『信長の野望 蒼天録』家宝一覧-武具-
- 刀剣 - 統率上昇
等級 生産国 | 家宝名 | 由来 |
一等級 日本 | 童子切安綱 どうじぎりやすつな | 伯耆国の刀工・安綱作の刀。天下五剣の1つ。源頼光が大江山の酒呑童子を退治した刀といわれる。足利将軍家から織田信長、豊臣秀吉、徳川家らに伝わった。 |
一等級 日本 | 三日月宗近 みかづきむねちか | もとは三条宗近として知られていた刀。半月形の模様が並んでいるため、この名で呼ばれるようになった。天下五剣の1つ。徳川秀忠らが所有した。 |
一等級 日本 | 小烏丸 こがらすまる | 平家重代の名刀。三本足の烏が桓武天皇に授けたといわれる全長8尺の刀。平家の滅亡後は、室町幕府に仕えた伊勢家に伝来し、明治以降は、皇室御物となる。 |
一等級 日本 | 錦包毛抜太刀 にしきつつみけぬきたち | 平将門を討った藤原秀郷の佩刀。秀郷は俵藤太とも称した、下野の豪族。琵琶湖の竜神の願いにより、三上山に住む大ムカデを退治したという伝説を持つ豪傑。 |
二等級 日本 | 大包平 おおかねひら | 愛刀家でもあった池田輝政自慢の豪刀。備前国の名工・包平の作。包平の腕を誇示するかの如く、その姿は大振りで比肩するものはなく、威風堂々としている。 |
二等級 日本 | 数珠丸恒次 じゅずまるつねつぐ | 日蓮が信者から寄進されて以来、ずっと愛用していたという刀。日蓮がこの刀の柄に数珠をかけていたため、この名がついた。 |
三等級 日本 | 大典太光世 おおでんたみつよ | 「鬼丸国綱」と同じく、足利将軍家秘蔵の名刀。筑後国の光世作。身幅の広い、重厚な太刀。豊臣秀吉、前田利家に渡った後、前田家の伝家の宝刀となった。 |
三等級 日本 | 鬼丸国綱 おにまるくにつな | 鎌倉幕府の執権・北条家伝来の刀。北条家の滅亡後は、新田義貞や足利将軍家、織田信長、豊臣秀吉など時の権力者が所有し、天下の名刀として珍重された。 |
四等級 日本 | 大般若長光 だいはんにゃながみつ | 備前国の刀工・長光作の名刀。価が600貫だったため、大般若経600巻にちなんで名付けられた。足利義輝、三好長慶、織田信長、徳川家康らに伝わった。 |
四等級 日本 | 日光一文字 にっこういちもんじ | 北条早雲が手に入れて以降、北条家の家宝となった刀。小田原征伐の際に、北条家との和平工作に活躍した黒田官兵衛に与えられた。 |
五等級 日本 | 宗三左文字 そうさんさもんじ | 三好政長(宗三)が武田信虎に贈呈した刀。のちに今川義元の佩刀となったので「義元左文字」とも呼ぶ。桶狭間合戦で織田信長が入手し、自らの差料とした。 |
五等級 日本 | 骨喰吉光 ほねばみよしみつ | 京の刀工・粟田口吉光作の刀。大友家から足利将軍家に献上された。松永久秀を経て再び大友家に戻ったが、九州征伐後に豊臣秀吉の手に渡った。 |
六等級 日本 | 鬼切安綱 おにきりやすつな | 源義仲が戸隠山中で鬼を斬ったと伝えられる源家重代の名刀。のちに徳川秀忠の娘・和子が後水尾天皇に嫁いだ際に、秀忠から朝廷に献上された。 |
六等級 日本 | 妙法蓮華経 みょうほうれんげきょう | 伊勢桑名の刀工・村正が、日蓮の命日に際して鍛えた刀。妙法蓮華経と銘されてている。村正の中でも傑作と名高く、肥前国の佐賀藩主・鍋島家に伝わった。 |
七等級 日本 | 日光助真 にっこうすけざね | 徳川家康自慢の美刀。一文字派の流れをくむ名工・助真の作。地金の強さ、刃文の美しさは、比類なき仕上がりで、まさに豪壮華麗というにふさわしい。 |
七等級 日本 | へし切長谷部 へしきりはせべ | 織田信長の佩刀。棚の下に逃げ込んだ茶坊主を信長が棚ごと圧し切ったということから、この名がついた。信長から豊臣秀吉、次いで黒田長政の手に渡った。 |
八等級 日本 | 熊野三所権現 くまのさんしょごんげん | 備前長船の名工・長光の作。身幅は細く優美な姿をしている。長光は父・光忠とともに有名で、優れた太刀を数多く残した。熊野地方の豪族・九鬼家に伝来。 |
八等級 日本 | 妙見大菩薩 みょうけんだいぼさつ | 鎌倉時代、吉岡一文字派の名工・助光が焼き上げた太刀。同派の作中、白眉と名高い。「妙見大菩薩」と銘を打つ。三代将軍・徳川家光の佩刀であったという。 |
九等級 日本 | 鞍切景秀 くらぎりかげひで | 伊達政宗が愛用した刀。朝鮮出兵で敵将を斬ったところ、頭を真二つにした上に馬の鞍まで切れたという逸話から「鞍斬り」の異名をもつ。 |
九等級 日本 | 雷切 らいきり | 立花道雪の佩刀。初名は「千鳥」。道雪が戦場で落雷に遭った際、この刀で雷神らしきものを斬って一命をとりとめたとされ、名はこれにちなんで改名された。 |
十等級 日本 | 生駒光忠 いこまみつただ | 織田信長の愛刀の1つ。刀工で名高い、備前長船光忠の作。信長は殊に光忠の刀を好んで収集し、32振もの刀を有していたという。 |
十等級 日本 | 稲葉江 いなばごう | 稲葉重通の愛刀。「江」とは越中国の刀工・義弘の作であることをあらわす。義弘は相州正宗の弟子と伝えられ、その腕は確かなものであったという。 |
- 槍 - 「長槍」編成可能
等級 生産国 | 家宝名 | 由来 |
一等級 日本 | 蜻蛉切 とんぼぎり | 「徳川家康に過ぎたるもの」といわれた猛将・本多忠勝が生涯愛用していた長柄の名槍。蜻蛉が刃先に止まった途端に切れて落ちたため、この名がついた。 |
一等級 日本 | 呑取 のみとり | 豊臣秀吉が福島正則に与えた槍。のちに黒田長政の家臣・母里太兵衛が正則との呑み勝負に勝って譲り受けたためこう呼ぶ。この逸話は黒田節にも謡われた。 |
一等級 日本 | 御手杵 おてぎね | 駿河国の刀工・島田義助作の槍。蜻蛉切や日本号とともに「天下三槍」に数えられる。鞘が手杵に似ていたため、この名がある。川越藩主・松平家が所有した。 |
二等級 日本 | 皆朱槍 かいしゅやり | 天下無双と誉れ高い前田慶次が愛用していた名槍。上杉家では許された者のみが身に付けられる槍であったため、ほかの家臣からの羨望を一身に集めたという。 |
二等級 日本 | 助光銘薙刀 すけみつめいなぎなた | 吉岡一文字派・助光作の薙刀。地刃は静かに冴えわたり、典雅の趣きすら漂う。身幅の広い薙刀で、鎌倉時代に多く見られる作風である。前田家に伝来した。 |
三等級 日本 | 片鎌槍 かたかまやり | 加藤清正愛用の槍。もとは十文字槍だが朝鮮出兵で清正が虎を退治した時、槍の両側の鎌のうち片方を噛み砕かれたため「片鎌」になったという。 |
三等級 日本 | 瓶通槍 びんどおしやり | 酒井忠次の愛用していた槍。この槍で瓶の陰に隠れた敵を瓶ごと突いたところ、槍が瓶を突き抜けて敵を突き刺したことから、こう名付けられた。 |
四等級 日本 | 十文字槍 じゅうもんじやり | 中心の刃の左右に小さな刃が上向きについた槍。奈良興福寺の院主・宝蔵院胤栄が編み出した宝蔵院流槍術では、この十文字槍を使う。 |
四等級 日本 | 長光銘薙刀 ながみつめいなぎなた | 備前国の名工・長光作の薙刀。直刀調で地味ではあるが、むしろ武骨で力強い作風を感じさせる。江戸時代、美作津山の松平家に伝来した。 |
五等級 日本 | 笹穂槍 ささほやり | 穂先が笹の葉の形をしている槍。最も一般的な槍で、多くの雑兵がこの槍を使用していた。戦国時代では槍が主要武器として弓や刀よりも重宝された。 |
五等級 日本 | 来国俊銘薙刀 らいくにとしめいなぎなた | 鎌倉時代に作られた薙刀。京の来派の流れをくむ名工・来国俊の作。直刃を焼くことに優れた国俊の秀作で、その刃の姿は剛直な鎌倉武士に好まれた。 |
六等級 日本 | 景光銘薙刀 かげみつめいなぎなた | 鎌倉時代に作られた薙刀。備前長船の名工・景光の作。その刃は鏡のように美しく、その美しさに目を奪われた敵を難なく討ち取れたという。 |
六等級 日本 | 菊地槍 きくちやり | 短刀の柄をそのまま伸ばしたような形をした、簡素な片刃の槍。軽くて使いやすいのが特長で、なぎ払いや突き・斬りなど多彩な攻撃ができた。 |
七等級 日本 | 千鳥槍 ちどりやり | 身の付け根に左右の鎌がついている槍。左右の鎌が穂先に向かって反っている様を千鳥に見立ててこう呼ぶ。鎌の部分がより隙間のない槍衾を可能にさせた。 |
七等級 日本 | 八幡大菩薩 はちまんだいぼさつ | 鎌倉時代に作られた薙刀。呼称は八幡神と菩薩を混同したものだが、しばしば刀に刻まれ、決戦に臨む者は護符のようにこの銘を尊んだといわれる。 |
八等級 日本 | 沢瀉槍 おもだかやり | 身の付け根に左右の鎌がついている槍。左右の鎌が柄に向かって反っている様を沢瀉の葉に見立ててこう呼ぶ。突いて引く際に鎌で引っ掛けられる利点を持つ。 |
八等級 日本 | 片山一文字 かたやまいちもんじ | 鎌倉時代に作られた薙刀。一文字派の刀工の手によるもの。その切れ味は鬼をも切り裂くと評される豪刀で、姿は大振りで威圧的である。 |
九等級 日本 | 当麻銘薙刀 たえまめいなぎなた | 鎌倉時代に作られた薙刀。大和・当麻派の刀工の作。当麻派は古調な作風が特長だが、この薙刀は鎌倉期の新しい息吹を兼ね備え、豪壮さが感じられる。 |
九等級 日本 | 法城寺 ほうじょうじ | 江戸時代に作られた薙刀。刀身が短く、柄が長い。薙刀は鎌倉時代のものが最も優れ、戦国時代末以降は薙刀の需要が減り、優品に乏しいといわれる。 |
十等級 日本 | 黒漆柄薙刀 くろうるしえなぎなた | 室町時代に作られた薙刀。柄に黒漆がほどこされた一般的なものである。薙刀は戦国時代になって初めて、大将格の武将も用いるようになったという。 |
十等級 日本 | 無銘長巻 むめいながまき | 無銘の長巻。長巻は薙刀の刀身を長くしたもの。太刀と薙刀の長所を兼ねて作られたが、扱いが難しく普及しなかった。人馬の足を薙ぎ払うことに用いた。 |
- 火縄銃 - 「鉄砲」編成可能
等級 生産国 | 家宝名 | 由来 |
一等級 日本 | 種子島筒 たねがしまづつ | 和製鉄砲の第1号。種子島時堯が南蛮鉄砲を買い取り、鍛冶職・金兵衛尉清定に模作させた。戦国時代最大の技術革新の先駆として、その意義は大きい。 |
二等級 日本 | 堺筒 さかいづつ | 橘屋又三郎が種子島で学んだ技術が伝わり、堺での鉄砲生産が始まった。高い鋳物技術師と広い商圏をもつ堺は、以後、天下一の鉄砲の供給地となる。 |
三等級 日本 | 国友筒 くにともづつ | 近江国友では将軍・足利義晴の命により細川晴元を通じて鉄砲生産が始まった。国友は製鉄で名高い伊吹山の西に位置し鉄砲生産が可能な高い技術があった。 |
四等級 日本 | 紀州筒 きしゅうづつ | 紀州根来寺の杉坊が、種子島で学んだ技術を持ち帰ったのが起源とされる。以来この地では鉄砲生産が盛んで、鉄砲武装した僧兵が織田信長らを苦しめた。 |
五等級 日本 | 薩摩筒 さつまづつ | 薩摩は戦国時代から鉄砲生産が盛んであった。種子島時堯が島津義久に鉄砲を献じて以来、島津家は鉄砲生産に力を入れ他家に先んじて実戦で用いたという。 |
六等級 日本 | 備前筒 びぜんづつ | 備前は戦国時代末から鉄砲生産が盛んになった地域の1つ。良鉄を産出する播磨に近く、平安時代中期より刀鍛冶が有名で、優れた技術力を持っていた。 |
七等級 日本 | 日野筒 ひのづつ | 近江日野では蒲生定秀以来、蒲生氏の政策により鉄砲生産が盛んであった。特に大坂冬の陣、夏の陣では目覚しい活躍をしたという。 |
八等級 日本 | 仙台筒 せんだいづつ | 仙台は戦国時代末から鉄砲生産が盛んになった地域の1つ。仙台では良質の鉄が産出された。銃身が長くて八角形や丸形の鉄砲が多く作られた。 |
九等級 日本 | 阿波筒 あわづつ | 阿波は戦国時代末から鉄砲生産が盛んになった地域の1つ。この地域は最大の鉄砲産業地・堺に近く、鉄砲鍛冶も領主によって保護されていた。 |
十等級 日本 | 米沢筒 よねざわづつ | 米沢は戦国時代末から鉄砲生産が盛んになった地域の1つで、のちに霞流を生み出した。他地域の鉄砲と比べ、銃身が短いのが特徴である。 |
- 管打銃 - 「鉄砲」編成可能
等級 生産国 | 家宝名 | 由来 |
一等級 南蛮 | 管打式銃 かんうちしきじゅう | 火薬を詰めた雷管を撃鉄で打ち、その衝撃で点火する銃。火縄銃、燧石式銃と改良を重ねて生み出された。雨下での点火がより確実になり、銃の動揺も少ない。 |
一等級 南蛮 | 雷管式銃 らいかんしきじゅう | 玉と火薬を薬莢に詰めて、雷管を打って発射する銃。燧石式銃を改良して生み出された。この銃の出現で、雨下の射撃や狙撃率が格段に上昇したという。 |
二等級 南蛮 | 燧石式銃 ひうちいししきじゅう | 燧石を鋼鉄片に打ちつけ、その衝撃で火薬に点火する銃。雨下での射撃を可能にした。ただし点火は不確実で、点火の際に銃が揺れるなどの難点があった。 |
二等級 南蛮 | 雷粉式銃 らいこしきじゅう | 雷粉という火薬を使った銃。雷粉は強力な火薬として開発された。火薬を改良することも、銃の威力や安全性を追求する点で重要だった。 |
三等級 南蛮 | ピン打式銃 ぴんうちしきじゅう | 銅製薬莢の端に出ているピンを撃鉄で打つと点火する仕組みになっている銃。点火の仕組みを改良することが、銃の改良の歴史ともいえる。 |
三等級 南蛮 | 洋式銃 ようしきじゅう | 南蛮技術の粋を集めた洋式の銃。点火の危険は少なく、雨下の射撃も可能であった。ただし洋式銃は弾幕を張る目的で改良されたため、狙撃には向かなかった。 |
四等級 南蛮 | 朝鮮短筒 ちょうせんたんづつ | 指火式の短筒。朝鮮渡来と伝わるもの。装飾のない素朴な形をしている。短筒は至近距離で一発のみ射撃可能であり、合戦で用いることはあまりなかった。 |
四等級 南蛮 | 二連発手中筒 にれんぱつしゅちゅうづつ | 短筒の1つ。銃身が2つあるため、二連発射撃が可能であった。ただし火種を直接火門に押し付けて発射させるなど、点火の際に危険が伴った。 |
五等級 南蛮 | 匕首鉄砲 あいくちてっぽう | 変わり筒の1つ。匕首に見せかけた鉄砲である。意表をついて撃つ襲撃用、護身用として作られた。匕首はつばのない短刀をいう。 |
五等級 南蛮 | 脇差鉄砲 わきざしてっぽう | 変わり筒の1つ。脇差に見せかけた鉄砲である。意表をついて撃つ襲撃用、護身用として作られた。脇差は刀身が1尺から2尺の刀で、太刀に添えた。 |
- 短筒 - 「騎鉄」編成可能
等級 生産国 | 家宝名 | 由来 |
一等級 南蛮 | 馬上筒 ばじょうづつ | 短筒の一種。馬上で弾をこめて撃てるように火縄銃を改造したもの。銃身の長さを通常の半分程度にし、部品も軽量化するなどの工夫がなされている。 |
二等級 南蛮 | 懐鉄砲 ふところでっぽう | 短筒の一種。懐に忍ばせられる大きさであることから、こう呼ばれる。握力で点火できるものの、暴発などの大きな危険が伴った。 |
三等級 南蛮 | 腰指筒 こしさしづつ | 短筒の一種。普段腰に指しておくことからこう呼ばれた。短筒の威力は弱く、砲術家たちはその効用をあまり認めなかった。変わり筒も短筒から派生した。 |
四等級 南蛮 | 籠筒 かごづつ | 短筒の一種。全長が50cm以下の鉄砲は短筒と呼ばれ、口径や全長により用途も異なる。懐鉄砲や馬上筒、腰差筒なども短筒に属する。 |
五等級 南蛮 | 十手鉄砲 じっててっぽう | 変わり筒の1つ。十手に見せかけた鉄砲である。意表をつく襲撃用、護身用として作られた。十手は真鍮または鉄でできた、鉤のある1尺ほどの棒である。 |
- 大筒 - 攻城戦での砲撃
等級 生産国 | 家宝名 | 由来 |
一等級 南蛮 | カルバリン砲 かるばりんほう | 大坂冬の陣に際し、徳川家康が南蛮から購入した最新式の大砲。この砲から放たれた一弾が淀殿の居間を直撃し、和議に応じるきっかけを作ったといわれる。 |
一等級 南蛮 | 仏狼機 ふらんきー | 南蛮渡来の青銅製の大砲。中国語でポルトガル人を指す「フランキ」という言葉が名称となった。朝鮮役の戦利品として何台か日本へ持ち帰られたという。 |
一等級 南蛮 | ランタカ砲 らんたかほう | 別名「船載砲」。南蛮渡来の大砲で、青銅製である。船体に搭載されるもので、有効射程距離は300mほどであったという。 |
二等級 南蛮 | セーカー砲 せーかーほう | 南蛮渡来の大砲。戦国時代当時のフランスで圧倒的な威力を誇ったカルバリン砲を、陸戦だけでなく海戦でも使用できるよう小型化したもの。 |
二等級 南蛮 | 雷破山 らいはざん | 大型の持ち筒。近江国友宗俊の作。銃身には、仏舎利を盗んで韋駄天に見つかった鬼の図が象嵌されている。その威力は疾雷の如き甚大なものであったという。 |
三等級 南蛮 | 国崩し くにくずし | 大友宗麟がポルトガルから輸入したとされる大砲。宗麟が耳川の合戦で島津軍に対して使ったものが、日本で初めて実戦で用いられた大砲であった。 |
三等級 南蛮 | 台車砲 だいしゃほう | 戦国時代に作られた鉄製の大砲。台車に積んで移動することから、こう呼ぶ。大筒は城の備砲や攻城戦に用いられ、当時の築城術にも少なからず影響を与えた。 |
四等級 南蛮 | 芝辻砲 しばつじほう | 徳川家康の命により、堺の鉄砲鍛冶・芝辻理右衛門が製造した、国産初の鉄製大砲。大坂城攻略の際に使用されたと伝えられる。 |
四等級 南蛮 | 火矢筒 ひやづつ | 棒火矢を発射させるための筒。棒火矢は焼夷弾と榴弾を兼ねたようなもので、破壊力に優れていたという。棒火矢自体は大部分が木で作られていた。 |
五等級 南蛮 | 臼砲 きゅうほう | 銃身の短い大筒で、榴弾を詰めて発射した。台車に置かず、抱えて撃つことも可能で、1人敵陣近くに素早く攻め寄って発射し、敵軍を撹乱することもできた。 |
- 具足 - 統率上昇
等級 生産国 | 家宝名 | 由来 |
一等級 日本 | 金小札色々威 きんこさねいろいろおどし | 金箔を置いた細かい札を4色の糸で綴り合わせた胴丸。武田信玄の西上を知った織田信長が、上杉謙信と一時的に同盟を結ぶために贈った品の1つ。 |
一等級 日本 | 小桜韋威鎧 こざくらがわおどしよろい | 甲斐源氏嫡流の証として武田家に伝来する大鎧。楯がいらないほど堅牢なので、別名「楯無鎧」ともいう。武田家は出陣の前に、この鎧に願をかけたという。 |
一等級 日本 | 赤糸威大鎧 あかいとおどしおおよろい | 鎌倉幕府の御家人・畠山重忠所用の鎧。1191年、御嶽神社に奉納されたという。重忠は武勇にすぐれていた上、義と情に厚く「鎌倉武士の鑑」といわれた。 |
二等級 日本 | 黒漆塗五枚胴 くろうるしぬりごまいどう | 相模鎌倉の雪下で活躍した明珍派作の具足。別名を「雪下胴」ともいう。伊達政宗ほか伊達家の家臣が愛用したことから「仙台胴」とも呼ばれる。 |
二等級 南蛮 | 南蛮胴具足 なんばんどうぐそく | 南蛮渡来の具足。徳川家康が榊原康政に下賜したもの。戦国時代に流行した当世具足は、敏捷に動けるよう、南蛮胴具足を参考に作られた。 |
三等級 日本 | 藍韋威肩赤鎧 あいかわおどしかたあかよろい | 西国の大大名・大内義隆の所用の大鎧。戦国期の甲冑は、機動性を重視した軽量な腹巻や胴丸が多い中、このように古風で威厳ある大鎧も好む武将もいた。 |
三等級 日本 | 片肌脱二枚胴 かたはだぬぎにまいどう | 胴丸に袖が片方しかついておらず、片肌を脱いだように見える具足。戦国時代の武将がいかに豪放磊落であったかを物語る。加藤清正らが好んで用いたという。 |
四等級 日本 | 金白檀鉄腹巻 きんびゃくだんてつはらまき | 水軍の将・村上吉充が所有した具足と伝えられる。金具や金箔置を随所にほどこし、白・紅・紫の三色糸で綴った「色々威」が美しい鉄腹巻である。 |
四等級 日本 | 歯朶具足 しだぐそく | 徳川家康が関ヶ原合戦時に着用し、以来徳川家で縁起の良い具足といわれた。伊予札を黒糸で綴る。兜に歯朶の前立があることから、こう呼ばれる。 |
五等級 日本 | 金箔置色々威 きんぱくおきいろいろおどし | 森蘭丸が所有した具足。兜の前立には経文が添えられ、胴は黒漆、大袖などは金箔置がほどこされている。黒色に金色が美しく映えている具足である。 |
五等級 日本 | 紫糸威最上胴 むらさきいとおどしもがみどう | 最上義光が所有した具足。金の小札を紫糸で綴った、みやびな逸品である。最上胴の名は、室町時代末に最上地方で作られたことによる。 |
六等級 日本 | 魚鱗札二枚胴 ぎょりんざねにまいどう | 智将・竹中半兵衛重治が所有した具足。魚の鱗に見立てた小札を全体に貼り付けて黒漆でまとめてある。大袖や手甲には竹中家の家紋「笹の丸」が見られる。 |
六等級 日本 | 熏韋素懸威 ふすべがわすがけおどし | 上杉謙信が所有したと伝えられている具足。兜古頭形で、表面に金箔がほどこされている。付属する壷袖は別拵えで、織田信長から贈られたものといわれる。 |
七等級 日本 | 金陀美具足 きんだみぐそく | 全体を金箔で覆った具足。桶狭間合戦で今川軍の徳川家康が尾張大高城へ兵糧を輸送した時に着用したので、別名『大高城兵糧入具足』という。 |
七等級 日本 | 萌葱糸素懸威 もえぎいとすがけおどし | 豪将として知られる蜂須賀正勝の胴丸。朱塗の胴に金の日輪が大きく描かれた、豪気漂う胴丸である。萌葱糸で小札を略式に綴りあわせるため、こう呼ばれる。 |
八等級 日本 | 朱漆塗桶側胴 しゅうるしぬりおけがわどう | 井伊家に伝わる具足。徳川四天王の1人である井伊直政は、武田家の旧臣のみならず、朱色の具足で部隊を統一した「赤備え」も武田家から取り入れたという。 |
八等級 日本 | 惣黒熊毛具足 そうくろくまげうえぐそく | 全面に黒熊毛をほどこした変わり具足。片桐且元が好んで用いたという。見る者に不気味さを感じさせる。戦国時代にはこのような変わり兜や鎧も作られた。 |
九等級 日本 | 樫鳥糸肩赤威 かしどりいとかたあかおどし | 安東実季が所用した具足と伝えられる。樫鳥糸で小札を綴ったもので、きめこまやかな刺繍が色鮮やかに際立つ、美しい具足である。 |
九等級 日本 | 黒糸威二枚胴 くろいとおどしにまいどう | 徳川四天王の1人・榊原康政が所有した具足。黒で統一された中に、榊原家の家紋「源氏車」が金で随所に散りばめられ胴には龍の泳ぐ様が描かれている。 |
十等級 日本 | 栗色革仏丸胴 くりいろかわほとけまるどう | 立花宗茂が所有した具足と伝えられる。兜に輪貫を立て、後立に鳥毛を添えるほかは、何ら飾りがない。宗茂の質実剛健の気風を物語る一品。 |
十等級 日本 | 鉄地二枚胴 てつじにまいどう | 真田家伝来の具足。南蛮具足のように砲弾対策のため、胴の中央に鉄板が留められている。小手の手甲には真田家の家紋「六紋銭」が打たれている。 |
- 兜 - 知略上昇
等級 生産国 | 家宝名 | 由来 |
一等級 日本 | 鹿角脇立兜 かづのわきだてかぶと | 本多忠勝が愛用した兜。鹿の角をかたどった大きな飾りが特徴的である。鹿の角の飾りは、増水した川を鹿が忠勝を案内するように渡っていたことにちなむ。 |
一等級 日本 | 馬藺後立付兜 ばりんうしろだてつきかぶと | 豊臣秀吉が愛用した兜。馬藺の葉をあしらった後立が光輪の如く開き立つ、秀吉好みの派手な兜。九州平定の際には、これを着用して出陣したという。 |
一等級 日本 | 獅子頭付兜 ししがしらつきかぶと | 厄除けなどに御利益がある、獅子頭を前立に据えた兜。護良親王(後醍醐天皇の第一皇子)は、建武中興の際に、この兜を付けて幸運を呼び込んだといわれる。 |
二等級 日本 | 金銀象嵌兜 きんぎんぞうがんかぶと | 加藤嘉明が徳川家康から拝領した兜と伝えられる南蛮風の兜。天辺に宝珠を冠しており、黒の鉢には金や銀の色使いで龍や文様が描かれた珍品である。 |
二等級 日本 | 金覆輪筋兜 きんぷくりんすじかぶと | 最上義光が所有した兜。鉢は黒漆をほどこして、筋に金の覆輪をかけたもの。真向(まっこう)には精巧菊透しの三鍬形の前立を据えている。 |
三等級 日本 | 一の谷兜 いちのたにかぶと | 板状の飾りを頭上に配した兜。前方にやや丸めた板は、源平合戦の古戦場・一の谷をかたどったもの。竹中半兵衛、福島正則らの名将に愛用された。 |
三等級 日本 | 三日月兜 みかづきかぶと | 三日月の前立をほどこした兜。半月や日輪などの前立も多い。三日月の大きさは様々であり、伊達政宗や山中鹿之介らが好んで用いたという。 |
四等級 日本 | 銀白檀塗兜 ぎんびゃくだんぬりかぶと | 黒田孝高が家臣に与えたという合子形の兜。合子形とは蓋付の漆碗をかたどったもの。白檀塗は鉄地に金・銀・錫を箔押しして生漆をかける方法をいう。 |
四等級 日本 | 大水牛脇立兜 だいすいぎゅうわきだてかぶと | 水牛の角をかたどった大きな飾りが特徴的な兜。黒田長政が愛用していた。両脇の威圧的な大きな角は、木に金箔をほどこしたもので、見た目より軽い。 |
五等級 日本 | 飯綱権現付兜 いづなごんげんつきかぶと | 前立に金の飯綱権現を据えた兜。飯綱権現は不動明王の化身といわれ、戦国期に信仰されていた神仏の1つ。信心深いことで知られる上杉謙信愛用の兜。 |
五等級 日本 | 唐冠形兜 とうかんなりかぶと | 中国の冠をかたどった変わり兜の1つ。帽子の後方に纓(えい)を取り付けた素朴な形だが、脇立に様々な飾りをつけて個性を演出した。藤堂高虎も愛用した。 |
六等級 日本 | 大釘後立兜 おおくぎうしろだてかぶと | 後立に大きな釘の飾りが特徴的な兜。徳川家康もこの形の兜を用いた。戦国期の兜の立物は、飾りや張りかけの種類が豊富で、草模様や鳥毛製のものもあった。 |
六等級 日本 | 長烏帽子形兜 ながえぼしなりかぶと | 烏帽子形の兜。己を大きく見せ、敵を威圧するため、多くの武将が好んだ。加藤清正はさらに烏帽子を大きくしたものを用いたという。 |
七等級 日本 | 燕尾形兜 つばめおなりかぶと | 燕の二股尾をかたどった兜。南部信直らが愛用した。鳥の形以外にも蝶、蜻蛉、兎の耳などをかたどった兜を着け、戦場で入り乱れて戦ったという。 |
七等級 日本 | 帆立貝前立兜 ほたてがいまえだてかぶと | 瀬戸内海に覇を唱えていた因島水軍・村上家に伝わる兜。前立は水軍らしい帆立貝で、金色がまぶしい。このような海のものをあしらった兜も多く好まれた。 |
八等級 日本 | 鯰尾兜 なまずおかぶと | 変わり兜の一種。鯰(なまず)が逆立ちしたかのように脳天より高く高く突起した形が印象的な兜。蒲生氏郷や前田利家などが好んで着用したという。 |
八等級 日本 | 六十二間筋兜 ろくじゅうにけんすじかぶと | 62枚の鉄板を接いで仕上げた筋兜。筋兜は、鉄板を鋲(びょう)留めした星兜から発展した兜。時代が下るにつれて筋の数も増えた。武田信玄が所有した。 |
九等級 日本 | 十二間筋兜 じゅうにけんすじかぶと | 北条氏康が所有した兜と伝えられる。黒漆が全体にほどこされ、吹返しには北条家の家紋「北条鱗」が打たれている。筋兜は好みにより筋の数も様々であった。 |
九等級 日本 | 二十二間筋兜 にじゅうにけんすじかぶと | 西国の群雄・大友義鎮が所有した兜。吹返しに大友家の家紋「杏葉」が打たれている。朱色の鉢に金色の筋を巡らせた豪華な筋兜である。 |
十等級 日本 | 椎実形兜 しいのみなりかぶと | 椎の実を鉢の形にかたどった兜。鳥居元忠ら戦国武将が用いた。植物をかたどったものに竹の節、いがぐり、桃、朝顔、ざくろ、胡桃などもある。 |
十等級 日本 | 鉄錆地筋兜 てつさびじすじかぶと | 鉄錆地塗りをほどこした筋兜。銘は「相州小田原住明珍勝家作」とある。小田原城下は安全なため、様々な技術者が移り住んで、文化が花開いたという。 |
- 名馬 - 「騎馬」編成可能
等級 生産国 | 家宝名 | 由来 |
一等級 日本 | 松風 まつかぜ | 前田慶次の愛馬。並外れた速さで走り、勇猛果敢で体力も抜群。凡馬では3日ともたないほどの巨体の慶次を乗せて悠然と駆けたという。 |
一等級 日本 | 帝釈栗毛 たいしゃくくりげ | 加藤清正の愛馬。帝釈とは帝釈天のことで、梵天とともに仏法を守護する神を意味する。体高が6尺3寸もあり、居並ぶ諸将を圧倒したという。 |
一等級 日本 | 竜馬 りゅうめ | 源義経の愛馬。義経が蝦夷地へと渡る際に、武蔵坊弁慶・亀井六郎とともに、白髪の翁から授かったこの馬に乗って津軽海峡を渡ったという伝説が残っている。 |
二等級 日本 | 黒雲 くろくも | 武田信玄の愛馬。非常に気性が荒く、信玄の影武者には乗りこなせなかったといわれる。信玄は常に2〜3頭の替え馬を連れて戦陣に赴いたという。 |
二等級 日本 | 放生月毛 ほうしょうつきげ | 上杉謙信の愛馬。川中島の合戦で、武田信玄との一騎打ちの際に謙信が乗っていたと語られる馬。月毛とは淡い黄色の毛色をいう。 |
三等級 南蛮 | アラブ馬 あらぶうま | 小形で均整のとれた優美な馬種で、性質は温厚、粗食に耐え、速力と持久力に富む。南蛮貿易では象やインコなどの珍獣とともに異国の馬も取引されたという。 |
三等級 日本 | 三国黒 みくにぐろ | 本多忠勝の愛馬。主君・徳川秀忠から拝領した。晩年、この馬に乗って関ヶ原合戦に参加し、東軍の勝利に大きく貢献したという。 |
四等級 日本 | 鬼芦毛 おにあしげ | 織田信長の愛馬。信長に献じられた数々の駿馬の中でも、特に好んだ馬であったと伝えられている。芦毛の荒馬であることからこう呼ばれた。 |
四等級 日本 | 鬼鹿毛 おにかげ | 武田信虎の愛馬。『甲陽軍鑑』によれば武田信玄が13歳の時にこれを所望すると、信虎は元服時に御旗や楯無の鎧などどと一緒に譲ると語ったという。 |
五等級 日本 | 小鹿毛 こかげ | 織田信長の愛馬の1つ。信長に献じられた数々の駿馬の中でも特に気に入っていた馬であったという。小柄な鹿毛の馬であることからこう呼ばれた。 |
五等級 日本 | 百里黒 ひゃくりぐろ | 本多忠朝の愛馬。雄々しい黒い馬体が美しく、駆ければ縮地の如く、瞬時に目的地に着けたという。忠朝はこの馬とともに大坂の陣に出陣した。 |
六等級 日本 | 大芦毛 おおあしげ | 織田信長の愛馬。その馬体の大きさは際立っていて、どんなに大きな騎馬の大群の中に混ざっても、すぐに見分けがつくほどであったという。 |
六等級 日本 | 星河原毛 ほしかわらげ | 織田信長の愛馬。多賀谷修理亮が献じた骨太で勇ましい悍馬であった。同時期に明智光秀も馬を献じているが、信長は光秀の馬は受け取らなかったという。 |
七等級 日本 | 白石 しろいし | 徳川家康の愛馬。名前の「白」とは異なり、黒毛の馬であったという。家康はこの馬に乗って関ヶ原合戦に参加したといわれている。 |
七等級 日本 | 遠江鹿毛 とおとうみかげ | 織田信長の愛馬。遠江より古くから伝わる駿馬で、その数は極めて少なかった。乗り心地がすばらしく、信長も殊のほか気に入って乗っていたという。 |
八等級 日本 | 大鹿毛 おおかげ | 明智秀満の愛馬。本能寺の変後、安土城を任されていた秀満は、明智光秀の敗戦を知ると、この馬とともに琵琶の湖水を渡って坂本城へ逃避行したという。 |
八等級 日本 | 小雲雀 こひばり | 織田信長の愛馬。信長に献じられた数々の駿馬の中でも、特に好んだ馬であったといわれている。のちに蒲生氏郷が拝領して愛馬とした。 |
九等級 日本 | 桜野 さくらの | 徳川秀忠の愛馬。本多正純から献上された栗糟毛の馬。大坂夏の陣ではこの馬に乗って出陣したことが『駿府記』などの記録に残っている。 |
九等級 日本 | 太平楽 たいへいらく | 豊臣秀頼の愛馬。秀頼は母・淀殿の過保護によって常に大坂城に閉じこめられていたため、馬に乗って戦場を駆ける機会にも恵まれなかった。 |
十等級 日本 | 粕毛 かすげ | 粕毛は鹿毛や栗毛などの毛色に白毛が混生した毛色。この白毛は、首や肢などに限定的に生え、年を経てもその割合は変わらない。織田信孝も所有していた。 |
十等級 日本 | 星崎 ほしざき | 豊臣秀吉が富田知信に褒美として与えた馬。知信は、小牧長久手合戦の際に秀吉の使者として織田信雄のもとへ赴き、和睦の締結に大きく貢献した。 |
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