武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
おおた | | やすすけ |
通常版 |
相模伊豆 |
1546 |
(1531-1581)北条家臣。資高の子。のちに里見家に属し、第二次国府台合戦に従軍した。武田家・上杉家に飛脚を送るなど、外交でも活躍。三十人力の豪傑であったという。 |
太田 | 源六郎 | 康資 |
武将 | 騎馬 |
[改修] [激励] [突撃] |
23 | 65 | 19 |
56 | 85 |
31 |
おおた | | しげまさ |
通常版 |
相模伊豆 |
1576 |
(1561-1610)徳川家臣。康資の子。はじめ父とともに里見家に属す。父の死後は、佐竹家に属していた太田資正を頼る。のちに徳川家康に仕えた。妹は家康の側室となった。 |
太田 | 新六郎 | 重正 |
武将 | 鉄砲 |
[開墾] |
40 | 28 | 31 |
17 | 70 |
31 |
いしまき | | やすまさ |
通常版 |
相模伊豆 |
1549 |
(1534-1613)北条家臣。御馬廻衆の一人で、評定衆を務めた。主君・氏直が上洛を反古にした際、弁明のために豊臣秀吉のもとに赴いた。主家滅亡後は徳川家康に仕えた。 |
石巻 | | 康敬 |
武将 | 弓 |
[外交] |
53 | 28 | 22 |
16 | 65 |
91 |
まつだ | | のりひで |
通常版 |
相模伊豆 |
1545 |
(1530-1590)北条家臣。筆頭家老を務める。豊臣秀吉の小田原征伐の際は小田原城への籠城を主張し採用された。のちに秀吉に寝返ろうとして失敗、戦後、自害させられた。 |
松田 | | 憲秀 |
武将 | 弓 |
[開墾] [引抜] |
58 | 10 | 66 |
71 | 35 |
17 |
いまがわ | | うじてる |
通常版 |
駿河遠江 |
1526 |
(1513-1536)今川家8代当主。幼くして家督を継いだため、実母・寿桂尼の後見を受ける。自ら政務を執り始めた矢先に急死。子が無かったため、死後に家督争いが生じた。 |
今川 | 五郎 | 氏輝 |
武将 | 弓 |
[開墾] [登用] [連射] |
75 | 68 | 74 |
81 | 55 |
41 |
いまがわ | | よしもと |
通常版 |
駿河遠江 |
1534 |
(1519-1560)今川家9代当主。異母兄・玄広恵探を倒し、家督を継ぐ。甲相駿三国同盟を結んで後顧の憂いを断ち、上洛の途につくが桶狭間で織田信長の奇襲を受け、絶命。 |
今川 | | 義元 |
武将 | 鉄砲 |
[商業] [茶湯] [槍衾] |
79 | 76 | 66 |
99 | 55 |
41 |
いまがわ | | うじざね |
通常版 |
駿河遠江 |
1553 |
(1538-1614)今川家10代当主。義元の嫡男。父の死後、家督を相続。しかし、蹴鞠や和歌に傾倒し、無為の日々を送る。その結果、徳川家康と武田信玄に領国を追われた。 |
今川 | 五郎 | 氏真 |
武将 | 槍 |
[逃亡] |
32 | 20 | 3 |
60 | 75 |
41 |
あさひな | | やすよし |
通常版 |
駿河遠江 |
1512 |
(1497-1557)今川家臣。掛川城主を務める。1548年の小豆坂合戦において、太原雪斎を補佐して織田信秀の軍を破るなど、今川家の西方侵攻軍の先鋒として活躍した。 |
朝比奈 | 弥次郎 | 泰能 |
武将 | 荷駄 |
[改修] |
61 | 51 | 49 |
24 | 75 |
41 |
あさひな | | やすとも |
通常版 |
駿河遠江 |
1538 |
(1523-1582)今川家臣。泰能の子。駿河を追われた主君・氏真を居城・掛川城に迎え入れ、徳川軍と戦う。5か月の籠城戦の末に開城し、氏真とともに駿河に落ち延びた。 |
朝比奈 | | 泰朝 |
武将 | 騎馬 |
[改修] [激励] [守戦] |
28 | 65 | 41 |
10 | 100 |
41 |
いい | | なおたか |
通常版 |
駿河遠江 |
1602 |
(1590-1659)徳川家臣。直政の次男。病弱だった兄・直継に代わって家督を継ぎ、近江彦根藩主となった。大坂夏の陣に参陣し、長宗我部盛親・木村重成の両軍を撃破した。 |
井伊 | 弁之介 | 直孝 |
武将 | 鉄砲 |
[改修] [三段] [槍衾] |
64 | 66 | 52 |
40 | 75 |
91 |
おかべ | | ながもり |
通常版 |
駿河遠江 |
1583 |
(1568-1632)徳川家臣。正綱の子。長久手合戦などで戦功をあげ、主君・家康が関東に入部した際に上総・下総で1万2千石を与えられた。のちに丹波亀山2万石を領した。 |
岡部 | 弥二郎 | 長盛 |
武将 | 鉄砲 |
[商業] |
43 | 28 | 35 |
48 | 65 |
16 |
くの | | むねよし |
通常版 |
駿河遠江 |
1542 |
(1527-1609)徳川家臣。久能城主。はじめ今川家に仕えるが、徳川家臣・高力清長を通じて徳川家康に属す。家康の関東入国時に佐倉城主となるが、のちに久能城に戻った。 |
久能 | 三郎左衛門 | 宗能 |
国人衆 | 槍 |
[改修] |
41 | 35 | 48 |
27 | 40 |
17 |
ほんだ | | ただまさ |
通常版 |
三河 |
1590 |
(1575-1631)徳川家臣。忠勝の嫡男。小田原征伐、関ヶ原合戦、大坂の陣などに従軍し、播磨姫路15万石を領した。嫡男・忠刻は豊臣秀頼と死別した千姫と結婚している。 |
本多 | 平八郎 | 忠政 |
武将 | 鉄砲 |
[商業] [収拾] |
48 | 48 | 46 |
19 | 75 |
91 |
いな | | ただつぐ |
通常版 |
三河 |
1565 |
(1550-1610)徳川家臣。主君・家康の近習を務め、民政に参画。関東における検地・知行割・治水は江戸幕府の経済基盤確立に貢献しその地方仕法は「伊奈流」と呼ばれた。 |
伊奈 | 熊蔵 | 忠次 |
一向宗 | 槍 |
[治水] [逃亡] |
74 | 3 | 12 |
20 | 45 |
81 |
どい | | としかつ |
通常版 |
三河 |
1588 |
(1573-1644)徳川家臣。水野信元の子。徳川家康の落胤という説もある。秀忠・家光と将軍二代に仕えて老中・大老などを歴任。江戸幕府の基盤安定に多大な功績を残した。 |
土井 | 甚三郎 | 利勝 |
武将 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
74 | 10 | 61 |
54 | 70 |
81 |
まきの | | やすなり |
通常版 |
三河 |
1570 |
(1555-1609)徳川家臣。牛久保城主。関ヶ原合戦では徳川秀忠軍に属す。上田城攻めで奮戦するが、軍令違反があり、蟄居する。のちに許されるが、健康を害して隠居した。 |
牧野 | 新二郎 | 康成 |
武将 | 荷駄 |
[開墾] [槍衾] |
33 | 44 | 27 |
31 | 70 |
91 |
やまぐち | | しげまさ |
通常版 |
尾張 |
1579 |
(1564-1635)徳川家臣。はじめ織田家臣・佐久間正勝に仕える。正勝失脚後は織田信雄に仕え信雄改易後、家康の招きを受けた。しかし、のちに家康の勘気を受け蟄居した。 |
山口 | 長二郎 | 重政 |
武将 | 鉄砲 |
[捕縛] |
19 | 29 | 47 |
56 | 70 |
81 |
しば | | ひでより |
通常版 |
尾張 |
1556 |
(1541-1593)斯波義統の次男。織田家に仕えて各地を転戦、信濃平定後、信濃伊那郡を領す。本能寺の変後は豊臣秀吉に属して九州征伐などに従軍、信濃飯田城主となった。 |
斯波 | | 秀頼 |
武将 | 荷駄 |
[捕縛] [槍衾] |
18 | 44 | 20 |
21 | 75 |
18 |
しば | | よしふゆ |
通常版 |
尾張 |
1560 |
(1545-1584)斯波義統の三男。松ヶ島城主。織田信雄の家老を務めた。のちに豊臣秀吉の謀略に乗せられた主君・信雄により、岡田重孝らとともに長島城で殺害された。 |
斯波 | 源三郎 | 義冬 |
武将 | 弓 |
[外交] [逃亡] |
33 | 28 | 23 |
32 | 65 |
18 |
ほんだ | | としとも |
通常版 |
尾張 |
1566 |
(1551-1610)豊臣家臣。利久の子。高取城主。関ヶ原合戦では東軍に属し、居城が城主不在となる。そのため西軍の攻撃を受けるが落城を免れた。戦後、本領を安堵された。 |
本多 | | 利朝 |
国人衆 | 荷駄 |
[槍衾] |
36 | 17 | 38 |
59 | 65 |
21 |