『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
しみず よしうじ 通常版 羽前 1562 (1547-1586)最上家臣。清水城主。主君・義光の三男である義親を養子に迎えた。大宝寺軍の攻撃をたびたび受けたが、義光の援護でこれを撃退。娘は義光の側室となった。
清水 義氏 武将騎馬
[守戦]  344030 2575 99
もがみ よしちか 通常版 羽前 1597 (1582-1614)最上義光の三男。兄・家親と同年生まれという。清水城主・清水義氏の養子となった。のちに兄と対立し、家親の家臣・日野将監らの攻撃を受け、自害した。
最上 義親 武将騎馬
[改修] [槍衾]  363141 4150 99
もがみ よしただ 通常版 羽前 1603 (1588-1664)最上義光の四男。兄・家親の死後、甥・義俊に代わる当主候補に推されるが、御家騒動を引き起こし、最上家は改易された。のちに水戸徳川家で家老を務めた。
最上 義忠 武将
[訓練]  423740 7570 99
うじいえ さだなお 通常版 羽前 1519 (1504-1570)最上家臣。天文の大乱の際には主君・義守の名代として出陣した。主家の御家騒動の際は、重病の身ながら義守を説得し義光への家督譲り渡しを実現させた。
氏家 定直 武将
[外交] [連射] [説得]  584868 6080 98
うじいえ もりむね 通常版 羽前 1549 (1534-1591)最上家臣。定直の子。知略に長け、天童家や白鳥家討伐に大きく貢献した。ほかに使者として伊達家に赴いたり、真室城を攻略するなど、各方面で活躍した。
氏家 守棟 武将騎馬
[商業] [守戦] [混乱]  524370 5785 97
なりさわ みつうじ 通常版 羽前 1580 (1565-1623)最上家臣。成沢家の出身で、守棟の跡を継いだ。関ヶ原合戦では、侵攻してきた上杉景勝軍を相手に奮戦する。家親が当主になると、領国の治政を担当した。
成沢 光氏 武将騎馬
[訓練] [攻城] [突撃]  155937 5475 97
きただて としなが 通常版 羽前 1563 (1548-1625)最上家臣。大学と称す。治水工事を行って庄内平野の水不足を解消させた。この堰は「大学堰」と呼ばれ、主君・義光が「庄内末世の重宝」と絶賛したという。
北楯 利長 武将
[開墾] [治水]  691653 3755 96
しむら みつやす 通常版 羽前 1575 (1560-1609)最上家臣。主君・義光の腹心として活躍し「いかなる強敵も彼には降った」といわれた。関ヶ原合戦の際は長谷堂城を守り、直江兼続の大軍を見事に撃退した。
志村 光安 武将騎馬
[改修] [回復] [突撃]  195561 5085 97
たておか みつしげ 通常版 羽前 1562 (1547-1623)最上家臣。湯沢城主。関ヶ原合戦の際には小野寺家の攻撃を受けたが、孤軍奮闘して城を守り抜いた。知行は最上家臣団の中で最高の4万8千石を領した。
楯岡 満茂 武将騎馬
[引抜]  324146 5360 97
にいぜき ひさまさ 通常版 羽前 1583 (1568-1623)最上家臣。因幡守を称す。赤川の水を引く用水堰工事を行うが、主家改易で中断され、土井利勝に預けられた。後年、用水堰は完成し、「因幡堰」と呼ばれた。
新関 久正 武将
[開墾] [治水]  493737 2275 95
のべさわ みつのぶ 通常版 羽前 1559 (1544-1591)最上家臣。はじめ天童家に仕えたが、嫡男・康満に最上義光の娘・松尾姫を迎える条件で和睦した。大力剛勇の武将で、義光は内心脅威を感じていたという。
延沢 満延 武将騎馬
[訓練] [捕縛] [突撃]  107431 7965 93
やがしわ なおいえ 通常版 羽前 1566 (1551-1610)最上家臣。伊達晴宗・輝宗親子が対立した際、和解を促す使者として伊達家に赴いた。最上・伊達両家の和解対面の際には、主君・義光の名代を務めた。
谷柏 直家 武将騎馬
[回復]  513335 3455 95
だて まさむね 通常版 羽前 1582 (1567-1636)伊達家17代当主。輝宗の嫡男。瞬く間に周辺諸国を切り従えて24歳で奥州に覇を唱え「独眼竜」と畏怖された。権謀術数で豊臣・徳川両政権を生き抜いた。
伊達藤次郎政宗 武将鉄砲
[外交] [奉仕] [三段] [混乱]  858684 9940 69
だて まさかげ 通常版 羽前 1564 (1549-1607)伊達晴宗の三男。留守顕宗の娘を娶り、留守家を継いだ。兄・輝宗や甥・政宗に従い、相馬家や最上家との戦いで活躍した。朝鮮出兵後、伊達姓を与えられた。
伊達六郎政景 武将
[商業] [収拾]  495445 2770 69
かたくら かげつな 通常版 羽前 1572 (1557-1615)伊達家臣。19歳で主君・政宗の傅役となり「智」の面で政宗を補佐した智将。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣するよう政宗を説得し、伊達家の存続に貢献した。
片倉小十郎景綱 武将騎馬
[開墾] [外交] [攻城] [説得]  807679 5695 69
かたくら しげなが 通常版 羽前 1600 (1585-1659)伊達家臣。景綱の子。大坂夏の陣で後藤又兵衛らを討ち取るなど活躍、徳川家康から「鬼」と評された。美形で知られ小早川秀秋が追い回したという話が残る。
片倉小十郎重長 武将鉄砲
[激励] [捕縛] [雨撃]  526542 4880 69
ごとう のぶやす 通常版 羽前 1570 (1555-1614)伊達家臣。湯目重弘の次男で、後藤家を継ぐ。檜原城を守り、蘆名家に備えた。知勇に秀で、合戦の際は必ず黄色の母衣を用いたため「黄後藤」と畏れられた。
後藤孫兵衛信康 武将騎馬
[訓練] [捕縛]  85928 6670 69
はらだ むねとき 通常版 羽前 1580 (1565-1593)伊達家臣。18歳で兵馬の権を与えられ各地で戦功を立てた剛勇の士。豊臣秀吉の朝鮮出兵に従軍中、病死した。「伊達騒動」の原田甲斐は宗時の孫である。
原田 宗時 武将騎馬
[回復] [収拾] [突撃]  176844 5270 69
さたけ よしかど 通常版 常陸 1531 (1516-1565)佐竹一門。北家・義信の次男。兄・義住の戦死により家督を継ぐ。若年の宗家・義昭に仕え、東家・義堅や南家・義里らと交代で佐竹家の家政を執行した。
佐竹又七郎義廉 武将荷駄
[槍衾]  583721 5555 19
さたけ よしこれ 通常版 常陸 1558 (1543-1582)佐竹一門。北家・義廉の嫡男。常陸南部方面の総指揮を執り、江戸家などの有力国人の指南にあたった。また、上杉家に書状を発するなど外交活動も行った。
佐竹又七郎義斯 武将
[攻城]  334035 1965 19

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