死。佞臣と評された。
跡部 勝資 武将荷駄
[逃亡]  331725 3060 71
さなだ ゆきたか 通常版 北信濃 1528 (1513-1574)武田家臣。信州先方衆。主君・信玄が攻略出来なかった信濃戸石城を謀略で落城させ、知略は信玄に勝ると賞された。以後、信玄の参謀の1人として活躍する。
真田小太郎幸隆 国人衆
[引抜] [逃亡] [連射] [混乱]  777890 6575 19
さなだ のぶつな 通常版 北信濃 1552 (1537-1575)幸隆の長男。父の隠居後、信州先方衆の1人として各地を転戦、勇名を馳せる。長篠合戦では3尺3寸の大刀を振るって奮戦したが、銃弾を浴び、戦死した。
真田源太左衛門信綱 国人衆騎馬
[訓練] [突撃]  306340 4185 19
さなだ のぶゆき 通常版 北信濃 1581 (1566-1658)昌幸の長男。徳川家臣・本多忠勝の娘を娶った縁から、関ヶ原合戦では父や弟と別れて東軍に属した。その後も徳川家に忠節を尽くし、真田家を存続させた。
真田源三郎信幸 国人衆鉄砲
[開墾] [外交] [槍衾]  716067 4390 18
やざわ よりつな 通常版 北信濃 1533 (1518-1597)真田家臣。海野棟綱の子で、真田幸隆の弟。甥・昌幸が上野沼田城を攻略後、沼田城代となる。第一次上田合戦の際は、沼田城を守備した。武勇にひいでた。
矢沢 頼綱 国人衆
[収拾] [連射]  574243 1765 21
すわ よりみつ 通常版 南信濃 1483 (1480-1539)信濃の戦国大名。諏訪大社の大祝を務める。金刺家を滅ぼして諏訪地方を平定、隣国の武田信虎と戦うなど、諏訪家の勢力回復に尽力した、諏訪家中興の英主。
諏訪 頼満 旧仏教
[登用] [奉仕] [連射] [説得]  789290 8380 13
すわ よりしげ 通常版 南信濃 1530 (1516-1542)信濃の戦国大名。祖父・頼満の死後、諏訪大社大祝に就任。義兄・武田信玄と戦い、敗北。幽閉の後、自害させられた。娘は信玄の側室となり、勝頼を産んだ。
諏訪 頼重 旧仏教
[激励] [連射]  375512 6255 13
すわ みつちか 通常版 南信濃 1515 (1500-1545)頼満の四男。甥・頼重の死後、諏訪領で横暴をふるった諏訪家の庶流・高遠頼継を討つため、武田信玄と結ぶ。頼継を討った後、諏訪家は武田家に属した。
諏訪 満隣 旧仏教
[回復] [捕縛]  615767 4775 13
すわ よりただ 通常版 南信濃 1545 (1536-1606)武田家臣。満隣の子。主家統治下で諏訪大社大祝に就任した。主家滅亡後は諏訪を平定し自立。一時北条家に属すが、のちに徳川家に仕え、本領を安堵された。
諏訪小太郎頼忠 旧仏教騎馬
[改修] [外交]  473337 880 13
きそ よしまさ 通常版 南信濃 1555 (1540-1595)信濃木曾谷の豪族。義康の嫡男。武田信玄の娘を娶る。のち織田信長に通じ、武田家滅亡の原因を作った。本能寺の変後は徳川家康に属し、下総に転封された。
木曾宗太郎義昌 武将騎馬
[商業] [外交]  494052 3830 81
きそ よしとし 通常版 南信濃 1592 (1577-1640)徳川家臣。義昌の嫡男。父の死後、家督を継ぐ。粗暴の振る舞いが多く、叔父・義豊を殺害した罪により改易された。その後は京都で剃髪、各国を流浪した。
木曾仙三郎義利 武将騎馬
[混乱]  1243 1930 81
ながお ためかげ 通常版 南越後 1486 (1471-1536)越後守護代。越後守護・上杉房能、関東管領・上杉顕定を討ち、越後の国政を掌握する。しかし、のちに房能の養嗣子・定実と対立し、国人の叛乱が相次いだ。
長尾六郎為景 武将騎馬
[訓練] [激励] [突撃]  6510349 9765 16
ながお はるかげ 通常版 南越後 1524 (1509-1553)越後の戦国大名。為景の嫡男。父の死後に家督を継ぐ。しかし病弱で統率力に欠けたため諸将から反発を受け、上杉定実の調停のもと弟・景虎に家督を譲った。
長尾弥六郎晴景 武将騎馬
[槍衾]  422918 2445 16
ながお かげとら 通常版 南越後 1545 (1530-1578)越後の戦国大名。為景の次男。上杉憲政から関東管領職を譲られ、上杉姓を名乗る。「毘」の軍旗を翻して疾駆する姿は軍神と恐れられた。通称「越後の龍」。
長尾平三景虎 旧仏教騎馬
[訓練] [回復] [軍神] [突撃]  5712557 74100 15
ながお ふさなが 通常版 南越後 1518 (1503-1552)長尾家臣。魚沼郡上田荘を領した。上条定憲の乱に呼応し主家に敵対する。しかし定憲の戦死、越後守護・上杉定実の死去により劣勢となり、主家と和睦した。
長尾 房長 武将荷駄
[引抜] [守戦]  656068 6060 19
ながお まさかげ 通常版 南越後 1541 (1526-1564)長尾家臣。房長の子。父とともに主家に敵対するが和睦し、主君・景虎の姉を娶る。その後は景虎を補佐して活躍するが宇佐美定満と舟遊び中に溺死した。
長尾六郎政景 武将騎馬
[登用] [守戦] [説得]  606655 6570 19

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