『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
ぜにや そうとつ 諸勢力 摂津河内 1577 (1562-1640)堺の商人。銭屋家は宗訥・宗徳と代を伝えた。宗訥は千利休に茶の湯を学び、しばしば茶会を催したという。宗徳は一釜斎と号し、千宗旦に茶の湯を学んだ。
銭屋 宗訥 都市荷駄
[商業] [茶湯]  413741 5030 15
すえよし ながます 諸勢力 摂津河内 1591 (1576-1657)堺の商人。末吉家は長増・利方・吉安と代を伝えた。利方は国内通用銀の統一を提唱し、銀座頭役となる。吉安は江戸幕府より朱印状を得て海外貿易を行った。
末吉藤右衛門長増 都市
[商業] [茶湯]  464346 4795 21
たかさぶ りゅうき 諸勢力 摂津河内 1592 (1577-1661)堺の商人。高三家は隆喜・隆達と代を伝え、薬種商を営んだ。隆達は小歌に巧みで「閑吟集」などの流行歌に独特の節回しをつけて歌い、隆達節を創始した。
高三三郎左衛門隆喜 都市荷駄
[商業] [茶湯]  494444 4260 61
たけの じょうおう 諸勢力 摂津河内 1555 (1550-1614)堺の商人。武野家は紹鴎・宗瓦と代を伝えた町衆。紹鴎は茶の湯に傾倒し「わび茶」の大成に多大な影響を及ぼした。宗瓦は茶人としては不遇に暮らした。
武野新五郎紹鴎 都市荷駄
[商業] [茶湯]  494545 6075 1
たなか よへえ 諸勢力 摂津河内 1586 (1571-1632)堺の商人。田中家は与兵衛・利休と代を伝えた。与兵衛は魚問屋を営んだ。利休は武野紹鴎から茶の湯を学び「わび茶」を大成した、戦国時代を代表する茶人。
田中 与兵衛 都市騎馬
[商業] [茶湯]  625755 4465 46
つだ そうたつ 諸勢力 摂津河内 1572 (1557-1616)堺の商人。津田家は宗達・宗及と代を伝えた。宗達は三好家の御用商人を務めていた。宗及は織田信長・豊臣秀吉に仕えて千利休らとともに北野大茶会を司る。
津田 宗達 都市荷駄
[商業] [茶湯]  514342 4190 62
やすい さだつぐ 諸勢力 摂津河内 1548 (1533-1615)堺の商人。安井家は定次・道頓と代を伝えた。定次は豊臣秀吉の大坂城築城に貢献した。道頓は道頓堀の開削に携わるが志半ばにして大坂夏の陣で戦死した。
安井 定次 都市
[商業] [茶湯]  473640 6035 38
べにや そうよう 諸勢力 摂津河内 1547 (1532-1625)堺の商人。会合衆を務めた。茶の湯を武野紹鴎に学び、織田信長とともに松井友閑邸で行われた茶会に出席した。のち、豊臣秀吉から闕所処分を受け逐電した。
紅屋 宗陽 都市荷駄
[商業] [茶湯]  546046 4485 58
がんせんじ しょうえ 諸勢力 摂津河内 1593 (1578-1659)摂津河内の僧侶。願泉寺は一向宗の寺院で、貝塚御坊とも呼ばれた。本願寺11世・顕如は石山退去後、鷺森御坊に4年住んだ後、願泉寺に移り、3年住んだ。
願泉寺 勝慧 一向宗荷駄
[外交]  636350 6055 1
みやけ くにむら 諸勢力 摂津河内 1611 (1596-1650)摂津河内の国人。国村は実際は細川家臣で、摂津三宅城主。細川晴元と三好長慶の間で離合集散を繰り返したが、のちに晴元軍に敗れ、行方不明となった。
三宅 国村 国人衆
[改修]  495249 5785 25

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