『信長の野望 天道』登録武将配布
『信長の野望・天道』用に作成した登録武将を公開しております。
>>投稿いただいた新武将データはこちら
zip ファイルをダウンロードして解凍して展開された武将ファイル(****.13B)を
マイドキュメント内の「\KOEI\Nobunaga13\EDIT\BUSHOU」へコピーしてゲームを起動し、
武将登録メニューの「登録武将データの出力・読込」で読み込みを実行。
「登録武将の登場/待機切替」で「登場」状態に切り替えるとゲームで使用できるようになります。
2009年12月29日公開分
九州に帰省しているため、九州の武将6名を追加。
松浦家臣。朝鮮派兵では渡海。
一時福島正則に属すが、正則の改易後は松浦家に戻る。
外国商館との折衝や財政整理の断行など、内政や外交に辣腕を振るった。
朝長純利(ともながすみとし)
大村家臣。筆頭家老を務めた。フロイスの書簡にも名が見える。
朝長家は大村家譜代の臣で、弟・純安は横瀬の宗門奉行を務めるなど、
主家を助けて活躍した。
西郷純尚(さいごうすみひさ)
有馬家臣。西郷純堯の子。伊佐早城主。
龍造寺隆信に攻められて敗れ、弟・深堀純賢の説得により降伏、
家臣となった。 羽柴秀吉の九州征伐に参陣せず、討たれた。
深堀純賢(ふかぼりすみまさ)
有馬家臣。大村家臣・長崎家と何度も争う。
各地の合戦で教会を焼き払ったためフロイスに
「容貌、体つきは甚だ醜く滑稽で、所業もそれ相応」と酷評された。
北里政義(きたざとまさよし)
阿蘇家臣。肥後岩櫃城主。大友家とも親交を結び、豊前に出陣している。
島津家の肥後侵攻軍に降るが、親大友家の子・重義と争った。
後に加藤清正に仕えた。
稲津重政(いなづしげまさ)
伊東家臣。清武城主。
関ヶ原合戦では西軍方の宮崎城を落とす。戦後、幕命による宮崎城返還も拒否。
主君・伊東祐慶の自害命令も拒否して居城に籠城、廃止した。
>武将データ(2009年12月29日公開分)をダウンロード<
2009年12月26日公開分
『柳生非情剣SAMON』(原作:隆慶一郎,脚本:田畑由秋,作画:余湖裕輝)に関連した剣豪武将3名を追加。
柳生石舟斎と柳生利厳
新陰流を継承したのはこちら
柳生左門知矩
大和の豪族。柳生宗厳の長男。
合戦の時に受けた鉄砲傷がもとで半身不随となり、
生涯を柳生の里で過ごした。
子・兵庫助利厳がのちに柳生新陰流の印可を受けた。
柳生利厳(やぎゅうとしよし)
剣豪。柳生厳勝の次男。妻は島清興の娘。
祖父・石舟斎宗厳より印可状を受け、
柳生新陰流の継承者となる。
一時加藤清正に仕えるが人を斬り浪人。
のち尾張徳川家の剣法指南役となった。
柳生知矩(やぎゅうとものり)
柳生宗矩の次男。十兵衛三厳の異母弟。左門。
母親譲りの美男子で、将軍・徳川家光の小姓となって
寵愛を受け、多くの人から妬まれた。
若くして病没した。
『柳生非情剣SAMON』は、隆慶一郎先生の短編小説集で、
『柳生非情剣』の中の
柳生左門知矩を主役とした「柳枝の剣」をベースに漫画化した作品。
『影武者徳川家康』や『吉原御免状』で敵役として活躍(?)した柳生一族の視点で
描かれており、将軍・家光と息子・左門との関係に頭を悩ます柳生但馬守宗矩や、
十兵衛三厳も登場します。
最終章の「十兵衛の最期」はオリジナルエピソードながら隆慶ファンに納得の出来でありました。
【おまけ】下ネタ注意
「尻一つで十三万石だとぉ」とか「槍先の功名も、尻一つに及ばぬとは」等、
作中でやたら「尻」が強調されておりますが、徳川家光は女装が趣味だったという話も残っていたので、
ひょっとしたら左門さんも、「槍働き」をしていたかもしれません・・・・
というわけで、柳生知矩の新武将データの合戦戦法は、そういう洒落で設定しています。
>武将データ(2009年12月26日公開分)をダウンロード<
2009年11月20日公開分
今回は「ゲッサン」で連載されている『忍びの国』(坂ノ睦)に登場する北畠信雄の家臣2名と、他3名の武将データを公開。
この作品は、『のぼうの城』を書いた和田竜先生の同名の小説が原作で、舞台は「天正伊賀の乱」。
父・信長に認めてもらえるよう、伊賀攻めを決意する織田信雄と、織田軍を撃退することによって
伊賀衆の名声を高め、忍び働きの値を吊り上げようと策を巡らす百地三太夫ら伊賀十二評定衆。
両勢力の動きを追いつつ、その下に属している様々な人物がそれぞれの思惑で動いており、
出てくる人物が皆、主人公だと思えてしまうような群集劇に仕上がっております。
北畠具教殺害を命じる織田信雄(右)と
それに応じる長野左京亮(左)
柘植三郎左衛門
信長の命を無視して
伊賀攻めを信雄に進言
北畠家臣。織田信長の伊勢侵攻時には大河内城に籠り防戦した。
後に織田信雄に仕え、旧主・北畠具教を謀殺。
小牧長久手の合戦では信雄側から秀吉方に寝返るが討死した。
柘植三郎左衛門保重(つげさぶろうざえもんやすしげ)
木造家臣。伊賀の出身。織田信長の伊勢侵攻時には主君である
木造具政を説得して北畠家から離反させた。
その際、北畠家へ人質に出していた子を北畠具教に殺されたという。
のちに信長の二男・織田信雄の家老となり、伊賀征伐に従軍して討死した。
渡辺教忠(わたなべのりただ)
西園寺家臣。河後森城主。西園寺十五将の1人。土佐一条家の出身。
一条家侵攻時に傍観し主家に攻撃され人質を出して降伏。
一条家滅亡後は長宗我部家に攻められ没落した。
得居通年(とくいみちとし)
豊臣家臣。恵良城主。来島通康の子。
土居・得能両家の子孫であるため、2字を取り得居姓を名乗る。
主君・秀吉の朝鮮派兵に水軍を率いて従軍し、戦死した。
来島通総(くるしまみちふさ)
豊臣家臣。通康の四男。はじめ河野家に属す。
主君・秀吉の四国征伐の際には兄・得居通年とともに先鋒を務めた。
朝鮮派兵に水軍を率いて従軍し、戦死した。
コミック『忍びの国』(坂ノ睦)の第1巻は12月12日発売予定。
小説の方も『のぼうの城』と同じくすんなり読めるので、
発売前に予読しておくのもよろしいかと。
『信長の野望・天道』には柘植三郎左衛門を討ち取った人が登場するんだけど、
なんとも微妙な能力値。これを基準に柘植三郎左衛門の能力値を設定すると、
可哀相な感じになるので、若干底上げしています。
>武将データ(2009年11月20日公開分)をダウンロード<
2009年11月08日公開分
『センゴク』(宮下英樹)関連の武将2名と他2名を追加しました。
山崎吉家
金ヶ崎の退き口で秀吉軍を追撃
大野木茂俊
大野木秀俊と同一人物?
朝倉家臣。朝倉宗滴に従って一向一揆を鎮圧した。
織田家と戦い、織田信治、森可成を討ち取った。
刀禰坂の戦いで朝倉義景の殿軍を務め、退却中戦死。
大野木秀俊(おおのぎひでとし)
浅井家臣。横山の守備を務める。姉川の合戦の後は小谷城を守るが
羽柴秀吉に投降し、京極丸へ織田軍を導き入れた。
小谷城落城後は信長の命で中村一氏に処断された。
多胡辰敬(たこときたか)
尼子家臣。石見刺賀岩山城主を務め、毛利軍の攻撃により戦死した。
「多胡辰敬家訓」の一節「命は軽く、名は重く」は有名で
「葉隠」にも紹介されている。
堀内氏善(ほりのうちうじよし)
紀伊の豪族。熊野神宮別当を務めた。豊臣秀吉の紀州征伐軍に降る。
朝鮮派兵では水軍を率いた。関ヶ原合戦で西軍に属して改易され、
加藤清正に預けられた。
『センゴク』は羽柴秀吉隊の先駆けを務める仙石権兵衛秀久を主人公にした
一兵卒の視点から見た戦国大名を描いた戦国漫画。
当時の文献を参考にしつつも、時には独自の大胆な解釈を展開することもあり、
続きを読むのが楽しみな漫画の1つでもある。
山崎吉家は「金ヶ崎の退き口編」から朝倉家の追撃部隊として早くから登場。
朝倉家中での武を担う猛将として登場、刀根坂では壮絶な最期を遂げております。
『信長の野望 天翔記』でも登場しておりますが、真柄兄弟のの陰に隠れてしまった感じ。
今回作成した大野木秀俊は作中に登場する大野木茂俊と同一人物か確認できませんでした。
浅井家臣のうち北近江の豪族で「浅井四翼」と呼ばれた人達がいるんだけど、そのメンバーが
磯野員昌、野村定元、大野木国重、三田村秀俊とあって、更にややこしいことに・・・・
>武将データ(2009年11月08日公開分)をダウンロード<
2009年11月05日公開分
『シグルイ』(山口貴由)関連の武将を追加しました。
朝倉宣正
掛川城主。第1話にも登場。
安藤直次
頼宣は厳しく育てたけど、
忠長には甘かったのかな?
徳川忠長
最近、よく喋るようになりました
朝倉景鏡の弟。朝倉孝景との争いに敗れ、越前を追われた父・景高と別れて
駿河の今川氏を頼った。安倍七騎の筆頭にも挙げられ、今川家滅亡後は
中村一氏、次いで徳川家康に仕えた。
朝倉宣正(あさくらのぶまさ)
朝倉在重の子。徳川秀忠に仕える。秀忠が関ヶ原へ向かう途上の
第二次上田合戦で活躍し、小野忠明や中山照守と共に上田七本槍の
一人に挙げられた。後に徳川忠長の附家老に任じられ掛川城主となるが、
忠長が幕命により改易されると連座し、改易となった。
安藤直次(あんどうなおつぐ)
徳川家臣。通称・帯刀。幼少時から家康に近侍し、姉川の戦い、
長篠合戦、長久手合戦と従軍した。
家康からの信頼も厚く、徳川幕府成立後には側近として仕え、
幕政を支えた。のちに家康の子・頼宣の傅役となり、紀伊に赴く。
徳川忠長(とくがわただなが)
徳川秀忠の三男。父の秀忠や母の於江から寵愛を受け、
3代将軍の座を兄・家光と争うが祖父・家康に阻まれる。
駿河、甲斐、遠江などを領し、駿河大納言と称せられたが、
将軍家に憎まれ不行状を理由に改易の上、自害させられた。
※武将データを出力した際に、朝倉在重と朝倉宣正の親子関係が消去されてます。
ゲームで「読込」を実行した後には親子関係を再設定してください。
『シグルイ』は徳川忠長が駿府城で開催した寛永御前試合を題材にした
南條範夫の小説『駿河城御前試合』の第1試合「無明逆流れ」を基に
山口貴由が独自のアレンジを加えて漫画化したもの。
ダイナミックな剣術アクションが描かれてますが、どことな冷やりとした雰囲気の作品。
人間離れした技前を持つ剣術家も多く登場しますが、徳川家の権力に抗えなかったり、
将軍家と徳川忠長の暗闘に巻き込まれたりして理不尽な死に方をする人も多いです。
この作品を読むと、つくづく「剣ではあまり出世できない」って思えてきます。
この作品で朝倉宣正の名を見たときは、「朝倉家滅亡後に越前から駿河まで流れてきたのかな?」
と思いましたが、よくよく調べてみると、父親の代から駿河に渡っていたようですね。
安藤直次さんは扱いが面倒な三河武士の代表的存在として一部で有名になりつつありますね。
【関連サイト】
>>安藤直次(帯刀)の項
...[戦国ちょっといい話・悪い話まとめ様]
>>三河武士トリビア40「安藤直次は主君から借りた望遠鏡を‥」
...[みかぶしトリビア・リニューアル様]
徳川忠長は悲劇の人っぽい生涯で、美化されそうなんだけど、
大抵の小説や漫画は傲岸不遜な驕児って描かれる事が多いですね。
>武将データ(2009年11月05日公開分)をダウンロード<
2009年10月30日公開分
安東家臣。愛季の直臣。安東家に叛旗を翻した浅利勝頼を追放後、大館城に入り比内代官となった。
のちに南部家に内応し、北信愛を大館城に入れた。
藤井友忠(ふじいともただ)
※詳細は下記に掲載
高田吉次(たかだよしつぐ)
高田流槍術の祖。宝蔵院胤栄に槍術を学んだ。大坂の陣で豊臣方に加わったため浪人となり、
江戸で道場を開いた。のちに豊前小倉藩主・小笠原忠政に仕えた。
佐牟田長堅(さむたながかた)
相良家臣。薩摩・肥後国境の大畑城主。胆略があり常に犬を連れて国境で狩猟をした。
島津家の降伏勧告を幾度となく断った為、狩猟中に伏兵に遭い殺された。
「箕輪城まつり」の記事
を見て、藤井豊後守友忠が
『雪の峠・剣の舞』(岩明均)に登場していたのを思い出し、急遽作成。
『剣の舞』は上泉伊勢守の弟子で、剣豪として大成する前の
疋田文五郎を主人公とした箕輪城を舞台にした漫画。
藤井友忠は箕輪城主・長野業正の家臣。
上泉信綱と並び「長野十六槍」の一人として名が挙がっている。
業正の死後、業盛が後を継ぐと武田信玄の侵攻が激化。
1566年、箕輪城落城の際には少数の手勢を率いて城外へ出撃。
武田勝頼を組み伏せ、首を取る所まで追い詰めたが背後に回った原胤元に討ち取られた。
上泉伊勢守が敵兵を撹拌している一方で、このような活躍をしていたのですね。
>武将データ(2009年10月30日公開分)をダウンロード<
2009年10月26日公開分
蘆名家臣。平田舜範の次男。主家滅亡後は上杉景勝の近侍となり、清野家の家督を継ぎ、
伊南城代を務めた。上杉家が米沢へ移封された後は米沢奉行となった。
笠間綱家(かさまつないえ)
宇都宮家臣。笠間城主。笠間家は宇都宮家の庶流であったが、豊臣秀吉の小田原征伐の際に
北条家に属したため、宇都宮国綱から討伐を受け、滅亡した。
本多政重(ほんだまさしげ)
※詳細は下記に掲載
柳沢元政(やなぎさわもとまさ)
足利家臣。義晴、義輝、義昭の3代に仕える。信長により義昭が京から追放された際には
共に備後鞆へ移るが、毛利家臣となった。一時は豊臣秀吉にも仕えた。
田坂全慶(たさかぜんけい)
沼田小早川家臣。田坂家は小早川家の庶流で、代々執権職を務めた。
竹原小早川家を継いだ隆景の宗家相続に強く反対した為、のちに毛利元就に謀殺された。
西園寺宣久(さいおんじのぶひさ)
西園寺家臣。公広の弟。板島城主。西園寺十五将の1人に数えられ、板島殿と呼ばれた。
伊勢神宮へ参拝した際、紀行日記である「伊勢参宮海陸記」を著した。
そろそろ大河ドラマ「天地人」で直江兼続の婿養子になる本多政重が登場しそうなので作成。
本多政重は徳川家康の重臣・本多正信の次男。
慶長2年(1597年)に徳川家を出奔し、大谷吉継、宇喜多秀家、福島正則、前田利長と、
各地の大名家に仕えた(関ヶ原の合戦では西軍の宇喜多家臣として参陣)。
慶長9年(1604年)、徳川幕府との接近を図る直江兼続の婿養子となって直江勝吉と名を改めるが、
慶長16年(1611年)に上杉家・直江家の家臣を連れて前田家へ帰参。
以後は前田家臣として忠実に仕え、加賀藩の中で最も高い禄高の家柄として重きをなした。
経歴だけ見てみると、マイナーなのが不思議な人物。
(「信長の野望」「太閤立志伝」でも未登場)
政智に長けた本多正信&正純と同じ血が流れているとは思えないのだけど、
正信の弟の政重(Wiki)と、正純・政重の弟の忠純(Wiki)の経歴を見てみると、
むしろ正信&正純が本多家のスタンダードから外れているような気がします。
(そういえば正信も徳川家を出奔して松永久秀に仕えてたりしているんですよね)
以前、「コミック三国志マガジンン」で『曹操孟徳正伝』を描かれていた大西巷一先生が
北陸の地方紙「アクタス」という雑誌で、前田利常に嫁ぐため幼くして加賀へ送られた
徳川秀忠の次女・珠姫を主人公にした『おてんば珠姫さま!』という歴史漫画に
本多政重がちょこちょこ出ているようです。
【参考リンク】
>>『おてんば珠姫さま!』第10回
...[大西先生のブログ「巷にひとり在り」より]
>武将データ(2009年10月26日公開分)をダウンロード<
2009年10月18日公開分
信濃高遠城主。諏訪頼忠の嫡男。父の死後家督を継ぎ、2万7千石を領した。
内政に励み領国の安定に尽力。改易され蟄居処分を受けた松平忠輝を預かり優遇した。
中山信正(なかやまのぶまさ)
浦上家臣。備前亀山城主。娘は宇喜多直家に嫁ぐ。のちに島村盛実と談合して
謀叛を企んだとの風聞により、主君・浦上宗景の命を受けた婿・直家により殺された。
宗像氏貞(むなかたうじさだ)
大内家臣。宗像神社大宮司。正氏の子。父の猶子・氏男の死後、陶晴賢の支持を得て
家督争いを制した。宗像家最大の版図を築くが、嗣子が無いまま急死。
豊臣秀吉の九州征伐の際に全領を没収されて宗像家は滅亡した。
伊東祐安(いとうすけやす)
伊東家臣。伊東義祐の義弟という。知友兼備の将といわれた。木崎原合戦の際に
総大将を務めるが、兵力に劣る島津軍の攪乱戦法や奇襲攻撃の前に敗れ、戦死した。
田村清顕(たむらきよあき)
※詳細は下記に掲載
田村愛(たむらめご)
※詳細は下記に掲載
田村清顕
田村愛
『姫武将政宗伝ぼんたん!!』
(阿部川キネコ)より
伊達政宗の側室・猫御前が追加されるのに、
正室である愛姫が登場しないのは変な気がするので
今回は田村清顕・田村愛親娘を追加しました。
【関連サイト】webコミック GENZOより
『姫武将政宗伝 ぼんたん!!』第3巻 作品紹介
伊達政宗の元服と愛姫の輿入れの話が描かれている
第1話が公開されております。
この漫画に登場する奥州の男達は総じて娘に弱い・・・・
田村清顕は田村隆顕の子で三春城主。母は相馬顕胤の娘。
蘆名盛氏らと結んで佐竹義重の連合軍を迎撃したり、
佐竹家と結んで蘆名家の長沼城を攻めるなど、状況に応じた
外交戦略をとって、小勢力ながら独立を保った。
娘の愛姫は伊達政宗に嫁ぎ、大きな後ろ楯となったが、
後継を決めぬまま死去した為、家中は伊達派と相馬派の
2分に分裂してしまう。
田村愛は清顕の娘。伊達政宗の正室となり3男1女をもうける。
温厚かつ芯の強い女性で、夫によく尽くした。豊臣秀吉に
政宗が臣従した後には人質として伏見で暮らし、国元の夫に
激励の手紙や京の情勢を送っている。
※武将データを出力した際に、田村清顕と愛姫の親子関係が消去されてます。
ゲームで「読込」を実行した後には親子関係を再設定してください。
『信長の野望 蒼天録』の時に比べ、田村隆顕の能力が全体的に底上げされている為、
清顕の方も今までにない良将になってしまいました。
愛姫の方は適当。ゲーム登場時に姫武将でなく通常の姫として登場させる機能が欲しいです。
ちなみに大名およびその一門の武将の娘を新武将として作成すると、通常の姫として登場します。
※2009年12月4日血縁設定を修正しました
>武将データ(2009年10月18日公開分)をダウンロード<
2009年10月15日公開分
結城家臣。玉岡氏は結城氏一族で、結城合戦の頃から従っていたという。
政広は政勝に仕え、結城氏家臣団の筆頭的存在であり、最重要の地を任された。
堀江頼忠(ほりえよりただ)
里見家臣。1587年の鹿野山神野寺の棟札に名が見える。
家老を務め、1,300石を知行した。主家改易後は主君・忠義に従い伯耆倉吉に赴き同地で病没。
伊丹康直(いたみやすなお)
今川家臣。伊丹城主・雅興の子。幼少の頃に駿河に逃れ、今川家に仕える。
氏真の代には海賊奉行を務めた。主家滅亡後は武田家、徳川家で船奉行を務めた。
新開実綱(しんかいさねつな)
三好義賢の婿。勇将として知られる。長宗我部元親の阿波侵攻に降ったが、
のちに元親に忙殺された。その時の血塗れの縁板が「丈六寺の血天井」として残る。
牛尾幸清(うしおゆききよ)
尼子家三代に仕えた家老。吉田郡山城攻めなどに従軍した。
月山富田城篭城戦では落城寸前まで城内に留まって戦うが、のちに嫡男・久信とともに降伏した。
千坂景親(ちさかかげちか)
※詳細は下記に掲載
『北斗無双』が発表されたので、今回は『花の慶次-雲のかなたに』
(作:隆慶一郎,画:原哲夫,脚本:麻生未央)に登場した
千坂景親を追加しました。
千坂景親は上杉家臣。上杉謙信没後の御館の乱では、
上杉景勝側に属して武田家との同盟を成功させるなど、
家督相続に貢献した。
のちに京都伏見留守居役を命じられ、関ヶ原合戦後は
伏見にあって本庄繁長と共に徳川家康・本多正信を
相手に和平交渉に尽力した。
ということで、政治と智謀を(上杉家臣にしては)高めに設定。
『花の慶次』で「信長の野望シリーズ」に登場していない人が他に思い浮かばないので、
(強いて挙げれば佐渡の本間一族くらい)本日はここまで。
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2009年10月11日公開分
真宗本願寺派の僧。本願寺9世・実如に仕える。甥の頼秀・頼盛に不穏な動きがあり、
一時出仕をやめるが、のち復帰した。温和な性格で人々に重んぜられた。
楽巌寺雅方(らくがんじまさかた)
村上家臣。楽巌寺城主。もとは楽巌寺の僧であったという。
1548年頃、武田信玄に居城を奪われ、戸石城に逃れる。主家の滅亡後は武田信玄に臣従した。
本山茂辰(もとやましげとき)
土佐の豪族。本山茂宗の子。長宗我部国親の娘を娶る。のちに敵対し、
長浜戸合戦で長宗我部軍に敗れて平野部の拠点・土佐朝倉城を失い、凋落の一途をたどった。
内藤元盛→佐野道可(ないとうもともり→さのどうか)
宍戸元秀の次男で内藤隆春の養子。大坂の陣に際し、毛利輝元の密命で佐野道可と
名を改め兵糧を大坂城へ運び入れ合戦に参加。戦後京都で捕縛され自害した。
蒲生茂清(がもうしげきよ)
大隅の豪族蒲生氏16代。肝付家と結んで島津家に対抗した。島津貴久を窮地に陥らせ、
島津義弘に重傷を負わせるなどしたが、ついに敗北し、身を隠した。
菱刈隆秋(ひしかりたかあき)
北薩摩地方の豪族。兄・重猛の死後、家督を継ぐ。相良家と連携して
島津家に対抗したため、島津軍の攻撃を受けて居城を落とされ、行方不明になった。
新武将の選定や能力値に関しては過去の「信長の野望シリーズ」に登場した武将を参考にしてますが、
マイナーで能力値のしょっぱい人ばかりになるので、漫画に登場するくらいメジャーな武将を入れるようにします。
今回は
『風雲児たち』(みなもと太郎)より、「佐野道可事件」の内藤元盛。
元盛は毛利元就の曾孫・宍戸元続の弟で、毛利輝元の叔父・内藤隆春の養子となり内藤家を継ぐ。
関ヶ原には毛利秀元と共に出陣した。戦後、子の元珍に家督を譲り隠居するが、大坂の陣が始まると
輝元の命により「佐野道可」と名を変えて兵糧を持ち込み大阪城へ入城。
合戦後に京都で捕らえられ、毛利家臣ということが発覚して息子共々幕府より厳しい追及を受けるが
毛利家の関与を隠し通し自害した。
元盛の2人の息子・内藤元珍と粟屋元豊は放免されたが、1年後に発覚を恐れた輝元により自刃。
大阪の陣で豊臣方が勝った場合の布石として毛利輝元が仕掛けたのものの、裏目に出てしまったというお話。
【参考サイト】
>>陰謀か?出奔か?毛利の存続を賭けた「佐野道可事件」
...[今日は何の日?徒然日記様]
>武将データ(2009年10月11日公開分)をダウンロード<
2009年10月07日公開分
蝦夷の国人。志苔館主の家柄だが、蠣崎家に服属した。
天分十二年、蠣崎家の縁戚にあたる若狭武田家に使者として派遣された。
神保長住(じんぼうながずみ)
神保長職の子。父に追放され京都で浪人生活を送ったのち、織田信長に仕える。
越中経略に関わるが、小島職鎮に襲われて越中富山城に幽閉され、失脚した。
不破光治(ふわみつはる)
斎藤家臣。西美濃四人衆の一人。信長が岐阜入城ののち臣従した。
その後、柴田勝家 に付けられ、前田利家・佐々成政ととともに府中三人衆と称された。
太田垣輝延(おおたがきてるのぶ)
山名家臣。竹田城主。太田垣家は山名四天王の一。織田家から毛利家に寝返ったため、
羽柴秀吉に攻められる。一時は居城を奪還するがのちに敗れ、逃亡した。
入田親誠(にゅうだちかざね)
大友家臣。主君・義鑑の嫡男・義鎮の教育係を努めるが義鎮に疎まれ、義鎮の廃嫡を義鑑に進言、
二階崩れの変を引き起こす。変後は逃亡し、肥後で殺された。
渡辺宗覚(わたなべそうかく)
大友家の大砲鋳造責任者。宗麟の命で明に渡り砲術・大砲鋳造技術を習得。
徳川家康に大砲を献じた事から家臣となり、大坂の陣では駿河で大砲を鋳造した。
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